025. 出涸らしの私

 ごめんね、ごめんね、とチサは泣きながら鍋をかき混ぜている。ぐるぐる、ぐるぐる、彼女の小さな掌が握るお玉は、しつこいくらいに鍋の中を回っていた。

 ごめんね、ごめんね。

 チサが呟くように謝罪するたび、ぽろぽろと両の瞳から雫が零れた。両手はしっかりとお玉を握りしめているから、雫は零れるまま、鍋の中にぽちゃん、ぽちゃんと落ちていく。

 ごめんね、ごめんね、なんて。

 耳障りな言葉に私はそっと目を背けた。もうもうと煙が上がって、天井をうっすら黒く汚していく。青臭さと、酸っぱさと、それから妙な甘みを含んだ香りは決して良いものではなくて、鼻を摘まんで逃げ出したいのを堪えている。チサがぐるぐる、鍋をかき混ぜるのをやめない限りは、私もまた、この場から立ち去ることを許されなかった。

 時折、チサの小さな謝罪に混ざるように、こぽり、こぽりと鍋が沸き立つ音がした。もうそろそろだ、もうそろそろで、鍋の中身は完成するし、チサは泣くのをやめるだろう。


 ごめんね、ほんとうに。


 チサが果たして何に対して謝っているのか、私には知る由もない。

 涙を混ぜてしまうことについてなのか、スープ一つ、美味く料理できないことについてなのか、はたまた、あの鍋にとぽとぽと落として入れた、成れの果て、についてなのか。


 やがてずん、と地響きがして、大きな手が扉を開ける。急に入り込んだ空気のせいで、鍋の煙がむわりと私を通り過ぎていった。

 チサの何倍も大きな体の、男がこちらに寄ってくる。チサをみて、鍋を見て、それからチサは泣くのをやめた。


「どうぞ、おめしあがりください」


 直前まで泣いてたからか、はたまた、ずっと謝罪を繰り返していたからか。

 少しばかり舌足らずなチサの言葉に頷いて、大男が鍋を持つ。チサが全身でかき混ぜていた大鍋も、男は両手でひょいと抱え上げた。

 そのまま、スープを浴びるように。


 ぼとぼとと鍋の中身が落ちていく。男は液体以外を好まない。けれども“出汁”にはこだわるので、いつだって飲み干すときにぼとぼと残りを溢していく。

 男がそうして全部のスープを飲み干すのを、チサも、私も、黙って見詰めた。青臭くて、酸っぱくて、妙な甘さが充満する室内で。

 空になった大鍋を男が元の位置に戻してくれる。それからまた、ずん、ずん、と地響きと共に。


 ああ、と、チサが言った。

 ため息のような声だった。

 溢されて落ちた残骸の頭を抱え上げると、それからもう一度、小さな声で謝罪する。


「ごめんね、キリちゃん」


 そうしていつも、私の名前をそっと呼ぶのだ。


(20220518/22:45-23:00/お題:幼い料理)

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