第5話   デイドリーム家の献上品①

 行動力の化身であるダリアお嬢様と、同じ空間で同じ時を刻みたいのならば、お昼寝なんてしている暇などありません。ソファでよだれを垂らすマリアンヌさんを夢から引っ張り出して、これから出かけるのだと簡潔に伝えました。


「ええ!? じゃあカレン様の失恋事件を、調べてくれるんですかぁ!? やったー!!」


「声が大きいです、マリアンヌさん。湿ったタオルを持ってきましたから、これで簡単に顔を拭いて、玄関の外で待機していてください」


「はーい!!」


 小さな手桶の中を泳ぐタオルには見向きもせずに、嬉々として外へと走りだすものですから、わたくしは片手をのばして彼女の二の腕を掴みました。


「顔を洗うのが先ですよ」


「あ、はーい……」


 だんだんとマリアンヌさんの扱い方がわかってきたような、しかしまだまだ油断は禁物です。ダリアお嬢様までがカレン様の二の舞を演じる羽目にならないためにも、わたくしがしっかりとマリアンヌさんを見張っていなければ。


 それにしても、ダリアお嬢様は外出の詳細を、わたくしにすらお話にならないのですが、あと一時間半でお屋敷にお戻り可能なのでしょうか……お嬢様にご用事のある御仁は、今日もひっきりなしに来館されるのですから。


 今まで抱いてきた多くの杞憂は、露と消えてきましたが、やはり予定を管理するメイド長の立場上、いいえ立場などもはや関係なく、主人が羞恥に赤面する事態だけは避けたく思うのです。


 さて、は外出することができません。いつの世も法律の穴をかいくぐる者が後を絶たないように、そして、いつまでも同じ正義の形が保たれ続けるのを傍観するように、我々も賢く生きなくては個性など発揮できません。ダリアお嬢様を縛る法律は、旦那様からの理不尽なご命令のみ。では、脱法者として知恵を絞り、数多の協力者の手を借りながら、自由を手にする方法を、お嬢様が無限に思いつく場合、双方どちらが勝利するでしょうか。


 わたくしは一メイドとして、ただ御支度をお手伝いするだけ。



 早々と身支度を済ませて、マリアンヌさんの待つ玄関先へと参りました。


「わあ、可愛いケープ! 紺色の布地にレースがたっぷりで、お人形さんみたいですね」


「ありがとうございます、マリアンヌさん。デイドリーム家に仕えるメイドの、外出時の制服なのです」


「へえ〜、いいなぁ。あたしの所では、どんな時でも黒いメイド服に白いエプロンのみなんですよね。下着とかもすごく地味で。リボンとかもダメなんですよ。あ、でも、あたしだけはこの髪型が許されてました」


「そうなのですか。どこでも不思議なしきたりはあるものですね」


 ケープの長さはお尻まで隠れるほど長く、わたくしのように長い髪でもこの中に収まります。フード付きですが、人前ではフードを外している決まりですので、その通りにしています。


「あ、馬車が来ましたよ!」


 マリアンヌさんの大声に、木々で羽を休めていた小鳥たちが群れを成して一斉に飛び立ちます。


 玄関先に、先ほどマリアンヌさんを連れてきた馬車が、再び蹄をそろえて停車しました。御者がわたくしの姿を一瞥し、兜を取って小脇に、軽い会釈を。


「ご機嫌麗しゅう、トリシアお嬢様」


「ご機嫌よう、精が出ますね」


 その短いやり取りに、マリアンヌさんがぽかーんと口を開けて、わたくしと御者を交互に見上げていました。


「……あたし、心の病気に苦しむ人のお手伝いだけは、やったことがないんですよね」


 他にもやったことのない事柄は、多々あるでしょうに、さも経験豊富なベテランのように神妙な面持ちで、両腕を組んでいます。


「マリアンヌさんは、我々と適当に話を合わせていれば、それで充分ですよ」


「お話を合わせるのは、あたし大得意です!!」


 不安しか感じない、力強さです。


 まあ、仮に彼女がおかしな言動を取って我々を混乱させる事態が起きたとしても、ダリアお嬢様とわたくしで即座に立て直せるでしょうから、そこまで不安視はしておりません。



 ああ、わたくしが丹精込めて磨き上げた革靴が、玄関から外の空気の中へと、お嬢様をお運びしています。その軽やかな足取りたるや、昔とちっともお変わりありません。


 マリアンヌさんが、ギョッと目を丸くしていました。


「ダリア様!? その格好は、まるでこの人の同僚みたいじゃないですか。さっきの緑色のアフタヌーンドレスは、どうしたんですか?」


「ふふふ、私のことは、ダリアと呼んでね」


「ええ!? なんで呼び捨てを!?」


「じゃあ、ダリアさんでいいわ」


「あ、それなら、なんとか……って、説明になってないですよ〜! どういうことなんですか〜?」


 マリアンヌさんが混乱するのも無理はありません。お嬢様はわたくしとそっくりのメイド服をまとい、緑色のケープを頭からすっぽり被っていらっしゃいますから。


 大きなバスケットを幾つも抱えたメイド数人も後から続き、馬車の後ろへと詰め込んでいきます。これはお嬢様による提案でしょう、どこかでお茶する気満々のご様子ですが、次の来客までのご予定は間に合うのでしょうか、お嬢様のことですから、心配はご無用なのだと、わかってはいるのですが……。


「そいじゃお嬢さん方、ちょいと急ぎますよ」


 御者は我々が乗り込んだ後に、しっかりと扉を閉めまして、はしゃぐマリアンヌさんが舌を噛んで少しの間静かになった程度には、馬を急がせました。


 わたくしとお嬢様は隣同士に座り、マリアンヌさんはわたくしの向かいに座っています。噛んだ舌をベローンと出して痛がる彼女に、ハンカチを贈呈いたしました。


 ハァ、疲れます。


 窓から見える木々の過ぎ去る速さは、今朝の走り込みを想起させました。少ない人手で、見回りも兼ねて体を作るのも、お嬢様の屋敷の使用人として当然のことです。


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