008. チョコレートパンは美味しく頂きました

「エリサ・グリーン! またあなたですか!」

 教室中に響く大声に体中がびくりと竦んで、私は手にしていたお玉を反射的に取り落とした。

 大鍋をかき混ぜていたお玉は、私の手が引っ込むのに合わせてビョンッと鍋から弾き出て、そのまま床の上に落ちてしまう。弾け出た瞬間に飛び散った大鍋の中身があちらこちらに飛散して、周囲の生徒たちが嫌そうに少し避けた。といっても、私の周囲に人は殆どいない。誰だって、毎回鍋をひっくり返したり爆発させたりする人の傍で薬は作りたくないだろう。

「チ……チャコット先生……」

 のし、のし、と効果音が聞こえてきそうな大股で、薬学教授であるチャコット先生が私の傍にやってきた。先生は私の鍋を少し遠めにじっと見つめると、先ほどの怒鳴り声と裏腹に、はあ、と深く重たい息を吐く。覗き込まれた私の鍋は、先ほど起こした小爆発のせいで今なおくつくつと泡が浮かんでは消え、浮かんでは消え。

 今日の薬は初級の変色薬だ。物体に垂らすとレインボーに色を変えることのできる、人体には無害な薬だが、変身薬を生成するのに必要不可欠な薬で、中級になると色を単色に指定する技術が発生する。初級はそこまで複雑ではないので、色の指定はないし、だからレインボーになってしまう。

「……鍋の中がなぜ、既にレインボーなのか、答えなさい」

 チャコット先生は私の顔をじっと睨みつけると、泡立つ鍋を指さして問うた。

 初級変色薬はレインボーにする効果があるが、薬液自体は無色透明になるはずだった。私の大鍋の中は、どういうわけか既にレインボーに明滅している。少しチカチカして眩しいくらいだ。

「えっと……」

「何か、また、違うものを入れましたね?」

 一歩、私の方に詰め寄りながら、チャコット先生は怖い顔をした。

 それで、鍋の横の作業台に散らばった、“トカゲ”の残骸を見つける。しまった、と、私は思った。

「なんですかこれは!」

 どうか誤魔化せますように、と思ったのに、チャコット先生は目敏く“トカゲ”の尻尾をつまみ上げると、私の目の前にぶら下げてみせる。ぶらぶら、揺れるそれは、“トカゲ”……を、模して作った、チョコレートパンの残骸である。

「えっと……トカゲの形をしたチョコレートパン……ですね……」

 ばれてしまってはしょうがない。正直に答えると、チャコット先生の目がこれ以上ないほどに吊り上がった。

「なぜ! 本物のトカゲじゃなくて! チョコレートパンなんかを入れるんですか!」

 それから、先ほどよりも大きな声で激怒した。

 あまりの大声に、教室全体がガタガタと音を立てたようだった。室内にいる全員が、固唾をのんで私とチャコット先生を見守っている。初級変色薬は火の扱いも簡単なので、多少目を離していても問題ないのだ。

「え、えへへ……」

 とりあえず、誤魔化しの笑みを浮かべる。チャコット先生の目がギラリと光った。

「す、すみませんすみません! トカゲの用意を忘れて、たまたま売店で打ってたチョコレートパンで代用しただけなんです!」

 それが、雷が落ちる合図だと理解していたので。

 慌てて頭を下げて真実を述べた。チャコット先生の髪の毛がゆらゆらと逆立っていき、掴まれたままのトカゲのしっぽがぼとりと落ちる。

「形があってればいいわけではありません!!!」

 そりゃ、そんなことは知ってたけども。

 面白そうかなって思ったんだ、とは、さすがに告げずに黙っておいた。


(20220410/20:45-21:00/お題:トカゲのふわふわ)

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