第8話 デイドリーム家の献上品④
お嬢様がお顔を近づけて「ねえトリー」と、ひっそり耳打ちなさいました。
「以前お父様が屋敷に立ち寄られた際にね、ノートを置きお忘れになったの。それで、ちょっとだけ中身を拝見したら、カレン様の結婚式に、貴族の皆様全員で、盛大に
旦那様のことですから、他貴族への牽制も兼ねていそうです。リーダーシップはある御人なのですが、それと同時に、他者を圧する企てを、恐ろしい早さで組み立てるのです。
「その、サプなんとか、とは……?」
気になって尋ね返しますと、お嬢様はそっと離れて、普通の声量で話し始めました。
「私たちが文字の読み書きを習うとき、身近なおとぎ話をたしなむのは、ある種の宿命ですわ。白馬の王子様が、己の未来の結婚相手だと、夢見がちな女の子ばかりではないにしても、自分の結婚式に白馬と純白の美しい馬車が用意されていたら、そしてとなりに最愛の人の笑顔があり、エスコートされ、向かい合って座ることができたとしたら、きっと近所の公園に寄るだけでも素晴らしいひとときを感じるでしょうね」
それを聴いていたマリアンヌさんが、黄色い声ではしゃぎました。
「そんなの一生の思い出になっちゃいます〜!」
そしてデイドリーム家の覚えも、めでたくなります。今後とも侯爵家と良い関係を結べるでしょう。
もう一人、白馬の馬車の話で顔色を変えた者が、ここに。牧場主のおじいさんです。
「トリシアお嬢様、侯爵家令嬢のカレン様のご婚約が、破談になった話はご存知ありませんか?」
「噂程度には。今日はその真偽を確かめに来ました」
「ああ、それでここに。じつは、この馬たちはカレン様の結婚式の献上品だったのです。白馬の馬車と、それから縁起物として純金製の蹄鉄二個セットも」
「キャンセルを入れたのは、どなたですか?」
「旦那様です。三日前の夕方に、お使いの者が書面で。家紋付きの封蝋もされていましたから、確かに旦那様からの手紙です」
「そのお手紙の内容を、読ませてくださいませんか」
「わかりました。少々お待ちを」
牧場主のおじいさんが、片手に持っていたブラシをその辺に置いて、汚れた両手を
案の定です、御者のみが手紙を持って、走って戻ってきました。牧場主は今、洗顔し髭を整えている真っ最中だそうです。若い娘ばかりぞろぞろやってきて、さらにその一人が伯爵令嬢だとしたら、干し草の香りすら恥じてしまう気持ちもわかりますが、今それを洗い流している時間はないはず。危うく日暮れまで待たされるところでした。
受け取った手紙を、お嬢様に渡しました。今のわたくしは「トリシアお嬢様」であっても、雇用主である旦那様の手紙を勝手に開くわけにはいきません。
お嬢様が白い封筒をそっと開いてゆくお姿を、見守っていました。手紙が開かれ、お嬢様の緑の両目が素早く文字を追いかけました。
「お父様の文字ですわね。相変わらず、おもしろい字ですこと。童話作家専門の
そう言ってお嬢様は、わたくしにも読んでみるようにと、手紙を手渡しされました。それでは、黙読させていただきます。
……妖精が筆を走らせたような、お洒落な字体です。読み手側すら楽しませるとは、芸術性とユーモアに富んだ御仁です……その内容と、雰囲気が合っていれば、もっと喜ばれたでしょう。
『拝啓 いつも馬たちを愛情深く世話している友人へ
侯爵令嬢のカレン様が、サロンで失恋なさったそうだ。
失意の果てに今現在、うちの領内で養生なさっている。
そんなわけで、
結婚式サプライズ用に準備していたあらゆる出し物は
無しとなった。
じつに残念だ。
詳しいことは、また追って手紙を出す』
以上です。
旦那様、相変わらず見事なまでに端的な文面です。
わたくしはお礼を述べて、お嬢様にお手紙を返却いたしました。仮にも雇われの身で主人の手紙を、本人に無断で読んでしまったのですから、この秘密は墓場まで持ってゆかねばなりません。
「マリアンヌちゃんの言っていたことは、本当でしたのね」
お嬢様は手紙を畳んで封筒に戻し、御者に返しました。
「信じてもらえて、よかったです〜! あたし、もう、ホッとしましたぁ。ずっとずっと疑われたままだったらどうしようって不安で〜」
「ねえマリアンヌちゃん、あなたはどこから歩いて来ましたの?」
「へ? どこからって、ダリアさんの馬車からですけど」
マリアンヌさんの大きな青い目が、正気を疑うように泳ぎ、馬車を指差しながら不審そうにお嬢様を見上げていました。
お嬢様は、馬車の家紋を眺めながら、アンティークグリーンの双眸を細めます。
「そのもう少し前ですわ。あなたがお父様にお会いする前。あなたはどこからやって来て、お父様の屋敷に辿り着いたのかしら?」
「えっと……そこの馬車から、ですけど……」
馬車からやって来た???
なぜデイドリーム家の馬車に勝手に乗って、デイドリーム家の旦那様にお会いできるのでしょうか。あの馬車はケチな旦那様の許可なく借りることなど不可能なはず。
すっかり身だしなみを整えて、別人のようになった牧場主のおじいさんが全速力で戻ってきました。無難な色合いのベストにジャケットを羽織り、かつて辺境伯だった旦那様と様々な修羅場を乗り越えてきた騎士団長の面影を、わずかながら携えて。
献上用に大事に育てていた馬たちは、どうなるのかとお嬢様がお尋ねすると、よく整った白いあごひげを撫でつけながら、神妙な面持ちでうなずきました。
まさか、旦那様から、馬の命を奪ってしまうような恐ろしいご命令が。
「毛並みの美しい自慢の馬たちです。新しい取り引き相手を探すか、子役スターの産みの親となってもらうかのニ択となりました」
なんですか、もう。
神妙な面持ちをされるものですから、わたくし、てっきり。
「良かった、安心しましたわ。あ、そうそう、お父様から追って知らせがくるそうですわね、そのお手紙が来た際は、ぜひ私にもご一報くださいな」
「承知いたしました。ダリアさん」
深々とお辞儀するおじいさんに、我々も腰を折ります。
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