第13話 クリスティーナ
「初めましてぇ! クリスティーナと申しまぁす」
両手人差し指をほっぺたにくっつけて、ものすごいブリッコで挨拶されました。正直な気持ちを申し上げますと、ドン引きです。殿方は、こういうのがお好きなのかもしれませんが、同性だとかなり警戒心が跳ね上がります。
反応にも困りますし。
固まっている我々の中で、唯一ダリアお嬢様だけが微笑んでいらっしゃいます。
「初めまして、クリスティーナちゃん。私はダリアです。その可愛らしい制服、よくお似合いだわ」
「本当ですかぁ? 嬉しいです〜!」
お互いにニコニコと会話されているだけなのに、漂う、このギスギス感。おそらく、クリスティーナさんがブリッコしているせいですね。お客様をお招きする際に、過度な愛嬌は不要ですから。
ふと、過度な愛嬌がろうそくの火のように消えました。キツい吊り目の眼光が、壁際にじっとしているメイドに向きます。
「ねえ〜、この女の子が本物のダリアさんだって証拠は、掴んだの?」
「は、はい。この鞄に触れただけで、私が長女であることも、亡くなった父に愛されていたことも、全て言い当てられました」
「そう。ダリアさんがうちで働くメイドたちの素性を、最初から全部調べて暗記してたって可能性も、あ・る・け・ど・ね〜……?」
壁際に立ってうつむいているメイドの顔のすぐ横に、クリスティーナさんはバァンと片手を叩きつけて、じろりと顔をのぞきこみました。
「どうしてこの鞄にしたの? あなたには、あたしの古い万年筆を貸したでしょ。それをダリアさんに渡せって、あたし言わなかった!?」
「も、申し訳、ありません」
「まさか無くしたんじゃないでしょうね!」
「い、いえ、ちゃんと、こちらに」
メイドが顔を背けながら、震える両手で白いエプロンポケットから、ハンカチに包まれた何かを取り出して、クリスティーナさんに捧げるように返却しました。
それを乱暴に片手で取り上げるクリスティーナさん。その横顔は狼のようです。
こんなにひどい職場環境で、よくマリアンヌさんは殺されずに済みましたね。それとも、以前はこんなに荒んでいなかったのでしょうか。
さすがのダリアお嬢様も、ブラウンシュガー色の眉毛をハの字にして困惑しているものと思いきや……微笑んでいらっしゃいます。
「うふふ。マリアンヌちゃんといい、元気なメイドさんが多いのね。その万年筆の中は、私にもカレン様にも、誰にも知られてない秘密が込められていますのね?」
壁に押しつけていたクリスティーナさんの白い片手が、離れました。そして満面の作り笑顔で、お嬢様と対峙します。
「ダリアさんの能力、あたしのこのペンで実感したかったですぅ。どのような詩を捻り出してくださるのかぁ、ずっとずっと、ずーっと楽しみにしてたのに、残念です」
「あらあら、それじゃあその万年筆を、貸してくださる?」
「いいえ、もう結構ですよ。ダリアさんって〜、ファンサービス旺盛な御方なんですね!」
無邪気そうな口調とは裏腹に、狡猾な蛇そのものな眼差しを我々に向けて、薄ら笑っています。
蛇の嘗め回すような視線が、わたくしで留まりました。
「あなたがトリシア・ナイトウォークさんですね? ナイトウォークさん
「はい、そうですが」
「カレン様はとっても繊細で、怖がりなんですよね〜。くれぐれもあなたがナイトウォークだと知られないようにしてくださいね?」
「かしこまりました。我々はカレン様のお具合をうかがいに参上したのですが、会わせていただけますか?」
「今ぁ、応接間にいらっしゃいますよ。いつもよりラフな恰好してますけど、けっしてダリアさんたちを粗末に扱ってのことではありませんからね。どうかご理解のほど、よろしくお願いしますです〜」
すでに粗末に扱われている感が否めませんが、お具合の優れない相手へのお見舞いに来た手前、我々に礼儀作法を指摘する権利はありません。従者であるわたくしとしては、主人がないがしろにされるのは我慢なりませんが、ここは最後まで己を抑えるよう努力しましょう。
「それでは、どうぞ中へ。ご案内しま〜す」
すっかりブリッコが戻ってきたクリスティーナさんを先頭に、お嬢様、続いてわたくしが、最後にマリアンヌさんが中へと入りました。
そのとき、マリアンヌさんの大きなヒソヒソ話が耳に入ってきました。
「元気出してください。あ、そうだ、あたしもプレゼントの紙ペタペタ貼るの、お手伝いしましょうか?」
「ぜっっっったいにやめて」
力いっぱい断られて、マリアンヌさんが「そうですかぁ」と残念そうにしながら歩きだすのが、背中越しの気配で伝わってきました。
失恋したカレン様の代わりに憤ったり、泣きわめいたり、かつての同僚を気遣ったりと、マリアンヌさんは、根は良い人なんでしょうね。要領も良ければ、何も言うことはないのですが。
カレン様の急な来訪に選ばれたこの別荘は、無論カレン様のために新築されたわけではありません。しかし、ゆったりと休息を取るための建物ですから、ある程度の家具や調度品は揃っていなければ不便です。
それが、どういうわけでしょうか。先ほど通過した玄関ホールには、玄関マットどころか傘立てすら無く、壁には一枚の絵画もありません。廊下を飾るちょっとした調度品などもありません。
絨毯しかないんです。
「なんか殺風景な室内だなぁって思ってるでしょ〜? わかっちゃいますよぉ?」
二つくくりの金色の髪を揺らして、クリスティーナさんが振り向きました。
「だってカレン様ったら、いきなり家出しちゃうんですもの。あたしたち使用人も、ろくに着替えも用意できなくって〜。着の身着のまま来たわけですよ。もちろん、カレン様こだわりの調度品や絵画なんて、持っていける時間ありませんでしたね〜」
「まあ、そんなに急いでいらしたの? でも、とってもステキに別荘を塗り替えてしまって、惚れ惚れしてしまいましたわ。塗料などは、どなたがご用意しまして?」
クリスティーナさんの目尻が、若干の不愉快さを伴って吊り上がりました。今の会話の、何が問題だったのでしょうか。
「もうダリアさんったら〜。別荘を大改造できるほどの資材を、カレン様がお選びできる余裕はありませんよ〜。全てハロルド様のご厚意のもと、取り揃えていただきました」
「そう。じゃあお父様の手元にある帳簿を調べませんとね。お金の感覚がおかしな人で、万が一にもカレン様を戸惑わせるような物を購入していないか、念入りに確認いたしませんと」
お嬢様のころころとした笑い声に、クリスティーナさんの横顔がますます険しく。でも口だけはがんばって笑みを浮かべていました。
「そんなもの調べてどうするおつもりですかあ? ダリアさんって、ハロルド様から軟禁生活させられているんですよねぇ、そんな状態で、どうやってハロルド様に近づくんですかぁ? 怒られません?」
「ふふ、ご心配には及びませんわ。お父様と鉢合わせしなくても、帳簿くらいなら、誰でも見せてくれます。これでも身内ですもの」
クリスティーナさんが立ち止まって、振り向きました。
「あああああっそうですか〜。じゃあ、ここでネタばらしするんでぇ、そんなことしなくたっていいですよお?」
「あら、ネタばらしってなぁに? わくわくするわ」
この不穏な状況下で、本当に楽しそうにするお嬢様の剛胆ぶりには感服いたします。
クリスティーナさんは、何もない殺風景な廊下を背景に、自慢げに胸を張りました。
「ここにある物は全て、カレン様が事前に計画して用意された物なんですよ。ハロルド様から頂いた物は、一つもありません。窓辺のぬいぐるみに、可愛い風船、外からも見えたでしょ? あれ、ぜんぶぜんぶです!」
「可愛いご趣味ですわね」
「はい。殿方に好かれるには、精一杯可愛い女性でいないとですよね〜。近い将来、ハロルド様は、とっても可愛い侯爵令嬢を、義理の娘として迎えるんですもの」
「ええ? そうなの?」
わたくしはお嬢様が驚く声を初めて聞きました。その内容もさることながら、おそらく今日がわたくしの人生の中で、もっとも驚いた日になったでしょう。
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