004. トカゲの黒板

 がたがたと激しい音を上げて、黒板に白い文字が書きつけられていく。

 私にはよく理解できない数式の羅列、XだのYだのくらいならなんとなくでも雰囲気が掴めるが、読み方すらよくわからない記号が混ざったり、大きい数字や小さい数字が組体操みたいになっていたり、わからなさ過ぎていっそ遊んでいるようにも見える。けれど、決して彼女が遊んでいるわけではないことを私は知っていたし、彼女が書きつけるこの白い文字の羅列、が、多分理解できる人にはとんでもなく貴重なものなのだろうと知っている。

 こういうのをトランス状態と言うのだろうな、と、チョークの粉塗れになる彼女を見ながらいつも思う。外国の血が混ざった青色の瞳は、まっすぐと黒板に向けられて、それ以外を見ようともしない。

 頭の中を整理するように書きつけていくものだから、手の動きに合わせてぶつぶつと声が漏れるのも特徴的だった。初めて見た時は、とうとう気でも狂ったのかと心配になったくらいだ。

 ただ、こうして「発散」させることで、彼女は何とか日々の苛立ちを解消しているのだとも、理解していた。

 彼女にとってはつまらない授業、変化のない日常。まるで鳥かごに閉じ込められたみたいだ、とは、よく嘆くように言っていた。それから、なんてことなく過ごす私を少しだけ、憐れんだように見下ろす。

 彼女と私の頭の造りが違うことくらい、きちんとわかってる。私は彼女と同じものは見れないし、彼女も私と同じものは見れない。

 ちょっとした人の優しさも、些細な日常の変化も、多分彼女にとってはつまらない事の一つだ。

 そうしてすべてを憐れんでいるのだろう、と、知っていながら、それでも私は彼女のことが好きだった。


 チョークの香りがする。がたがたと文字を打つ音は止まらない。後一時間はかかりそうだ、とあたりをつけて目を閉じた。彼女の呟きはぶつぶつと、今日も何を言っているのかはわからない。


「勿体ないなあ」

 呟きも当然、彼女に聞こえるはずもなく。

 彼女の、日常的ではない、ところが好きだった。

 一生懸命、私を理解しようとしてくれる姿勢が好きだった。

 がたり、一つ大きな音がして、音が止む。不思議に思って目を開けた。彼女の、澄んだ青い瞳が、珍しいことに黒板ではなく私の事を見つめていた。

「……楽しい?」

 問いかけには笑みを返す。

 最後は消されてしまう、彼女の文字の大群は、今日も芸術的に美しい。

 それがきっと、消えてしまうところも含めて。


 私の笑みに彼女は興味を無くしたように、もう一度黒板へと向き直った。がたがた、再び響き始めた音に耳を傾ける。


(20220406/23:39-23:45/お題:トカゲの黒板)

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