第4話 名前
その日の放課後、僕が美術室へ向かうと、すでに春陽は椅子に座り、窓から外を眺めていた。僕は本当に話を聞いてくれたんだ、と少し弾んだ気持ちを抑えながら、スケッチに入る前の軽い挨拶をした。
「こんにちは、来てくれてありがとう。結構1、2時間はかかるんだけど、用事とかない?あー、えーっと、名前、聞いてなかったね。僕は深春(みはる)。君の名前は?」
そう言うと、彼女は不思議そうにこちらを見つめていた。が、数秒遅れで理解したような素振りを見せて、更に首を傾げた。僕もつられて首をかしげる。
「あの、名前、は…?」
彼女はしばらく悩む素振りを見せてから、こちらをじっと見て、口を開いた。
「...キミが決めて」
そう言って彼女は僕の返事を待った。僕が決める?一体どういうことなんだと聞き返しそうになった。が、彼女は毅然とした態度で変わらず僕の返事を待っていた。まぁ、元々ミステリアスな噂のある彼女だ。こう言うことの一つや二つ、彼女にとっては珍しいことではないのかもしれない。僕は言われるがまま、名前を考えた。
彼女を改めて見た時、一番に目を引くのは美形の顔もだが、僕的には栗色の方まで伸びたストレートヘアだった。その髪は、猫の毛のように触り心地が良さそうで、陽の光を連想させる温かさを持っていた。僕はそれを絡めることにした。
「じゃあ…、はる、ひ。春に太陽の陽で春陽。どうかな?」
我ながらいい名前だと思ったが、彼女が気に入ったかは分からない。と思い彼女の様子を伺ったが、彼女は直ぐに頷いた。
「え、こんな名前でいいの?」
確認するように聞いたが、彼女はまた頷くだけだった。その時、僕はなんとも言えない高揚感に包まれた。もしかしたら僕は、本当の名前など知らなくていいのかもしれない。だって子の名前は僕と彼女だけの秘密の呼び名なのだから。彼女と僕だけが交した秘密。それは僕の気持ちを高ぶらすには十分だった。そうして、僕は彼女を⦅春陽⦆と呼ぶことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます