第二章  デイドリーム家の別荘にて

第11話   予期せぬ訪問客マリアンヌ

「それでは、俺はこれで失礼いたします」


「ありがとう、門番さん。ここからは、私たちだけで行けますわ」


 持ち場へと戻っていく門番の背中を見送り、わたくしたちは、目の前に建つデイドリーム家の別荘「居眠りの窓辺」を見上げました。


 そもそも別荘とは、本宅とは別に造られた建物のことです。ひどい暑さ寒さから逃れるため、他には、ゆっくり休養する目的で建てられます。


 ですが、失恋中に他人の別荘に駆け込んで、ゆっくりできる人なんているのでしょうか。


「あらあら、カレン様はまだまだご養生を続けるおつもりのようですわね。ござっぱりしていた別荘も、こんなにチャーミングにお飾りになって」


 お嬢様は穏やかな風に緑のケープを揺らしながら、頬を片手に添えて微笑んでいらっしゃいます。


「お父様たちの趣味ではありませんわね。これらは全て、洗練された美的感覚を持つ女性一人が、手掛けたのでしょう。素晴らしい統一感ですわ」


 洗練……?


 わたくしには、己をお花の妖精か何かに置き換えた誰かが、お金に糸目を付けずに飾り立てたようにしか見えないのですが。そこは美術的感覚に疎いわたくしの、色眼鏡のせいでしょうか。


 とにかく建物のどこもかしこも、ピンクの造花だらけなのです。生花と見紛うほどのふっくらとした瑞々しい花弁は、ときおり吹く春の強風の中では不自然な粘り強さを見せつけてくれます。柱には蔓状の植物が、美しい感覚を開けながら巻きつき、黄色い花をぽんぽんと付けていますが、これも造花。


 窓枠という窓枠には淡い色合いの風船たちがくくり付けられていて、意識無くふわふわと揺れています。窓辺には小動物を模したぬいぐるみが、ぎっちりと密集して我々を凝視しています。


 どこか奥ゆかしさを感じる深い土色した扉の玄関には、これでもかと輝く包装紙に包まれた、プレゼントの山、山、山。左右の視界が阻まれて、少々不安になります。箱は崩れてきても生き埋めにはならない大きさですが、それでも箱の中身は、きっと人の頭より大きな物でしょう。侯爵令嬢への贈り物ですから、安物やガラクタではないはずです。


 ところで、カレン様はこの箱たちを、開けないのでしょうか。なぜ外に置きっぱなしに。


「トリーはこの別荘の、もともとの色合いを知ってまして?」


「いいえ。以前はこのような可愛らしい桃色では、なかったのですか」


「きっとカレン様が塗り替えてしまったのですわね。お父様の許可を、ちゃんとお取りになったのかしら」


 旦那様に無許可で、塗り替えてしまった可能性があると……。


「……ど、どうでしょう、わたくしにはわかりかねます」


「ふふ、許可なんて取っても取ってなくても、同じことですわね。身分が高くて傷心中の女性の頼みを、さすがのお父様でも断れなかったのでしょう。せめてこの色合いが、お父様の本意ならば良かったのに」


 本意ではないのですね。何色がお好きなのかは、存じ上げませんが。


「トリーの考えを聴かせてほしいわ。この建物を見て、どう思いまして?」


「わたくしの頭に浮かんだモノでは、何も参考には……」


「いいえ、大いに参考になるわ! 他者の考えは、私に良い刺激を与えてくれますの。お願い、トリー」


 う……そのような困り眉毛でお願いされますと、従者としての立場でなくとも断りにくいです。


「で、では、わたくしの意見を申し上げます。カレン様は、本当に傷心中なのでしょうか。好きだったサロンからも遠ざかり、下位の貴族の領土に逃げ込んでまで、深く深く傷付いていらっしゃるはず……それなのに、仮の宿の色彩が気に入らないからと、こんなに可愛いお屋敷に改造してしまうなんて、随分と余裕のあるお人だと――」


「そうよね。失恋のあまり何も手につかず塞ぎこんでいる人が、他人の別荘の色彩にこだわったり、統一感を出すために情熱を傾ける余裕があるのなら、充分にお元気よね」


 言葉を先取りされたわたくしには、うなずくことしか残っていません。


「はい。カレン様は今、お心の傷が癒えるまでベッドに沈んでいたいお気持ちのはずだと、わたくしは思っていたのですが」


「弱っている女性が、建物を大変身させてまで籠もっちゃうなんて。これは長期滞在の予感がするわ」


 お嬢様はわくわくしながら、辺りを観察し始めました。

 なにを楽しそうにしていらっしゃるのやら……。お嬢様は稀に見る厄介事に、自ら飛び込んでいらっしゃる自覚が、おありなのでしょうか? 退屈な軟禁生活を、少しでも楽しくしようとしていた我々使用人の努力は、いともたやすく、奇妙な事件に惨敗してしまいました。悲しい。


「プレゼントを見張ってる番人もいないみたいね。カレン様にとって、この贈り物は大切ではないのかしら」


「どの箱も直射日光を浴びています。中にナマモノが入っている場合、すでに傷んでいる可能性があります。誰も食べないとよろしいのですが」


 どこかから、小さなため息が聞こえてきました。


 前も見えていないのではないかと疑うほど背筋を丸めたメイドが一人、大きなリュックを背負って、のろのろとこちらへ歩いてきます。


 わたくしはお嬢様と相談し、そのメイドに挨拶してみることにしました。


「こんにちは、カレン様のお付きの方ですか?」


「あ……」


 メイドはたった今わたくしたちに気づいたようで、顔を上げて来客を確認したとたん、蒼白した顔になりました。少し待っていても何もしゃべらないので、こちらで話を進めることにしました。


「カレン様がこちらにご滞在であると聞き及び、馳せ参じました。この度は、誠にお気の毒でございました」


 わたくしは一礼して、相手の動向をうかがいながら、ゆっくりと顔を上げると、


「あ……ああ……」


 メイドの視線はマリアンヌさんに向いていました。


「な、なんであんたが、ここに……どうやって、門を通ったの……」


 驚くのも無理はないでしょう。主人からクビを宣告されて姿を消した同僚が、来客と一緒に戻ってきたら、わたくしでも驚愕いたします。


「怪しい者ではございません。わたくしはトリシア・ナイトウォーク。伯爵令嬢ダリア・デイドリームの代理人です」


 わたくしの自己紹介を聞いているのかいないのか、返事をしないメイドのなで肩から、大きな鞄の紐がずるりと下がりました。次の瞬間、脱兎のごとく玄関扉へと、わたくしたちにぶつからん勢いで走ってきました。


 このままでは、お嬢様がお怪我を!


「お嬢様!」


 ダリアお嬢様の片腕を掴んで、壁際へと引き寄せて避難しました。マリアンヌさんは尻餅をついてすっころんでいましたが、衝突は避けられたようです。


 壁際へ寄った際に、一瞬だけ確認できたメイドの目には、もう何も映っていない様子でした。彼女が駆け抜けていった際に、積み重ねられていた贈り物の山が崩れてしまいました。ころんころんと軽い音を立てて、我々の足下に転がってきます。


 この数多ある箱には、中身が入っていないのでしょうか?


「クリスティーナ様! 来てください!」


 玄関扉を音荒く開いて、メイドは悲鳴混じりに何者かの名前を呼びながら、中へと入っていきました。

 そのとき、彼女の肩から鞄がするりと脱げてしまい、玄関扉の少し手前でボトンと落とされました。ハッとして振り向いた彼女の目線が、扉と鞄を交互に往復し、そして彼女は扉を選びました。


 扉がバタンッと閉められます。


 あとに残ったのは、ぼろぼろの小汚い大きな鞄だけ。ふた部分がべろんと開いていて、中身が丸見えです。きらきらした包装紙の筒が、何色もぎっしり詰めこまれていました。リボンもリールごと何色も。これは相当重たかったでしょうに。


「お嬢様、これはプレゼントを包む包装紙のようです。リボンも何色も入っています」


「かなり年季の入った鞄ね。これは、男性向けのデザインかしら。彼女のお父様か、お爺さまの私物かもしれないわね」


 つまり年代物であると。


『永い間、人間に大事に使われてきた道具たちは、持ち主の思いに寄り添ってきた分、使用者の心情に敏感になって、感化され易くなるの。そして持ち主が強烈な思いを発生させた場合、道具たちにも深く深く刻みつけられてしまうの。良い意味でも、悪い意味でもね』


 以前、お嬢様からこんな話をお聞きしたことがございます。当初は、なんの話をされているのやら、ピンときませんでしたが。


『日焼け 日焼け ああ忌々しい!

 そんなに毎日 気になるんなら

 お外に出さなきゃ いいじゃない!』


 鞄に触れたお嬢様が、怒気孕む口調で謳いました。少し離れた場所に立つマリアンヌさんが、きょとんとして目を丸くしています。


 わたくしは、足元に転がるプレゼントたちと、未だ積み上げられているプレゼントたちを改めて観察しました。今はきらきらしている真新しい包装紙も、このまま日の下にさらされ続けていては、あっという間に傷んでしまうでしょう。


「お嬢様、日焼けとは、おそらくはこの包装紙のことかと」


「このままお日様の下にあったら、そうなっちゃいそうね」


「カレン様はこれらを長時間、外に出しており、日焼けによる色あせやシミを、気にしている……ということでしょうか」


 劣化を気にするほど大事な物ならば、初めから外に出さなければよいのです。わざわざメイドを使ってまで、手入れをする必要はないのでは。


 大事な贈り物なのか、そうでもないのか、わたくしには、判断ができません。カレン様は何をお考えなのでしょう。まさか、単なるメイドいびりでしょうか。


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