030. 拾ったものは
ボールペンを拾った。
持ち主は分かっている。目の前を歩く背の高い女子生徒。ずんずんと大股で進んでいく姿は、迷いがなくて少し怖い。廊下でたむろしていた生徒たちが、彼女が通るのに合わせてちょっとだけ身を避ける。彼女は気にした風もなく進んでしまうけど。
ペンを落としましたよ、と、声をかけるだけでよかったのに、ぼくの声は届かなくてそのまま大きな背中を追いかけている。白いブレザーにこれほど焦がれたことはない。ちょっとでも止まってくれたらいいのに、とは、思うのだけれど。
別に、今じゃなくったって、後になって教室で渡してもいいんだって知っている。でも彼女の背中を追いかけたのは、声をかけるきっかけが欲しかったからだ。
同じクラスの、隣の席の、彼女と言葉を交わしたことはない。
挨拶をする程度の距離感で、引っ込み思案のぼくはいつも席で本を読んでいたし、周りからは「本の虫」だとよく揶揄われた。
彼女は隣の席だったが、ぼくのことを「本の虫」だと揶揄ったことは一度もない。
ただ時折、じっと、もの言いたげな目でぼくの事を見ていた。それで、ぼくも、彼女のように大きく、一人でいても平気なくらい逞しく、なれたらよいなあ、と憧れたのだ。
彼女は体が大きいこともあって。
周囲の女子からは浮いていた。背の順も一番後ろ。男子生徒より大きい体で、長い黒髪をポニーテールにしているから、動くたびにゆらゆら揺れて迫力があった。クラスメイト達が、彼女のそんな姿から、「馬女」と揶揄っているのを知っていた。ぼくには、とてもきれいに見えるのだけど。
「本の虫」と「馬女」が、教室で話をしていたら、一体どんな風に揶揄われるのかわからない。
声をかけるきっかけなんていくらでもあったのに、そうできなかったのはぼくが臆病だからだ。彼女に迷惑をかけたくないって建前で、自分も同じだけ、傷つきたくなかったのだ。それで、教室以外のところでの「きっかけ」を探していた。
ずんずん進んでいた彼女の足は、古い資料室の前でようやく止まった。それからくるりと後ろを向いて、ぼくの事を視界に収める。
ぼくは握りしめたペンを差し出すことも忘れて、追いついたことへの安堵に肩で息をしていた。
「何かあった?」
さも、友人のように。
彼女が問う。ぼくはぱちりと瞬きをして、汗をかき、すっかり体温が移ってしまった、細いボールペンを差し出した。
「落としたよ」
掌を広げてみせる。彼女がぼくの手の中を見下ろした。細いペンが転がっている。しっとりしちゃって、そのまま受け取られるのが恥ずかしい気もしたけれど。
「……ペン?」
彼女の手がそろそろとぼくの手の方に伸びて、そっとボールペンを掴む。
ぼくは体が小さいので、当然、掌もとても小さい。彼女の手の前では大人と子供みたいで、一瞬、その大きな手に自分の手が包み込まれる想像をした。
急に顔が赤くなったのは、だから、そんな余計なことを考えたからだったけど。
「あの……?」
同じように顔を赤くした彼女が、ぼくの事をまっすぐ見つめて、小さな口で「隣の席の」と声を上げた。名前、知られてなかったかな。少しだけ残念に思う。
それで、ぼくははっきりと、「小島さん」と名前を呼んだ。
「ぼくと、友達になって、くれませんか?」
ただきっかけを探していて、どうしてきっかけが欲しかったのか、すっかり忘れてしまったけれど。
真っ赤な顔でぼくを見つめる彼女は、その大きな体も含めて全部ぜんぶ可愛らしくて、ああ、女の子だなあ、と、そんなことを思ったので。
ボールペンのなくなった掌を、彼女の方へ差し出した。
小島さんはそっと優しくぼくの掌を包み込むと、「うん、」と小さく返事をした。
(20220608/01:15-01:30/お題:これはペンですか?違うわ、それは恋)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます