第10話   養生先を訪問します

「今日はここに泊まってらして、マリアンヌちゃん。あなたに他に行く当てがあれば、辞退しますけど」


「え? いえいえ! 断るなんて、そんなそんな! もうあたしには、どこにも行く場所なんてありませんから、一日と言わずどこでも何日でも置き去りにしていってください!」


 それはどういう意味でしょうか。雇ってほしいという自己主張でしょうか? 冗談じゃありません。


 ハァ、お嬢様のご慈悲により、この哀れな少女は、数日分の宿を得ることができました。優しいお嬢様、そして厨房の保冷庫の食材をのぞき込んで「夕飯が楽しみですぅ!」などとはしゃぐ不躾な小娘。お二人の縁が、どうかこの事件を最後にすっぱりと消えて無くなってくれますよう、切に切に神様にお祈りします。




 ダリアお嬢様に昨日と同じ緑色のケープをお渡しするわけにはまいりません。連日の外出にも備えて、予備は十枚ほど用意しております。


 カレン様の養生先であり、デイドリーム家の別荘である「居眠りの窓辺」へと、我々は向かいました。


 わたくしは馬車ではなく、牧場から駿馬を借りてそれぞれに乗馬し、カレン様がご実家へ帰ってしまう前に一刻も早く別荘へと到着すべきだとご進言したのですが、お嬢様は馬車にたっぷりとお弁当やおやつを詰め込まれ、着替えも何着も用意させまして、歩みの遅い馬車で振動に悩まされることもなく、途中の庶民用の宿舎にも立ち寄って、優雅に丸二日かけて、目的地へと到着いたしました。


「お嬢様、もう少しお急ぎしたほうが。カレン様がお帰りになってしまうかもしれません」


「あら、カレン様が復活なさって、ご実家への旅路を楽しんでいらっしゃるなら、これ以上私たちにできることはありませんわ。素直にお喜びいたしましょう」


「それは、そうですが…………そうですね、そうしましょう」


 その場合マリアンヌさんだけが路頭に迷うことになりますが、誰か親切な人に雇ってもらえるよう、工面だけはしておきますか。野垂れ死にされては夢見が悪いですから。



 はたして、カレン様は逞しくも失恋を乗り越えて、ご帰宅されているのでしょうか。それとも、その付近だけ雨曇りに襲われたかのごとく、別荘ごとどんよりと暗くなっているのでしょうか。


「別荘の門が見えてきましたわ」


 お嬢様は馬車の窓から身を乗り出すこともなく、そう言い当てました。これに大きく反応したのがマリアンヌさんです。そのまま窓から飛び出んばかりに半身を突き出しました。


 彼女の頭部にかぶせた真紅のケープが、風を含んで、はためきます。


「わああ! かわいいです! 妖精さんの村の入り口みたい!」


 具体性の欠けた説明に、違和感を覚えたわたくしは、お嬢様に許可を取ってから馬車の窓の縁に手をかけて、紺色のケープに包んだ頭を、外へと出しました。


 茶色いペンキに塗られた屋根付きの、アーチ状に湾曲した木製の小さな門の随所に、少女が好む色とりどりのリボンが花のように結ばれ、柱に細いロープで固定された花束が、来訪者を歓迎していました。それを目の当たりにし、わたくしは呆然といたしました。


 たしかに、可愛らしい。


 そして、それが異様にも感じたのです。


「それじゃあ、門の前で馬車を留めておきましょうね。結婚式を想起イメージさせる白馬を、カレン様の目に触れさせては、お気の毒ですもの」


 お嬢様の完璧な配慮により、門の前で白馬は停車しました。門の付近には、デイドリームの家紋付きの兜を被った門番が二人立っており、馬車へと歩いてきました。ちょうどお昼だったのでしょう、片方が口をもぐもぐさせています。


 門番がそこまで警戒していないのは、馬車の馬と御者の装飾品に、デイドリーム家の家紋が見えたからでしょう。


「デイドリーム伯爵様の馬車ですね。失礼ですが、どのようなご用件でしょうか」


「ぜひカレン様にお会いして、お慰めしたくて参りました。大変仲がよろしかった次期大公殿下に、サロンでひどく傷付けられたとお聞きしておりますわ」


「カレン様にですか? ダリアさんが、わざわざ?」


「ええ。今は誰ともお会いしたくないお気持ちかもしれませんが、社交界に疎い女相手ならば、言えないことも吐き出して、すっきりできるかもしれませんわ。もしも断られてしまったならば、そのときは、そのときです、出直して参ります」


 門番二人は、少し戸惑ったように互いに顔を見合わせましたが、そのうちの片方が未だに口をもぐもぐしている姿に絶句し、もう片方が、己の判断基準のみを頼りに、意を決してうなずきました。


「承知いたしました。カレン様にお取り次ぎいたしますので、少々お待ちください」


 口がからっぽのほうの門番が、急いで走っていきました。その背中が見えなくなるのを、ダリアお嬢様は眺めていました。


「カレン様が今、どのような状態でいらっしゃるのやら、実際にお会いしなければ何もわかりませんわね。お元気そうなら、それに越したことはありませんわ」


 つまり、どちらでもよろしいと。カレン様の失恋と、お嬢様はなんの利害関係もありませんから、本当にどちらでもよろしいのでしょう。


 我々は馬車を下りました。御者は門のそばで馬車を隠すように停めてから、我々分の荷物を持ってきてくれるそうです。鞄に重い物は入っていないはずですが、お一人で大丈夫なのでしょうか。少し心配です。


「お馬さん、ごめんなさいね。今日も昨日も一昨日も、ずっとあなたたちに走ってもらっていますわ」


 馬たちの前に立って鼻先を撫でさするお嬢様に、御者が「上から失礼します」との一言付きで、声をかけました。御者台から馬を手繰る手綱を、神経質に引きながら。


「ダリアさん、どうか馬たちのことはお気になさらず。どうか馬の前にも立たないでください。この二頭は元気すぎるほど元気な、筋金入りのじゃじゃ馬なんです。一日中外を走らせてやらないと、夜中に暴れて馬小屋を蹴って壊すんです」


「まあ、とってもお転婆さんなのね」


 にこにこしているお嬢様の両肩を、わたくしは掴んでそっと移動させました。ああ、お嬢様と馬が完全に離れるまで、恐ろしいひとときを味わいました。彼が馬の散歩と施錠を怠ったときが、さらなる大惨事の呼び水となるのでしょう。こればかりは、彼に任せるしかありません。


 先ほどの門番が、戻ってきました。


「カレン様が、ぜひダリアさんとお話ししたいと。ご案内いたします」


「ありがとう、門番さん」


 お嬢様は、うめき声を上げている御者に振り向きました。


「大丈夫? 御者さん」


 三人分の女性の荷物を両腕に、前が見えていない様子です。あれでは些細な小石にもつまずき、盛大に荷物をぶちまけてしまうでしょう。


「わたくしもお持ちいたします。マリアンヌさんもご自分の荷物は、ご自分でお願いいたします」


「あたしの鞄には、クッキーしか入ってないので、軽いですよ!」


「それでも、持ってください。わたくしが落としたらクッキーが粉々になりますよ」


「あ、それは困ります! 粉々になったら食べにくいですから!」


 マリアンヌさんは大慌てで鞄を持っていきました。


 その中身、本当にクッキーしか入っていないのでしょうか。今度から彼女の作る荷物は、しっかりと確認せねばなりません。わたくしの仕事を増やさないでください。


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