032. 僕から出られない僕

 近頃の僕といったら、運動不足も甚だしい。

 日がな一日机の前に座り込んで、仕事をしては布団に入り、仕事をしては布団に入り。

 未知のウィルスに侵された社会はすっかり日常を変えてしまって、めっきり外出をすることもなくなってしまった。

 山ほどの携帯食料を机の周りに蓄えておけば、災害が起きたって当分食糧には困らないだろうし、何より動かなくてよいので気が楽だった。その内足から根が生えるのではないかと疑うほど、机の前と、ベッドの上とを行き来している。


 未知のウィルスが次第に未知のものではなくなって、有効な対策方法やワクチンなんかが出始めた頃、外に出てもいいよ、ということになった。社会的にの話である。

 外に出てもいいよ、と、社会がそういう風潮になったので、当然会社からも「出社してもいいよ」と言う通達が来る。けれどその頃にはすっかり足から根の生えていた僕は、「出社しなくてもいいならしません」と突っぱねてしまったのだ。

 当然、会社の人からも、同居の家族からも、「いい加減少しは外に出て見たら?」と言われるのだが。

 どうにも気が乗らないでいた。部屋の中は空調が整っていて、携帯食料は山ほどあるし、欲しいものはインターネット通販で何でも買えた。生理現象で部屋から出ることはままあれど、家の外まで出ようとは思えなくなっていて、つまり、それは、“必要がない”ようになっていたのだ。


 おいおい、いい加減にしてくれよ。

 と、声が聞こえたのはそうして引きこもり生活を謳歌している時だった。

 今日も一日、机の前で仕事をしては、携帯食料をもぐもぐと咀嚼して、ベッドの中に移動する。そんな当たり障りのない活動をして、さあ眠ろう、と目を閉じたところだった。

 暗くした部屋の、どこかからか声が聞こえる。どこか、と目だけで周囲を伺ってみるが、如何せん電気を消してしまったので、部屋の様子がよくわからない。電気をつけるのは億劫だった。

 いい加減にしてくれよ、まったく。もう一度、声が言う。どこかで聞いたことのある声だった。

 誰かいるのか? 僕は問う。部屋に向かって問いかけるなど奇妙な経験だったが、声ははっきり「いつもいるさ」と答えをくれた。それで、気が付く。声はどこかから聞こえているわけではない。この部屋全体から聞こえているようだ。

 どういうことか、と首を傾げる。ただどうにも、仕事で疲れ果てた脳は眠気も訴えていて、よく考えられない。何に怒っているんだ、と問うたのは、「いい加減にしてくれ」と言う声が明らかに怒気を含んでいたからだった。

 外に出ないからさ。お前が外に出ないから、俺もずっと閉じ込められたままだ。

 声はぶつくさと文句を言った。どうやら僕に怒っているらしい。

 そのあたりで、ぼくはふわ、と大きく欠伸をした。声も同じタイミングで、ふわ、とゆっくり欠伸をする。

 とにかく明日は外に出ろよ。天気も良いし、休みだろう。

 声は宥めるようにそう言うと、それじゃあお休み、と僕に告げて黙り込んだ。

 僕は一体、この声は何だったのか? と首を傾げながらも、眠気の方が強くなって、まあいいか、と眠ってしまった。


 だから、と言うわけではなかったが。

 一年ぶりくらいの間を開けて、外に出た。不思議な夜の翌日の事である。

 声と話した内容はうっすらとしか覚えていなかったが、何か声が聞こえたこと、その声に「外に出ろ」と言われたことだけ覚えていて、なんとなく、「たまには出るか」と思ったのである。

 声の言った通り、天気が良く、休みだったのもあるかもしれない。仕事がなければ机の前に座っていてもやることがないので、最近は動画視聴やゲームばかりをしていた。

 玄関を開けて、一歩、外に出る。さんさんと太陽光が僕の体に降り注ぐ。急に伸びをしたくなって、僕はぐ、と体を伸ばした。

 それで。

 地面に映る影と目が合う。「あ」と声を上げたのは僕だったか、影だったか。


 やぁっと外に出てくれた。


 どこからか声が聞こえた気がして、僕はぱちりと瞬きをする。

 太陽の位置に合わせてぐん、と伸びた僕の影は、にやにやと僕の事を見返して、それから気持ちよさそうに、もう一度ぐっと体を伸ばした。


(20220612/00:30-00:45/お題:昼の僕 )

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