第3話   あなたが、侯爵令嬢のメイド?①

 お腹が空いていたのは本当のご様子、というより、いくら食べても足りない大食らいのようでした。その小さいお体の、どこにそんな量が収まるのやら……。


 そして食べこぼしながらの彼女の説明は、すぐにあちこちに脱線し、わたくしが情報をまとめてから先を促さないと、ちっとも話が進みません。やれ見かけた子犬が可愛かっただの、好物はオムレツだだの……ダリアお嬢様は、そんな彼女を本当におもしろそうに目を細めて眺めていらっしゃるものですから、あまり大きな声での注意はできませんでした。


「何を隠そう! あたしは侯爵令嬢のカレン様にお仕えしていた一メイドなんです!」


 これには、わたくしもお嬢様と顔を見合わせ、つい、ぽろりと口が出てしまいました。


「は……? あなた(ごとき)が? (卑しい嘘つきで礼儀知らずのおバカな)あなたが、本当に?」


「えへへ〜、よく言われるんですよね〜。やっぱりあたしみたいな若者が、あんな格式高いところで働くなんて、なかなかあることじゃありませんよね、えへへ〜」


 よく言われる、の意味をご理解していないご様子です。


「あたしは物心つく頃から、ずっとずっと、ずーーーっと、それはもう長くお傍でお仕えしてきました。カレン様は、本当にお優しくて、本当に、本当にお優しくて、それで、それで……えっと、なんだっけ……あ、そうです! すっごくステキなんです。それはもう、世の殿方が放っておかないって感じの。私が男の人だったら、きっときっと、いっぱいたくさんラブレターとか書いちゃって、それで、えっと、花束とかたくさんいっぱい贈っちゃうんだと思います!」


 ……すっごい語彙力ですね。お慕いする気持ちのみで言葉を発しているのが、ひしひしと伝わってきます。


「あ!」


 いきなり前のめりになって、カップをソーサーにガチャンと置くものですから、さすがにわたくしも注意の声を飛ばしました。


「す、すみません! ダリア様も、カレン様に負けず劣らず愛らしい御方だと思いますって言おうとしてました!」


「あら、それはどうも」


「それでそれで! ダリア様って、カレン様が昔大事になさっていたお人形にそっくりなんです! その緑のドレスも! ものすごい再現率ですね!」


 お嬢様がにっこりと微笑えまれて、小首をお傾げに。


「そのお人形の話は、よくわからなくてよ、マリアンヌさん。今日はどのようなご用件でいらしたの?」


 お嬢様がカップを傾けて、お茶を一口。視線はアールグレイの生み出した揺れる水面へと、注がれていらっしゃいます。


 マリアンヌさんは、お人形に例えられたお嬢様がお喜びになると思っていたのでしょう、あっさり話題をスルーされて、しばし口をぱくぱくと開閉させていました。


「あ、そうでした! あたし、そのカレン様のことでご相談に来たんです!」


「ふふ、そんなに大きな声で焦らなくても、ちゃんと聴いていますわ」


「あ! ごめんなさい!!」


 無礼の擬人化みたいな少女です。旦那様はこんな人を、何故お寄越しに……。


「じつはじつはですね、カレン様はいろんな人と人脈や知見を広めるために、定期的にサロンを開催されるんですが、婚約者てある次期大公殿下を、いつもお招きされていて、それで次期大公殿下も、多忙な毎日の息抜きも兼ねて、遊びに来てくれるんです。それで、カレン様のお屋敷に数日滞在して、たくさんおしゃべりして、お二人はもう周囲も認めるラブラブカップルだったんですよ。ほんと、もう、どうして早くチューしないのかって、やきもきしちゃうくらい! きゃ〜」


 白いほっぺたに両手を当てて、はしゃいでいます。人生楽しそうですね……などと思いながら眺めていると、その幸せそうなお顔が急に土砂降りに遭った女の子のようになりました。


「そのカレン様がぁ〜、二週間前に開催されたサロンで、次期大公殿下にフラれちゃって〜! 大勢の前で婚約を破棄されてしまったんですぅ〜……」


 目の縁まで涙を溜めながら、おもむろに片手を前へ伸ばすものですから、何をするのかと注視していると、なんとクッキーのお皿を片手で引き寄せて、独り占めする形でバリバリと貪り始めました!


ふぁんあにあんなにアブアブラブラブあっあのい〜だったのに〜……」


 うわぁ、紺色のスカートが食べカスだらけに。


「口に入れたモノを飲み込んでからしゃべってください!」


 わたくしが注意すると、彼女は何を勘違いしたのか、急いで全てのクッキーを口に突っ込んで、お皿をからっぽにしました。スカート上の食べカスも手でパッパッと払い、薄桃色の絨毯の上にまき散らしました……。


「カレン様がフラれたのもショックだったんですけど! その時におっしゃった次期大公殿下の台詞も、ひどいんですよ〜! ずっと貴女と過ごす時間が、苦痛でした、とかなんとか言って〜! あんなに長く寄り添っておきながら、今更〜!? って感じでした〜!!」


 またまた声が大きくなってきましたね。先ほどダリアお嬢様から、声の大きさを注意されたばかりだと言うのに、この少女は。


「あんなにステキで優しいカレン様が、どうして! どうしてあんな公共の場で、あんなひどい辱めを受けねばならないんですかぁ!? カレン様で満足できないんなら、世界中の女の人なんて敵いませんよ! 意味が、意味がわからないですぅ……うぇぇ、ヒック……うわあああん!」


 口をぱかりと上向かせて、マリアンヌさんは力いっぱい泣きだしました。


「カレン様は幸せにならなきゃダメなんですぅ〜!!」


 マリアンヌさんはテーブルに突っ伏して、豪快な泣き声を上げ続けました。


 本当に本当に、悔しくて悔しくて、今まで歯を食いしばって堪え忍んできたのでしょう。


 耳まで真っ赤にして、純粋に悔し涙を流す彼女は、誠に不本意ながら、とても羨ましく感じました。わたくしには、たとえ悔しい思いに打ちのめされても、誰かの前で、はしたない顔は、見せられないですから。


 ……無遠慮な大声をオイオイと上げ続ける、その姿には、微塵も惹かれませんが。


「あらあら、二つのキレイなおめめが、すっかりずぶ濡れになってしまいましたわ」


 ダリアお嬢様は、相変わらず動じていらっしゃらないご様子。それどころか、この比類なき無礼者を前になさって、楽しそうにしていらっしゃいます。


「ものすごい泣きじゃくりっぷり。まるで悲劇に打ちのめされたのは、マリアンヌちゃんみたい」


「そうなんです〜。カレン様のお心の傷は、あたしの傷みたいなもんなんですぅ〜」


 その後、彼女は同じような言い回しでカレン様のステキぶりを褒めちぎる台詞を、これでもかと並べ立てて、ようやく少し落ち着いたと思ったら、大きなゲップを……。クッキーの食べ過ぎです。


「うーん、マリアンヌちゃんは、本当にカレン様のことが大好きですのね」


「はい、それはもう! どこにも雇い手の無いあたしに、手を差し伸べてくださったんですから! 命の恩人なんです。だから絶対に、幸せになってほしいなって、ずっとずっと、ずーっと思ってたんです!」


「それで? 私に何をお願いに来まして?」


 未だ目の縁に輝く涙の粒を、衣服の袖でごしごしとこすり取って、マリアンヌさんは、ぐっと眉間を寄せました。


「どうしてカレン様がフラれてしまったのか、調査してほしいんです。だってだって! お二人は本当に仲が良くて……」


「カレン様が、それをお望みに?」


「え?」


 素っ頓狂な声を上げるマリアンヌさんに、お嬢様がアンティークグリーンの双眸をゆっくりと細めて、微笑みました。


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