第25話 新堂先生と猫
「猫と話したよ、」
なんて、新堂先生が間抜けなことを言ってきたのは、私が猫に出くわしてから1週間も立たないうちだった。私は頭を抱えた。
「えーっ、と、疲れていられるんですか?」
「いや、至って真面目だけど?」
「は、はぁ、」
話を聞けば、先日新堂先生が15時頃に病棟を訪れたところ、猫が深春君の病室に行くところに出くわしたらしい。それで、話しかけたと。
「おいおい、君。君は猫だ。動物だ。ここに入ってきてはいけない。ここは動物禁止なんだから。」
と、新堂先生は言ったらしい。すると猫は申し訳なさそうにうなだれたと言う。
「いいかい、まあ、君のおかげで確かにあの子は元気になっているけど、だからと言って許せない。」
頭を撫でてやると、猫は頷いたらしい。
「だからもう、来たらダメだぞ。」
そう言ってあろうことか、新堂先生は猫を捕まえず深春君の部屋に行かせたらしい。
「猫は見つけたらすぐに捕まえて、って話、聞いてないんですか!?」
私は新堂先生を咎めたが、新堂先生は意外な反応をした。
「知ってるけどさ、どうせすぐに引き離す。」
思わず私は首を傾げた。
「引き離す?何をですか?」
新堂先生は私の書いていた記録に、追加で何かを書き込み始めた。
「最近深春の調子がいいのは、北野も知ってるだろ?」
新堂先生は、ボールペンでサラサラと何かを書いていく。
「...はい、それが何か関係あるんですか?」
「これは俺の解釈だから、合ってるかはわからない。だけど可能性はあると思うんだ。」
そう言って、新堂先生は珍しく顔を曇らせた。
最近、深春君の調子がいい。それはあの猫の噂が出始めた頃と、丁度時期が重なっていた。あんなに部屋に引きこもりだったのに、ロビーに出るようになって、私達が話しかけて返事をしてくれる事も多くなった。そして何より、よくスケッチに励むようになった。最近は集中していることが多く、そっとしてあげる時も多かった。深春君の顔は心なしか明るくなっていた。新堂先生はそれが、あの猫のおかげだと考えているらしい。
「春陽っていうのは猫の名前で、もしかしたら深春には猫が人間に見えているんじゃないかって思ってる。」
「人間...ですか...?」
「うん。この前深春の診察をした時スケッチブックを見せてもらったんだよ。まあ、覗いたんだけど。で、聞いたんだ。「何を描いてるのって。」」
すると深春君は微笑んで答えたらしい。
「ああ、これは最近モデルをしてくれている、春陽さんです。」と。
「でも、スケッチブックには確かにあの猫が描かれていた。」
私はその時初めて、新堂先生の考えていることが分かった。
「深春にはあの猫が春陽という一人の人間に見えている。そして学校で声をかけて、モデルになってもらったと思ってるんだ。」
深春君が元気な裏にはそんなことがあったのか、と私はパンクした頭でなんとか理解した。
「じゃあ、あの猫は深春君目当てで病棟に入ってきて、深春君の部屋を出入りしてるってことですか?」
新堂先生は、いつの間にかコーヒーを手にしていて、それを飲みながら答えた。
「まあ、そういうことになるな。俺が見た時、あの猫は完全に深春の部屋へ向かっていた。...噂は本当だったな。」
まさか深春が関係してるとは思わなかったけど、と新堂先生は笑った。私は愛想笑いもできず、二人の間に沈黙が流れた。私は考えていた。
猫を人間だと思って、それをモデルにしてスケッチを描いてた。とんでもない話である。だけれど、それは深春君にとって唯一心安らぐ時間だったのかもしれない。高校時代、彼に友人はいなかったと聞いている。彼には絵しかなかった。そんな中で、はるひというモデルと出会えた。私が話を盗み聞きしてしまったあの日も、深春君は穏やかな顔をして、はるひに話しかけていた。きっとその時間は、深春くんにとって初めての優しい時間だったのかもしれない。私はならば、二人をそのままにしておくのが一番だとおもった。深春君が唯一安らげる時間なら、それが例え妄想だったとしてもその時間を奪いたくない。もしかしたら深春君の病状の改善に繋がる可能性だってあるかもしれない。私はなんとか、深春君と猫が会っていられる時間を続けられないかと悩んだ。が、新堂先生は、私の考えを見透かしているように言い放った。
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