034. そうは言っても受け入れ難い

 ウッと呻いた声に気づかなかったふりをして、目の前の男はニコニコと手を差し出している。

 鈴木はその大きく硬そうな手を掴むべきか、否か、判断しかねてそろそろと視線を上げる。男――山本は変わらずニコニコと笑みを浮かべたままで、差し出した手を握り返されるのを待っていた。

「本当に?」

 問いかける。山田は頷きながら「本当に」と繰り返す。

 それで、鈴木は深い、深いため息を吐いた。俄かに信じがたかったが、どうやら「そう」らしかった。本当に、信じたくもない事だったが。

「だからこれから一年間、よろしく頼むね」

 一年間、と、その言葉が気が遠くなるほど長く感じる。掴むべきか、否か、選択肢は鈴木に与えられていなかった。掴まざるを得ない手で、これを拒否する権利は持ち合わせていない。「そういうもの」だと、理解はしていた。

(してたけど、さぁ)

 まさか自分が選ばれるとは思わなかったじゃないか、なんて。

 渋々差し出された手を握り返す。漸く触れた掌の冷たさに少しばかり驚いて、思わず山田を見返した。



 女性人口が極端に減り始めたのはいつ頃だったか。

 近現代史の教科書に、起点と思われる年代や原因となった病名などが記されていた気がするが、詳しくは覚えていない。大学入試で出るが日常的には使わない年号だ、志望大への入学を終えた今、覚えていようもなかった。

 女性、という性別の人間が、減り始めたのは事実である。昔は男性よりも人口が多かった、と聞くが、とても信じられない。今は未だ“絶滅”してはいないが、それも時間の問題と言われている。数少ない女性の協力によって、人工授精、体外出産等、あらゆる研究を進めているが、どういうわけかそもそも女性の出生率が低下するばかりで、そもそも母数が増えないのだ。

 そういうわけで、いずれ来る女性の“絶滅”に備え、男性同士で妊娠できる技術を得るための研究が盛んになり始めたのが、ここ十年ほどの話だった。


 とはいえ未だ女性が存在するこの時代、男性に性的興味を抱ける人と言うのは圧倒的に少なくて、科学的に男性の妊娠が可能になった今でも、男性同士のカップルと言うのはあまりメジャーではない。

 国が推奨してはいるものの、上手くいかないことが多く――最もテコ入れしやすい場所、として、大学等教育機関が選ばれたのは、致し方ないかもしれなかった。


「でも、名誉なことだよ、本当に」

 鈴木の手をぐっと握り返したまま、山田はずい、と顔を寄せて見せた。山田と鈴木は同じゼミの仲間であり、元より面識がある。友人と言うほどの付き合いはないが、互いに知人以上ではあると認識しているような。

「名誉って、」

「だってそうだろ」

 躊躇うように声を上げた鈴木に、山田は笑みを深めて繰り返す。


(20220615/01:30-01:45/お題:アブノーマルな栄光 )


「俺たちが――成功したら――この大学で三例目になる。知ってる? 五例目までは感謝状と、協力感謝金が出るって」

 続けた山田の言葉は不自然に明るくて、鈴木は(ああ)となんとなくを理解した。

(別に、山田も望んで引き受けたわけじゃない)

 それはそうだ、山田と鈴木の条件は同じで、政府直轄のよくわからない専門機関が、全国民の遺伝子情報だの何だのを鑑みて、最も出産に適している組合せを算出しているに過ぎない。もちろん、所属機関単位で分けて組合せているので、世界的に見て鈴木の最も適したパートナーが山田である、というわけではないのだが。

 山田と鈴木の間に特別な感情は何もない。ただ「相性がいいから」の一言で、人口増加対策の取り組みに巻き込まれただけ。

(でも、その取り組みが始まった時、何も思わなかったのは確かだ)

 感謝金、と山田は言った。どこか諦めたような、なげやりのような、思えば最初からそんな調子だった。一瞬でも躊躇った鈴木の事を、あるいは軽蔑すらしたかもしれない。「そう」であるのは等しいのに。

 自分が対象になって、初めて理不尽さや――不可解さに思い至る。それが情けなくも感じて――今まで何も不快に思っていなかったのに、いざ自分の時にやいやいと騒ぐなど――鈴木は軽く首を振る。山田が不思議そうに首を傾げた。

「……感謝金も、大事だけど」

 重要なことだ。“きっかけ”がこんな、ひどいきっかけならなおの事。心が壊れないために。

「ちゃんと向き合うべきだ、と、俺は思う、から」

 どう伝えれば良いのかわからなかった。掴んだままの手に力がこもる。自分の体温が急に上がったような気がして、熱がそのまま、山田の掌に伝染したようだった。

「こんな――ひどい――きっかけだけど、ちゃんと山田のこと、知りたいわ。それで“ダメ”でも“成功”でも、俺たち二人とも、傷つかないために」

 どうだろうか、と提案をする。

 ずっと笑みを浮かべていた、山田の顔が瞬間泣きそうに崩れ去って、「おう」と小さな声が零れた。

 その、どこか頼りない様子に。少なくとも嫌悪感や不快感は抱かないことに、鈴木は少し、安堵した。

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