013. 帰って来てと祈るように

 ぽつぽつと雨粒が窓を打つ音が響いている。

 薄暗い室内で、温めたばかりのカップにゆっくりと紅茶を注ぎ込む。透き通った赤色の茶は、カップに注がれた瞬間、ふわりと華やかな香りを吐き出して、私は思わずほう、と息を吐いた。

 暖房はつけていなかった。

 雪になるにはまだ少し気温が高い。代わりに裏起毛の毛布を膝にかけて、分厚い半纏を着込んでいる。時折風が窓をガタガタ揺らしたが、頑丈なこの家に冷気が入り込むことはなく、室内は存外暖かだ。

 ゆらゆらと揺れる蝋燭の向かいに、カップを一つ。

 私のカップと同じように、十分に温めたカップで、その中にとくとくと紅茶を注ぐ。なんの断りもせずにシュガーを二つ落としたのは、彼女が甘めの紅茶を好むからだ。シュガーは二つ、ミルクは入れない。ただし、二杯目を飲むときは、濃い目に出した紅茶にミルクを多めに混ぜて、シュガーは一つ。

 私は紅茶の飲み方にこだわりなどはなくて、ぽとぽととシュガーがカップに沈むのを見るたび、甘そうだなあ、と思っていた。こだわりがないから無糖、というのもあるが、単に甘いものをあまり好まない。

 甘くされたカップの前に、彼女は座っていなかった。

 もう一月ばかりになる。旅行が好きな彼女は、時折ふらりと一人旅に出かけては、前触れもなく帰って来て、沢山のお土産を押し付けたものだった。

 地元の名産品だというよくわからない彫刻の人形。複雑な模様の入った、とても小さな小物入れ。ごてごてとした装飾のつけられた帽子に、演奏の仕方がわからない、その地域で作られる楽器だったこともあった。

 一見すると無意味な、使いどころのない、不必要なお土産ばかりだったが、私はその一つ一つが愛おしくて、彼女から貰うたび、自室の棚にひとつひとつ、丁寧に並べて飾った。彼女は私に贈るとそれで満足してしまうようで、私がそれらをどのように保管しようが、特に気にしていないようだった。

 唯一、彼女が持って帰るお土産について、私と共有することを喜んでいたのが、茶葉についてだった。

 その地域のお茶を見つけると、試飲して余程口に合わなかった物以外、沢山購入して帰ってくるのだ。そして、そのお茶を私に入れさせながら、蝋燭一本だけを立てた薄暗い室内で、旅先の思い出を話すのが好きなようだった。

 彼女の旅行は、それで、漸く終わりになるのだ。私と蝋燭越しに思い出を語ることで、彼女は次の旅行を考える。彼女の声はいつも柔らかで、ゆっくりで、その実名女優のように感情を余すことなく声にのせて、時には身振りもつけて。

 私は彼女の思い出を聞くのが好きだった。大好きだった。

 どこへ向かって、何をして、何を食べて、どんな人たちと出会ったのか。一字一句を覚えている。


 一か月前、行ってくるね、と出かけた彼女が、小さな箱になって私の前に現れたのは、信じがたい事だった。

 沢山の無意味な、使いどころのない、不必要なお土産は一つもないのに、やっぱり、使い道のない、小さな小さな箱に収まって、帰ってきてしまった。

 対面できたのはほんの数分の事で、血縁のない私はその箱を受け取る事ができなかった。


 だから彼女は帰ってきていない。

 彼女の度は終わっていなくて、私は毎夜、蝋燭越しに紅茶を入れる。

 シュガーを二つ。きちんと彼女の好みに合わせて。


(20220417/18:15-18:30/お題:彼女とお茶)


 それで、いつものように、思い出を話してくれるのを待っている。

 いつまでも。

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