016. ずっと、僕は食べられたかったのだ

 あなたはいつだって光を浴びて、きらきら、輝いているみたいだわ。


 そう言って彼女は良く笑う。くふふ、と声を潜めるようにして、右手をちょいと口元に添えたりして。そう言う彼女の方が僕の何倍もきらきら輝く笑みを浮かべているのを、知っているのは僕だけだった。

 この場所から出られない僕を見に、彼女は時折やってくる。気まぐれなのか、理由があるのか知らないが、天気の良い日にふらりとやって来ては、僕の目の前で座り込み、「輝いているみたいだわ」と笑うのだ。


 僕、以外の誰もいないこの場所で、彼女の存在は奇跡の様だった。

 分厚いガラス越しに隔てられていなければ、何度その体に抱き着いて、優しくキスをしたか知れない。眩しそうに眼を細める彼女はいつだって優し気で、きっと僕と同じ気持ちに違いなかった。


 彼女が来るのは決まって天気が良い日なので。

 雨が続くと僕は一人だ。ガラスの向こう、さらさらと降り注ぐ雨の匂いが恨めしい。最も、それが「雨」だと教えてくれたのは彼女だった。


 僕は何も持っていなかった。

 何も知らなかった。

 彼女は気まぐれに僕の事を見に来ては、僕が何も知らないことに気がついて、ぽつり、ぽつりとあれは何で、どういうものなのかを教えてくれた。

 僕と彼女を隔てるこの分厚くて透明な壁の事を、ガラスと呼ぶこと。ガラスを隔てた上に広がる青いものを、空と呼ぶこと。空は時間をかけてどんどん色を暗くして、やがて夜になるということ。空からぽつぽつ、さあさあ降り注がれる水の雫は、雨と呼ぶのだということ。

 空の中でも高いところに鎮座した、ぴかぴか輝く光の事を太陽といって、僕は太陽に似ているのだと。


 彼女の声は優しくて、僕が外に出たいと駄々を捏ねると、困ったように静かに笑った。


 雨が続いていた。

 彼女は暫く来ていない。気まぐれなのか、理由があるのか知らないが。

 たまには僕から、彼女の元へ会いに行きたいと思いつく。彼女がどこに住んでいるのか知らないが、彼女が来る“方向”は知っていた。同じところから彼女は来ている。この「部屋」はとても小さな世界だと、彼女が詰まらなさそうに呟いた言葉を思い出した。


 外に出る術を僕は知らない。

 でも、彼女に会うためならなんだってできる気がした。

 ガラスの上部は開いていた。つまり、ガラスを超えることが出来たなら、僕はきっと、彼女のいる“方”に行けるのだ。


 無性に声が聴きたかった。優しく笑う、あの顔に癒されたかった。

 柔らかく、ふわふわとした体に埋もれて。彼女と一つになれたならきっと幸せだろうと思えた。


 それで。


 僕は飛んだ。高く、高く。勢いをつけて、ガラスを越えて、ぱしゃん、と、ガラスの中の水が跳ねた。


(20220427/21:15-21:30/お題:冷たい熱帯魚)

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