第4話   あなたが、侯爵令嬢のメイド?②

「カレン様が望んで、あなたをここへお寄越しになりましたの?」


 不釣り合いに豪華な人形をもらった少女のように、マリアンヌさんが縮こまってしまいました。


「い、いえ、あたしが勝手に考えて、ここに来たんです。だってだって! フラれたら絶対に悔しいはずだし! どうしてって、理由も知りたく思うはずだし! カレン様は顔には出さないけど、きっと心の中ではいろいろぐちゃぐちゃで、きっと夜も眠れないに決まってますから! だからきっと、絶対、解決したいって望んでます!」


「それってぜーんぶ、マリアンヌちゃんの想像のお話ではなくて?」


「はい。だって想像できますもの。あたしはずっとずっと、ずーっとカレン様にお仕えしてきたんですから。カレン様のことは、なんだってわかっちゃいますよ!」


 お嬢様が静かにお茶を一口すすり、カップをソーサーに静かに重ねました。


「カレン様は今、そっとしてほしいのかもしれませんわよ?」


「え?」


「恋愛には、気力を使うものですわ。相手を気遣う気持ちが、どうしても発生してしまいますもの。長年想い合っていたお二人であるなら、フラれた今は尚更お疲れではなくって? あなたの積極的な行動が、お疲れのカレン様の心の傷口を、かえって広げてしまうとは思いません?」


 マリアンヌさんが、呆然とお嬢様を見つめていました。そのように人様の顔をまじまじと見つめては失礼に当たります。誰からも教育されていないのでしょうか。


「お、もいま、せん!!」


 全身を震わせて立ち上がると、マリアンヌさんはテーブルに両手をついて、そして思いきり頭を下げました。二つくくりにした髪の束が振り回されて、カップに当たって絨毯に落ちました。


「お願いしますお願いします! だってこのままじゃ、カレン様がおかわいそうですもん!」


「マリアンヌさん、ただの一メイド風情が、主人の望まぬ仇討ちに奔走するものではありません。カレン様のご命令ならともかく、そうでないのなら出しゃばってはいけません」


「で〜も〜!」


「これ以上勝手を申し出るなら、カレン様にご連絡いたしますよ、マリアンヌさん。あなたの勝手な言動が露見すれば、良くて解雇、最悪の場合は処刑です」


 二つの青い目が、ギョッと大きく見開かれました。


「しょ、しょけい……?」


「たとえ話ですが、けっして大げさな話ではありません。主人に大恥を掻かせたのですもの、その責任は取らされることでしょう」


「だ、大丈夫ですもん! だってあたし、カレン様に可愛がられてますから!」


 はぁ、寵愛が免罪符になるとでも。だとしたらカレン様は、よほどこの娘を気に入っていることになりますが、はたして真相はどうなのでしょう。


「お気に入りだから、なんですか? 何をしても許されると?」


「はい! だってあたし、カレン様に怒られたことないですし」


 カレン様は、正気なのですか?


 ここまでのマリアンヌさんの言動に、腹を立てない人がいたら神経衰弱を疑うレベルです。


 ダリアお嬢様はいつもとお変わりなく、怒りも絶句もおくびにもお見せにならず、それどころか一周回って笑いを堪えていらっしゃるご様子。道化を眺めている心理に到達されてしまったようです。お嬢様ほどの器の大きさがなければ、この無礼な少女は今頃ひどく打ちのめされていたことでしょう。


「では、カレン様にご連絡してもよろしくて? マリアンヌちゃん」


「ぐ……うう……」


 そこは「どうぞ」と即答しないのですね。命を惜しく思うのが普通ですから、当然かもしれませんが。


「私は、あなたがひどい目に遭うのは、イヤかなー? 条件次第では、カレン様に黙っててあげてもよろしくってよ?」


「条件……?」


 きっとお嬢様は、なんやかんやと難しい言葉を選んでは、マリアンヌさんに諦めて帰ってもらうよう心理操作するはず。


「いいえ、あたし、引き下がりません! だってだって、ハロルド様がダリア様を信じていいって、そうおっしゃってくださいましたから!」


 ええ!?


「ふぅん……お父様がね」


 ああ、お嬢様の緑色の両目が、猫のように吊り上がってしまいました。


 今回のコレは、正式な依頼でもあったのですか??? てっきり、何かのお暇潰しにお嬢様を困らせているのかと……。


 では旦那様がカレン様の婚約破棄された理由を、個人的にお調べになりたいとお望みに……?


 何故なのでしょうか。今のわたくしには、わけがわかりません。




 はい、以上でございます。


 お相手するだけでこんなに疲れるお客様は、久しぶりでした。わたくしもまだまだです。この世で一番他人を疲れさせる人間は、旦那様しか存在しないものだと思っておりました。


 マリアンヌさんは現在、来客用のソファで眠ってらっしゃいます。あんなに大声でカレン様のことを主張し続けたのですから、疲れたのでしょう。わたくしも疲れました。


 あのままにしておくのも、風邪などひかれて迷惑です。大きめの膝掛けを、そっと体に掛けておきました。


「カレン様……ぜったいに、おしあわ、せに……」


 頬にクッキーの食べカスをくっつけたまま、むにゃむにゃと笑っています。きっと今頃、何もかもご自分の思い通りに事が終わって、カレン様と手を取り合っている夢でも、見ているのでしょう。


 さて、彼女にかまけているのはここまでにして、来客用の部屋にしっかりと鍵を掛けてから、お嬢様のお部屋へと戻ってまいりました。今後についての作戦会議と、お嬢様のお心を整えるためにです。なかなかに強烈なお客人でしたからね……。


「失礼します、ダリアお嬢様。トリシアです」


「あら、声が怒ってる」


 楽しそうなご指摘に、わたくしは小さく咳払いを。


「失礼いたしました。先ほどのお客人の態度に、少々気が乱れておりました」


「ふふふ、でもあなたの気持ちもわかるわ。私、応接間で一枚もクッキーを食べてないもの。彼女、お腹壊さないかしら」


「無駄にお手洗いの紙を消費される前に、お帰りになって頂きたいですね」


 あ。


 ああ、わたくしがグチって発散してどうするのです。今は、お嬢様を優先させねばなりませんのに。ああ己の未熟さに、うんざりいたします。


「申し訳ありません。また、このような感情的な言葉を……」


「ふふふ、それじゃあ入ってらして」


「失礼します」


 扉をゆっくりと開くと、ミニテーブルで両肘をついて、物憂げに明後日の方向を眺める、ダリアお嬢様の姿がありました。コルセットは苦しかったのでしょうか、ベッドの上に放られています。


「ねえトリ〜、彼女の話、どう思いまして?」


 問われたわたくしは、先ほどまでの個人的な腹立たしさは置いておき、冷静を努めて、言葉を選びました。丁寧に、かつ正直に。おそらくお嬢様に近しい立場の者にしか、許されない行為でしょう。


「旦那様が、あのような田舎娘の話を全てお信じになり、こちらにお寄越しになったのかと思うと、信じられない気持ちでいっぱいです。今も混乱しております」


「そうよねぇ。彼女が摂取したクッキーは、三十枚は越えていましたわ。私、泣きながらクッキーを何十枚も独り占めする人には、初めて会いました」


 三十枚どころではありません、お嬢様。


 これ以降も来客の予定が入っているのに、用意していた予備のクッキーまで全て食われてしまいました。この忙しい最中、総出で厨房を回している有様です。せめてあと一人か二人、人手があれば〜。


「それでもね、お父様は暇潰しであのを寄越したわけでは、なくってよ。他愛無いお戯れと捉えるには、あまりにも背景が大きすぎますもの」


「同意いたします。侯爵令嬢の御心を配慮されない旦那様では、ないはず」


 お嬢様はゆっくりと椅子から立ち上がり、窓の外を眺めます。その優しい微笑みの理由には、思い当たる節がありません。


「カレン様が次期大公殿下の婚約者に定まっていたのは、私も耳にしていましたわ。と言うより、上流階級の人間ならば知っていて当然でしょう。サロン好きで、お洒落で、おまけに気立てもよくて評判の美人。お相手の殿方とも仲睦まじく、すでにお二人は運命的な糸で結ばれた夫婦……というのが世間での評判ですわ」


「絵に描いたように完璧なお二人ですね」


「そうね。マリアンヌちゃんも、そう信じていたのでしょう」


 窓を眺めるお嬢様の顔が、陰りました。


「けど、彼女の言動のお下品っぷりは、とても侯爵家の人間に仕えて良いモノではないわ。いくらお父様の紹介で来たとあっても、身元は調べなくてはね」


「すぐに支度したくいたします」


「あら、仕事が早い。でも今回は、私が指揮するわ。第一証人のマリアンヌちゃんも同行させないとね」


 え……アレも連れて行くのですか? 先が思いやられます……。


 ですが、お嬢様が指揮を執られるのならば、きっと大丈夫でしょう。あとはわたくしが、第一証人の胸ぐらを掴みたい衝動を、抑えれば済むだけの話です。


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