始まり

 天涯孤独の私を置いて、最愛の彼は逝ってしまった。


 逝って、しまったんだ……。


 彼とは、付き合って数年経っていた。

 

 数年も経つと色々な事を知る。


 小さな癖や所作、ちょっとした喜びや悲しみの仕草も。


 彼自身の性格なんかも充分理解していたはずだ。


 でも、私は唯一彼のご実家の事はあまり知らなかった。


 付き合った当初、彼は由緒正しい家系だということは知っていた。

 

 何でも、先祖代々から続く反物屋の経営者らしい。

 

 らしい、というのは、彼はあまり話したがらなかったから、詳細は知らない。

 

 苦々しげな表情を浮かべる姿から察するに、良い家系ではなさそうだった。


 私は物心つく前から天涯孤独の身なため、家族間のことはよく分からないから、余計な口を出してはいけないとも思ってた。

 

 後にも先にも、正解と胸を張って言えた選択はこれだけだったと思う。

 

 あの時、私が駆け落ちしようと拐かさなければ、どんなに良かったか。

 

 付き合って両手で数えきれないほどのデートを重ねた頃、もう僕たちは会えないと言われた。

 

 衝撃的すぎて、デートの内容をあまり覚えてない。

 

 かろうじて、別れを告げられた瞬間は覚えている。

 

 聞いたこともないお洒落な洋楽の曲が流れているカフェだった。

 

 アンティーク調の家具がこじんまりとした店内に収まっていて、私たちは奥に座っていた。

 

 今思えば、あそこは死角だった。

 

 ワザと、そこを選んだんだろう。

 

 いつもなら二人一緒にアイスコーヒーを片手に話し込むのに、彼は店に来て早々、グラス半分まで飲んでしまった。

 

 よっぽど喉が渇いていたんだなぁと私は呑気に考えていた。

 

 眉間の皺が深く刻まれている姿を見て、やっとただごとではない雰囲気を感じたが、身構えるのが遅すぎた。

 

「俺たち、もう会えない」

 

 簡単な言葉なのに、頭の中で意味を読み解くことが酷く難解に感じた。

 

 モウ、アエナイ。


 その言葉だけが身体中を反芻して、暫く呆然としていた。

 

 やっと何でそんなことを言うのか、と彼に問いかけたのは、アイスコーヒーが大分薄くなってからだった。

 

 彼は重苦しい表情を浮かべて少し思案した後、ポツポツと話し始めた。

 

 彼は江戸時代から代々受け継がれた、由緒正しい反物屋のご嫡男だった。

 

 将来跡を継ぐ事になるのだが、彼自身は嫌だったそうで悉く反発していた。

 

 彼は自由を愛し、現に自由に生きていた。

 

 学校も、仕事も、親が勧めたモノは絶対に受け入れなかった。

 

 どれだけ説得されようが、罵倒されようが、自分のやりたい事を絶対に曲げなかった。

 

 彼のご実家が学費を出さないという手段を使っても、彼は奨学金を取るなどして、反抗した。

 

 しかし、ご実家も彼を跡取りにする事を諦めず、この間勝手に決められた婚約者と結婚式の日取りを取り付けられてしまったらしい。

 

 もう愛している人がいるから、と何度も説得し、絶縁宣言までしたらしい。

 

 そこからご実家からの嫌がらせが始まった。

 

 住んでいる家に無言電話が相次いだり、郵便ポストに大量の暴言が書かれた手紙が届いたらしい。

 

 彼自身は何とか耐えていたが、この間とうとう大人しく戻ってこないのならお前の愛している人を酷い目に合わせる、との手紙が来た。

 

 私に身の危険が及ぶ事に恐怖した彼らは、苦渋の決断で離れる事にしたらしい。

 

 冗談じゃない。

 

 開口一番に、そう言った。

 

 ヤクザみたいな恐喝を仕掛けてくる家系に、彼がいる意味もないし、戻る事もない。

 

 ましてや、彼抜きの人生なんて考えられない。

 

 一緒に逃げよう。そして、私とずっと一緒にいよう。

 

 力強く、そう言いきった。

 

 何だかドラマみたいな展開だな、とどこか冷静な自分が、状況を客観的に見ていた。

 

 彼は驚いて暫く私の顔を見つめていたけど、覚悟した姿を感じ取ったのだろうか。

 

 ゆっくりと頷いた。

 

 心なしか、流されるままに頷いたようだった。

 

 それだけ、彼は追い詰められていたんだろう。

 

 彼の側で自分勝手な幸せの日常を噛み締めていた自分を、引っ叩きたくなった。

 

 そこからは怒涛の勢いで駆け落ちの準備を進めた。

 

 準備といっても、荷造りは移動しやすいように最小限に留めたため、早めに終わった。

 

 出発は、平日の昼。

 

 カフェで駆け落ちを決めたその瞬間に、電車の予約をスマホで取った。

 

 行動は早めの方がいい。いつ、何があるか分からないから。

 

 ああ、今思えば急がなくても良かったのに。

 

 当時の私は彼を救いたいという思いを建前に、ただただ彼を取られたくないと気が急いていた。

 

 電車に乗ったら、永久の愛とともに彼の傍にいれるのだ。

 

 私たちの明るい未来は近い。

 

 そう希望を胸に、私は駅のホームで彼を待っていた。

 

 駅のホームは子供の泣き声や騒ついた話し声が少し聞こえたが、あともう少しで電車が到着するという旨のアナウンスでほとんど掻き消された。

 

 どうしたのかしら。いつもは待ち合わせの五分前には姿を見せるのに。

 

 私は周りを見渡した。

 

 ホームを行き交う人々の波に呑まれそうになるが、なんとか足を踏ん張って耐える。

 

 なんだか、人がやけに多い気がする。

 

 駅のホームは今まで二、三度ぐらいしか彼と訪れた事がなかったが、ホームに人がひしめき合うほどいた記憶がない。

 

 何かイベント事があったかしら……?

 

 少しの間考えを巡らせていると、それはすぐに出た。

 

 そうだ、お盆だった。

 

 なんで気づかなかったんだろう。

 

 あの時は、とにかく彼を連れ出したかったし、狂人とも呼べる人たちから逃げたくて必死だった。

 

 直近で彼と私の用事がない日にちに設定したから、お盆だなんて気付いてなかった。

 

 まあ、別段お盆以外の日にちじゃなきゃだめって訳ではないけれど……こうも隙間なく人がみっちりひしめいていると、彼を見つけられるか不安だ。

 

 先程より注意深く辺りを見回した。

 

 人波の隙間から目を凝らして、彼の姿を探したり、すれ違った人の顔を覗いたりしたが、なかなか見つからない。

 

 焦りと不安が募る。そろそろ来る頃合いなのに……。


 実際アナウンスに混じって、遠くの方で電車が風を切る音が聞こえている。


 早く彼を見つけないと。

 

 私は携帯電話を取り出した。

 

 今思えば辺りを見回して、なんて回りくどい事をせずに、さっさと電話すれば良かったのに。

 

 彼を見つけないと、という思いが先走り過ぎてしまったのだろう。

 

 まあ、今更冷静に分析したって遅いけど。


 とにかく、私は彼に電話しようと電話帳を開いて、あらかじめ登録しておいた彼の番号を押した。

 

 くぐもったコール音が耳に反響し、私は思わず息を潜めた。

 

 一コール、二コール、三コール……回数を増す毎に、胸騒ぎが顕著に出てきた。

 

 嫌だ……。

 

 そんな率直な思いが口をついて出ようとした時、電車が視界を過った。

 

 来てしまった、と絶望する前に、電車が金切り声を上げた。

 

 私の肩が跳ね上がり、その拍子にスマホを落としてしまった。

 

 周囲の喧騒にメスを入れるような大声がホームに響き渡った。

 

「人が轢かれたぞ!」

 

 耳に当てていた、着信音がフツ、と切れる。

 

 情報量が多くて、私は混乱した。

 

 すぐに留守番電話サービスに繋がるのに、無機質さが薄れた若い女性の声は一切耳に入ることはなかった。

 

 しかも、大声の後に不自然に途切れて……。

 

 そんなはずはない……わよね。

 

 私はたまらず人波を乱暴に掻き分け、声がした方へと向かって行った。

 

 ホームの先で人がさらに密集してて、スマホを片手に

動画を撮っている。 

 

 その姿が異様に悍ましかった。

 

 でも、それよりも……。

 

 線路に落ちた子供を隣の線路に退け、自ら犠牲となった彼の変わり果てた姿の方が勝った。

 

 これ以上細かく思い出したくもないし、そもそも思い出せなくなった。

 

 気づいた時には彼の遺体は彼の実家へ引き取られていた。

 

 騒動を見かねた彼と共通の知人が、憔悴し切っている私に教えてくれたのだ。

 

 でも、私には何にもできない。

 

 私は彼の遺体を取り返す気力はないし、取り返したとてお葬式を挙げるお金もない。

 

 ああ、どうしてこんな事になったんだろう。

 

 あの時私がもっと真剣に探していれば。

 

 もっと早く電話をかけていれば。

 

 そもそも駆け落ちしようなんて言わなければ、こんな事にはならなかった。

 

 私が殺したも、同然じゃないか。

 

 合わせる顔なんてない。合わせる顔なんて……。

 

 心の中で私は必死にそう言い聞かせた。

 

 『生』に置かれた私は、彼に何にも出来ない。

 

 むしろ、何かあるの……?

 

 何が、出来るの?

 

 私は懸命に頭を働かせた。

 

 長い一本の糸をこちらへ手繰り寄せるように、必死になって考えた。

 

 夜通し、何にも食べず飲まずで考えた。

 

 頭の中に霞がかかって、もうダメかもしれないと思った時、朝日が家の窓から差し込んだ。

 

 私は窓辺にある、足の低いちゃぶ台にもたれかかるように考えていたから、柔らかな光が身体をほんのりと照らした。

 

 ああ、もうそんな時間か。

 

 私はふと窓を見た。

 

 カーテンを閉めてなかったから、光が堂々と家の中に入っている。

 

 そして、窓の向こうには、燦々と光る太陽があった。

 

 何だか胸の奥が苦しい。

 

 苦しいけれど、自然と背筋が伸びる。

 

 今こんな所で悩んでても、時間は無常に過ぎていくのだ。

 

 霧がかかった頭が、音もなく晴れていった。

 

 さらに、太陽が後押しするかのように、私の背中を押した。

 

 こうしてダラダラ考えていても、切羽詰まるぐらいだったら動いた方がいい。

 

 次に私が現段階で、行動出来るものといったら……。

 

 ああ、そうだ。彼の葬式に行こう。

 

 彼を、見送る事が出来るから。

 

 何より、私は謝らなくてはいけない。

 

 酷い目に合わせてごめんね、痛い目に合わせてごめんねって。

 

 自分勝手な贖罪と言われればそうなのかもしれない。

 

 当の本人はもの言えぬ肉塊となっているし、私が謝った所で生き返る訳でもない。

 

 けれど、謝らない方が酷……よね。

 

 彼の厄介な親族が気になるけど、鉢合わせないようにうまくやればいい。

 

 中に入るのは難しいから、外でひっそりと手を合わせるだけになるだろうけど、行かないよりはいいだろう。

 

 行き詰っていたのが嘘のように、計画を立てて行く。

 

 スッキリした頭の中で、計画を立て終わると、ちゃぶ台から離れた。

 

 軽く身支度を整え、家を出る。

 

 手には財布と携帯だけ。

 

 葬式に行く準備に取り掛かった。

 

 まず、彼と駆け落ち後のために貯めておいたお金で、一等上等な喪服を買いに行った。

 

 折角なら、綺麗な姿で見送りたい。

 

 それに、彼のご実家は反物屋だ。

 

 もし最悪の事――ご実家と鉢合わせる事を想定して、おかしくない格好にしなくては。

 

 まあ、顔を見た事はないから、恋人だという事はきづかないと思うけれど、念には念を入れて、だ。

 

 私は、強く決心する。

 

 お葬式に行って、彼をしっかり弔おう。

 

 生きて、弔うしかない。

 

 私は大丈夫よ、って。安心して、天国に行って、って。

 

 彼の為にも、そう言わなければ……。

 

 烏滸がましくても、自分勝手でも、彼の分まで生きなくては……。

 

 彼の葬式当日、雲一つない快晴だった。

 

 まるで、彼の人柄をそのまま具現化したようだ。

 

 空を見上げていると、彼との思い出が、次々と浮かんでは消える。

 

 彼はご実家の件では笑顔を曇らせていたものの、私と一緒にいる時はあまり笑顔を崩さなかった。

 

 仕事で疲れた様子は出すが、声を掛けると瞬時に笑顔に切り替わる。

 

 彼は、そういう人だ。

 

 曇りなんて、一点も見せない人だった。

 

 私は、黒い小さな手提げ鞄から宝物を取り出す。

 

 今日みたいな青空の下、眩しい笑顔でピースサインを突き出している写真だ。

 

 彼と旅行に行った時に、私がノリで撮った。

 

 ノリで撮った割には、ピントもズレる事なく、彼の笑顔が綺麗に写っている。

 

 もう写真と思い出の中しか、この笑顔には会えないのね。

 

 ふと、そんな事が浮かんで私の目尻に涙が溜まった。

 

 頬に一筋の生暖かい液体が伝い、すぐに我に返った。

 

 いけない、泣いてる場合ではないわ。

 

 化粧が崩れない程度に、人差し指で頬についた液体をそっと掬う。

 

 まだ目に涙が溜まっているのか、視界がボヤけて目の前に建物があるはずなのに、輪郭が空と馴染んで捉えることができない。

 

 下の方に溜まっている、黒い小粒のようなものも、建物と馴染んでシミを作るかのようにジワジワと広がっていく。

 

 私は化粧が多少落ちる覚悟で、手の甲で涙を拭き切った。

 

 すると、視界が一気に整頓された。

 

 建物を肩取る輪郭は空と完全に切り離され、白い箱型のような建物が、コンクリート塗装されている。

 

 黒いシミだと思っていたモノは、スーツや喪服を着た参列者だった。

 

 あそこに、苛烈なご実家がいる。

 

 彼のご実家とは顔を合わさないようにしよう。

 

 最悪、何を言われるか、分からないから。

 

 私は参列者が中に入る時を待った。

 

 完全に姿が見えなくなってから、葬儀場に近づくのが良いだろう。

 

 受付がいるから中には入れないが、彼の近くで最後のお別れができるだろう。

 

 参列者は暫く入り口前で屯っていたが、段々と疎になり、いなくなった。

 

 もう、大丈夫ね。

 

 私はそっと入り口に近づき、手を合わせて彼を弔おうとした。

 

 入り口はガラス張りの自動ドアになっていて、中の様子が少し覗ける。

 

 あら、何だか変だわ。

 

 私はふと、中を凝視した。

 

 白い布で覆われている長机があり、『受付』と書いた張り紙がついている。

 

 どの参列者が来たか、確認する場所なのだろう。

 

 だが、それを確認する肝心の人がいない。

 

 受付担当の人はおろか、周りに人っ子一人いない。

 

 もう親族がいなくなったから、離れたのだろうか。

 

 それとも、単なる休憩?

 

 どんな理由があるのかは分からなかったけれど、今は受付周辺に、人がいないという事実は揺るがない。

 

 私は今、絶好の機会が訪れているのではないだろうか。

 

 彼のご実家に、知られる事は、今この瞬間はない。

 

 後々に気づかれるかもしれないけれど……。

 

 いや、でも後になって気づかれるって、どう気づかれるのだろう。

 

 私は葬儀場の会場までは中に入らず、ドアの前でひっそりと弔う事は出来るのではないか?

 

 顔はどっちみち見れないけれど、彼を近くで、感じていたい……いたいのよ……。

 

 気がつけば、私は自動ドアを通っていた。

 

 ああ、外で弔う予定だったのに、計画が狂ってしまったわ。

 

 でも、仕方ない。

 

 彼の魂の抜け殻が、この世に留まる最後の時なんだもの。

 

 これぐらいの無茶は、したくなってしまう。

 

 自分自身に言い聞かせながら、私は葬儀の受付を素通りし、中へ入る。

 

 中は白い廊下に、灰色の壁という簡素でどこか陰気な空間だった。

 

 落ち込みを助長させるという程ではないが、こう、空間が暗いとフッと胸中に影が刺さった。

 

 でも、悠長に感じている場合ではない。

 

 早く彼のところに行って、弔って帰らないとご実家といつ顔を合わせるか分からない。

 

 私は彼の葬儀会場まで歩き始めた……が、受付から離れたところで、足が止まった。

 

 どこに行けば良いのかしら。

 

 本来、私は招かれていない立場だから葬儀場が何処かなんて、知る術がなかった。

 

 どうしようと途方に暮れ、白いタイルの廊下をウロウロと歩いていると、足音が聞こえてきた。

 

 いけない……! 誰か来るわ……!

 

 私は慌てて隠れようとしたけれど、ここの廊下は身を隠せるような物はない。

 

 受付の机の下なら隠れられると思うけど、足音はそちらの方からしているのだ。

 

 戻ったら鉢合わせてしまう確率が大きい。

 

 私はそのままなす術がなく、ただオロオロと廊下で慌てながら必死に祈った。

 

 どうか、案内係か私の事を知らない人でありますように、と。

 

 足音が段々と近づいてくる。

 

 私は必死で背を向いて、壁際に寄った。

 

 もう、すぐそこまで足音がする。

 

 スルスルと廊下と草履が擦り合う音が、私の精神を削ってくる。

 

 早く、早く通り過ぎて……。

 

 更にそう祈った矢先、肩を掴まれた。

 

 驚く暇も与えてはくれず、私はグルンと身体が半回転した。

 

 皺が幾重にも刻まれた、初老の婦人が目の前に立っている。

 

 私は最初、誰だか分からなかった。

 

 彼はご家族の方を話さなかったし、写真も見せてくれなかったから。

 

 でも、喪服を着てる時点で、案内係ではないことは分かった。

 

 ならば、母親か親戚か……どちらにしろ、私の事を知らないでほしいと思った。

 

 だけど、その祈りも儚く散った。

 

「アンタが……アンタがかわりに死ねば良かったのよ!!」

 

「返せ! 私の息子を返せ!!」

 

 気づいた時には、私は冷たい床に倒れ込んでいた。

 

 それとは対照的に頬が熱くて、思わず手で覆った。

 

 ……そんなの、どうにもならないわよ。

 

 私は罵声を背中で受けながら、フラフラと建物の中から出た。

 

 ……死ねるぐらいなら、そうしたいわよ。

 

 でも、仕方ないじゃない。

 

 勇気も、機会もないんだから。

 

 それがないから、ただただ彼を弔うことしかできないのよ。

 

 なんでこんな惨めな思いしなきゃいけないの、私だけ。

 

 ……いや、全部自業自得だわ。

 

 駆け落ちを計画しなければ、彼は死ななかった。

 

 そもそも彼のご実家に会ったのだって、私が要らぬ行動をした結果じゃないの。

 

 全部そう、全部。全部私が行動したのが悪い。

 

 全部、私が悪いのよ……。

 

 どす黒くて醜い思考が、私を染め上げる。

 

 どうやって着いたのだろうか。

 

 気がつけば、駅のホームを歩いていた。

 

 多分、足が自然と帰途に向いたのね。

 

 帰巣本能ってやつかしら。

 

 私は自嘲気味に笑った。

 

 その拍子に、少し身体が斜めに傾いた。

 

 駅は人がごった返しているから、容易に他人と身体がぶつかる程の距離だ。

 

 私は何人かにぶつかりながら、歩を進めた、と思う。

 

 記憶が曖昧だから、何をしていたかなんて分からない。

 

 けれども、相変わらず自分を責め続ける言葉は出てくる。

 

 こんな自分、生きていていいのかしら……?

 

 なんで……亡くなった彼の分生きなきゃいけないのかしら。

 

 あの人が悲しむから? それとも、ただの……私の自己満? 

 

 だって、彼は駆け落ちっていう手段を取ってまで、一緒にいようとした事を受け入れたのよ。

 

 私と共にいる為だけに。

 

 だったら、私一人だけが彼の分まで生きるのはお門違いじゃない……?

 

 フラフラと歩きながら、人混みの隙間からチラリと見えた。

 

 黄色い点字ブロックの先にある、薄焦げた線路が。

 

 ……後、数歩先足を進めたら……

 

 ……彼に、会えるかしら……

 

 その思考が過った時、私の足は自然とホームの外側へと歩を進めた。

 

 前に進む障害が多くて困ったが、何とか足を動かす。

 

 足がもつれそうでも、心臓の高鳴りで胸が張り裂けそうでも、どんどん、どんどん……

 

 ふと、立ち止まる。

 

 錆びついた線路がそれぞれ歪な大きさの石の上に敷かれている。

 

 これからする私の行動を咎める意思もない。

 

 ただそこに、いる。

 

 私はそれが嬉しかった。

 

 暫く線路を見て、徐々に高鳴る鼓動に合わせて呼吸が乱れていった。

 

 まだ、早い。まだ早いわ。

 

 今行動を起こしたら、彼みたいに親切な人が駆け寄ってきてしまうかもしれない。

 

 そんな余計なお世話をさせないためにも、私はひたすら待った。

 

 掌に汗が滲み、爪が食い込む。

 

 段々と身体を斜に構え、錆びついた線路を食い入るように見つめた。

 

 いつでも、出来る。

 

 そう確信した時、アナウンスがかかった。

 

『まもなく、〇〇線に電車が参ります。黄色い線の内側にお下がり下さい』

 

 来た!

 

 私は勢いよく黄色い線の外側に飛び出した。

 

「ま、待って!」

 

 誰かの声が聞こえたけど、私は聞かなかったフリをして、線路へ飛び込んだ。

 

 丁度、鉄の塊が突っ込むのとほぼ同時だった。

 

 私の身体はひしゃげ、目の前の光景がフッと音も立てずに消えた。

 

 ああ、これで、やっと一緒になれる。

 

 今、行くわね。私の最愛の人……。


 

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