042. お姉さまは抜けているので

 お姉さまは今日も素敵だ。

 真っ白な肌に艶やかな黒髪。ほっそりとした瞳にうっすら色づいた頬。折れてしまいそうなほど細い腕は、薄手のカーディガンに包まれていた。胸元で控えめに結ばれたリボンは最高学年のえんじ色で、中央につけられたブローチに描かれた聖女の肖像は、どこかお姉さまに似ている。

 ウェストできゅっと引き締まったジャンパースカート。膝あたりのスカートがひらりと揺れる。そこから伸びる両足も、ほっそりと補足、日焼けの概念を感じられぬほどに白い。

 聖リリア女学院の制服がこれほど似合う人を私は知らない。女学院の聖女様、とは伊達じゃなく、お姉さまが立っていると、それだけで周囲に涼やかな、清らかな空気が流れるようだった。

「あき、どうしましょう」

 その、お姉さまは私の前でいつも困った表情を浮かべている。ちょいと眉尻を下げて、心底困った、と表情に出すしぐさが可愛らしい。黙っていると人形のように美しいのに、そうして感情を隠さぬお姉さまはとても愛らしかった。私はいつもの事だと思いながら、こちらに近づいてくるお姉さまに日傘を傾ける。日焼けできないその肌は、熱に当たるとすぐに真っ赤になってしまうのだ。お姉さまと、学年も教室も違うことがこんな時は悔やまれた。

「先生が、次のテストの範囲をおっしゃっていたのだけど」

 私が相槌を返す前に、お姉さまは当然のように話続ける。私が日傘を差したことにも気づいていないだろう、私は苦笑を浮かべて続きを促す。ついでに校庭のガゼボへ誘導する。バスケットに水筒とクッキーを入れていてよかった。今日は天気が良かったので、外でお茶をしたいと思っていたのだ。

「その範囲、次の定期考査の範囲と被ってしまいそうなの。これは、先生が私たちにサービスをしてくれているのかしら? まさか、全く同じ問題は出ないと思うのだけど」

 ガゼボにたどり着いたお姉さまを座らせて、日傘を閉じた私はさっとバスケットの中身を広げた。とぽとぽと水筒のお茶をコップに注ぎ、お姉さまに差し出してやる。それで、お姉さまは今気づいたと言わんばかりに、「まあ」とのんきな声を出す。

「今日は外でお茶なのね、気持ちがいいわ」

「そうでしょう、天気が良かったので」

 褒められて笑みを浮かべると、お姉さまも嬉しそうにはにかんで笑う。それだけで私は天に上る気持ちだった。

 お姉さまの困りごと、は、大抵がどうでも良いことだ。

 どうでもよい、と言うと語弊がある。お姉さまはいつだって真剣に悩んでいるが、普通の人には理解しがたい。

 お姉さまはどうも、その聖女めいた見た目にふさわしく、頭の出来も非常によろしい。所謂天才というやつらしい、とは、最初に会った時お姉さまから自己申告された文言だった。故に、どこか少し、日常生活が抜けている。

 頭の回転が速いばかりに、人と少しずれてしまうらしい。次の定期考査は半年先の話だし、その頃普通の生徒は今時期行った小テストの問題なんて覚えていない。でも、お姉さまは覚えてしまう。


(20220627/00:30-00:45/お題:天才の百合)


 そのくせお姉さまは人一倍“気にしい”で、ちょっとしたことでも「カンニングにならないかしら」と心配してしまう。当然、お姉さまがカンニングなどするはずないのは、全校生徒が知っている。

 だから今回の困りごとも、本来なら全く気にしなくてよいものなのに、お姉さまはいちいち「サービスなのかしら」と心配しているのだ。

「まあまあ、お姉さま。昨日焼いたクッキーも美味しいですよ」

 ただ、お姉さまはちょっとずれたところを心配してしまいがちだけど、復活も非常に早くて。

「あら、本当。このクッキー美味しいわ。バニラの風味がとても良いわね」

 さくり、と齧ったクッキーを驚いて見つめて、お姉さまは上品に口元へ手をやった。今日は暑いので、差し出した紅茶はアイスティーである。甘くないストレートティーは、少し甘めに仕上げたクッキーとよく合うだろう。

 にこにこと笑みになったお姉さまに、私は幸せな気持ちになって「そうでしょう」と胸を張る。お人より知能が高い分、ちょっとずれていて、ちょっと抜けているお姉さまの世話をするのは、私の学生生活で一番幸せな時間だった。お姉さまのこの笑みも、困った顔も、どうでもいいようなことを気にされて問いかけてくる優しい声も、この時ばかりは私だけのものなのだ。

「お姉さま、試験でもし同じ問題が出たとしても、それは先生の落ち度であって、お姉さまは悪くありませんよ」

 そうして一息ついたところで、そっと「気にしなくて良いのだ」と答えを示す。お姉さまは「そういうものかしら」と首を傾げて、もう一口、さくりとクッキーを齧り取った。

 黒髪がさらさら流れる。ガゼボの屋根は丁度よい日陰になって、お姉さまの気持ちも幾らか覚ましたようだった。

「そういうものですよ」

 もう一度深く頷く。ふふ、と小さく笑ったお姉さまは、「あきが言うなら、そうなのね」なんて、私を見つめる。

 私はその視線から逃げることもできないまま。ガゼボの日陰などお構いなしに、体温が上がるのを感じるのだった。

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