031. 蟻の女王
簡単でしょ? と笑った声は冷ややかだった。
ずぶずぶと深く心臓にナイフを刺されたみたいだ。息を止めて彼女を見上げる。彼女はぎらついた瞳のまま、もう一度、「だって私には関係ないもの」と言いきった。
実際、関係ないと言えば関係なくて、関係あると言えば関係がある。すべての主導権を握っているのは彼女だ。彼女に傅く幾人もを、彼女はその声一つで切り捨てることが出来た。
理由を問うたのは愚かなことだったと知っている。ただ実の姉にすら無関心を貫く彼女の心が、果たしてどこにあるのか知りたかった。
それだけなのに。
「どうしてそんなことを聞くの?」
心底不思議そうな顔で問う。自分には甘い彼女が、一切の感情を失くしてこちらを見るのは珍しい事だった。ぎらぎら、ぎらぎら、瞳の奥がざわめいている。穏やかで静かな印象を与える外見と裏腹に、その内に激情を抱えていることを知っている。
「あなただって同じよ。私が望んだから、あなたはここにいるの」
そうでしょう、と、真っ赤な唇で。
彼女の言葉に押し黙った。瞳だけが笑っていない。にんまりと釣り上がった口角はまるで悪魔の微笑の様で、視線を落とす。
よく整えられた花壇から、ゆっくりと蟻の列が伸びていた。何も考えず、本能のままに、列をなして食糧を求める蟻の姿はまるで自分たちの様で。
こちらの視線を追った彼女の瞳が蟻を捉えた。テーブルの上の、角砂糖をぽとりと落とす。その長く美しい足の下に。
「何を……」
普段なら到底、そんなことはしないのに。
彼女はもう一度、「こんな風に」と笑って見せた。砂糖に群がる蟻に、とん、と軽い動作で足を落とす。突然のことに逃げ遅れた蟻たちを、仕留め損なわぬよう地面へと押し付ける。ぐ、ぐ、と、力を込めて。
息をつめて見ていた。彼女のつま先がゆっくりと動くのを。
それで、彼女が名前を呼ぶ。反射的に顔を上げて、彼女の悪魔のような笑みを見た。
「忘れないで。私が、あなたを、望んだことを。あなたは私の意思たった一つで、こんな風になることを」
真っ赤な唇は震えながら言葉を紡ぎ、それから、「本当に、簡単なのよ」と念を押した。
蟻を踏みつける足も、震えを飲み込む唇も。確かな熱があるはずなのに、ひどく褪せて、冷たく見えるのは。
(彼女もまた、誰かにとっての蟻に過ぎないからだ)
(20220612/00:15-00:30/お題:冷たい神様 )
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