第16話 カレン様と別荘①
あーあ、トリーもマリアンヌちゃんも、クリスティーナちゃんも行っちゃった。私一人だ。
扉は待ってても誰も開けてくれない。使用人が部屋の中にいる気配もないから、ここは自分で開けようか。廊下での私たちの会話は、部屋の中のカレン様にも丸聞こえだっただろうし、堅苦しい自己紹介は省くとするか。
まずは、ノックだよね。
軽くコンコンと小突いて鳴らすと、明るい声で返事がきた。
「失礼いたします、カレン様。ダリア・デイドリームです」
「入ってらして。待ってたわ、ダリアさん」
お腹の底から、はしゃいでる声だな。無理をして気分を上げてる演技を、してるわけでもなさそうだ。
衣擦れも一人分だけ。私が部屋に入るまでに、姿勢を正したんだ。音からして、すべすべした少し重たい布だ。足の動きを追いかけて鳴ってるから、ドレスのスカートだろうね。
取っ手を掴んで、扉をゆっくり丁寧に押し開けると、素朴な洗面台と、布団のない寝台が視界の端に入った。もっと大きく扉を開くと、くすんだ壁紙と小窓を背にして、座り心地のよさそうな一人掛けソファが、そしてそれに両足を揃えて腰掛ける、薔薇のように華やかな女性が。
彼女がカレン・テイラー侯爵令嬢だ。侯爵家のお転婆な末っ子。社交的で明るくて、いつも大輪の花開いたかのような笑顔が眩しすぎる人、というのが世間での評判。空飛ぶマシュマロ君シリーズを手掛ける作家さんが、私に外の世界を教えてくれるんだよね。
で、そんな一輪の花が、この部屋をますます粗末なものに変えていた。彼女が身に付けているたくさんのアクセサリーに、自分を最大限魅力的に見せるためのお化粧が、ここで暮らす人間を、より惨めなものに見せてしまう。彼女のまとう強烈な輝きは、下の者がいてこそ保たれる、威圧的な
「まあ! あなたがダリアさんなのね。お会いしたかったわ」
彼女のゆったりとした口調は、淑女のたしなみだ。早口でまくし立てるなんて、みっともない。余裕ある仕草で、今の時間を楽しむように振る舞い、裏では虎視眈々と好機をうかがう。それが私たち淑女ってもんさ。
ドレスはブルーのサテン生地。裏生地はよく見えないけど、生地の厚さのおかげでドレスに重みと高級感が出ている。彼女の体型にしては少し大きめのサイズで、ゆったりした印象を他者に与える。むき出しの肩と、丈の短めのスカートからのびる両足は真珠みたいに輝いていて、質の良い手入れが行き届いているのがうかがえた。
なんだ、やっぱりやつれてなんか、いないじゃないか。むしろ、のびのびと羽をお広げになっているよ。
「カレン様、我々の急な来訪にも快く応じてくださり、感謝いたします。サロンでの一件を耳にして以来、どうしてもお見舞いに参りたくて馳せ散じました。お具合は、いかがですか?」
「ええ、まだ少し動悸がして、足下がふらつくの。応接間でなくて、わたくしの部屋と近いこの部屋を指定してしまって、ごめんなさいね?」
「いえいえ、この別荘は、どうかご自由にお使いください。父がカレン様のためにご用意したんですもの、使っていただかなくては、父が泣いてしまいますわ」
狭い。何か非常時があったときに、逃げられる出入り口は、今しがた通ってきた扉のみだ。そして彼女のほうが、体格に恵まれている。片手にしている扇の羽根飾りは、あんまりしならない様子からして、振り回せば武器になるほどの堅さがある。
部屋の端っこの洗面台には、石鹸も何もない。蛇口もなくなっている。寝台の上も、なんにもない。つまり古そうな道具が、一個もない。
私の特技を、露骨に警戒しているな。
「ダリアさん? その緑の瞳は、あっちこっち飛び回るのね」
ほら、すぐに私の目の動きを気にした。道具たちが探されるのを、警戒してる証拠だ。
私は、ハッと気づいた演技をして、片手をほっぺに当てて恥じらいだ。
「ああ、大変失礼いたしました。お外からうかがった装飾が、とてもステキだったので、この部屋には何もないのでしょうかと、思わず探してしまいました。みっともない真似を、お許しくださいませ」
「あら。ふふ、そうよねぇ。この部屋だけクマさん達がいないのは、奇妙に見えるわよね」
クマさんどころか、私が座る分のソファがないんだけど……。
「用意が、ちっとも間に合わなかったの。わたくしの大好きで満たす時間も、余裕も、今のわたくしには、なんにも間に合わなくてね」
私は、どこに座ればいいのかな。床ぁ? もしもそうなら、大変わかりやすい宣戦布告だね、ベンジャミンお兄様は、あなたなんかには渡さないよ。
「少し待っててね」
カレン様がにこにこしながら、私を立ちっぱなしにしている。何を、誰を待てばいいのやら。ほどなくして、ノックの音が。続いて、今まで会ったどのメイドとも違うメイドの声がした。
「カレン様、クマさんの用意が整いました」
「んもう、遅いわぁ。危うくダリアさんを棒立ちにしてしまうところだったじゃない」
半ば棒立ちになりかけてるけどね。ともかく、これでカレン様の秘密の作戦は遂行されたわけだ。扉から現れたのは、メイド数人がかりで運ばれてきた巨大な茶色いクマ。私の後ろで、ドスンとおろされた。
「そちらに座ってね。わたくしの大好きなソファなの」
カレン様が扇を閉じて示した先には、無論さっきのクマがいた。正気の沙汰とは思えない、クマさんおすわりソファだ。クマさんが私を膝に乗せて、無表情でカレン様を凝視するという異様な光景が出来上がることだろう。
こんな椅子を用意されて、お尻を任せるなんて、人生で初めてさ。
さて、ちょっとばかし驚かされたけど、まあ気を取り直して、今から本題に入りますか。もちろん、ゆったりした優雅な口調でね。トリーたちにも時間を稼がせてあげないとだから。
「クリスティーナさんから聞きました、ベンジャミンお兄様のこと。カレン様は、どうお考えなのでしょうか? 未だサロンでのお心の傷も癒えぬ中で、父が勝手に押し進めた話ならば、私から父に抗議しに行きますが」
「うふふ、抗議だなんて。ベンジャミン様はとてもお優しくて、涙の枯れない日々に塞ぎ込んでいたわたくしのもとへ、いの一番に馬車で来てくれたのです。わたくし、今までこんなに大事にしてもらったことがなくって……気がついたら、彼がお見舞いに来てくださる予定日を指折り数えて、楽しみにしておりましたのよ。ふふ、失恋したばかりだと言うのに、気まぐれな女だとお思いでしょう?」
「いいえ。心を癒してくれる存在を、かけがえのない相手だと感じるのは、自然なことですわ」
ゆったり、ゆーったり。仕草もゆったり、ゆったり。
お茶がまだ出てこないけれど、これはきっとトリーが何かに苦戦してるんだろうな。お茶の話題は、絶対にカレン様に吹っかけないでおこう。
一方のカレン様は、豊かな胸に片手をあてて、ほっとして見せた。
「よかった。ずっとあなたに許されたかったの。あなたの大事なお兄様を、わたくしなんかが心の支えにしてしまって、本当に申し訳ないわ」
「ふふ、我が家の自慢の愚兄ですので、どうぞお好きに振り回しちゃってください」
私も謙遜とユーモアを交えて、返事する。
カレン様が明るい苦笑を隠すように、扇を広げた。だいぶ機嫌が良さそうだな、こっちも微笑んだ表情を保って、もっと深く踏み込むか。
「カレン様、話が戻ってしまって恐縮なのですが」
「なぁに? どんなおしゃべりも、今のわたくしには慰めとなりますわ」
「まあ、そう言っていただけるなんて……。それで、この別荘の家具なのですが、何か、お気に触りましたか? 既存の物を一つも見かけないので、心配になってしまいまして」
「ええ、少し。派手な色味のほうが好みで、落ち着くの」
「廊下の窓辺のぬいぐるみと、風船は?」
「贈り物よ。サロンでのことを心配した友達からの、差し入れなの」
嘘だ。
「へえ、ご友人はたったお一人で、こんなにたくさんの人形をご用意してくださったのですね」
カレン様の笑顔にヒビが入った。
「なんですって?」
「家具も贈り物も、素晴らしい統一感でまとめられていますもの。同一人物が揃えてくださったんだろうなぁって思いまして」
「そ、そう、そうなの! わたくしの熱心なファンの方がいまして、わたくしが気落ちすると、たくさんの可愛らしい贈り物で、慰めてくれますのよ。その御方には、いつも支えられていますわ」
「そうですか。カレン様には、お優しいご友人が多くて、羨ましいです……私も、一度でいいから、カレン様のサロンに、行ってみたかったな」
私はすごく残念そうな表情を作ってみせた。それを見たカレン様は、嫌でも私を気遣うセリフを吐かなければならなくなる。だって、淑女だもんね。
「ダリアさんは、その、軟禁生活を強いられているそうね。ベンジャミン様から聞いていますの。もしも、わたくしとベンジャミン様の関係がハロルド様に認められましたら、その時は……義妹となるあなたへの軟禁の解除を、彼と一緒に、ハロルド様に直訴いたしますわ。どうか、わたくしを頼って。あなたと仲良くしたいわ」
「なんて慈悲深いお言葉! 深く感謝いたします、カレン様!」
ここまで言ってもらったら、泣く演技もおまけして付けとかないとね。私はケープの内ポケットから、レースのハンカチを取り出して、片目頭に押し当てた。
「ごめんなさい、本当は今の生活が、寂しくって、辛くって……」
「まあ、かわいそうに。どうか泣かないで。一緒にがんばりましょう」
カレン様がソファから立ち上がり、ゆっくりと私の元へ歩み寄った。
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