後悔
僕は、駅で電車を待っていると、唯一の友人からメールが届く。
『来月、遊びに行かね?』
随分と親しみのある砕けた口調で、書かれたメッセージ。
僕はそれを見て、頬が緩んだ。
けれど、すぐに我に返って、頬の裏側を噛む。
いけない、彼の性格にまた絆されそうになった。
彼は人懐っこく、それでいて分け隔てなく人と接するタイプだ。
僕みたいな皮肉屋で捻くれていて、彼以外の友達がいないようなやつでも、僕の存在を受け入れて、真摯に向き合ってくれる。
おかげで、味気なかった白々しい日常が、ここ最近楽しくなりつつある。
まあ、絶対に言わないけどね。つけあがるから、あいつは。
それに、僕が言うのはなんか嫌だ。
自分が自分じゃない皮を被ってるような気がして、鳥肌が立つ。
……直球で褒められるのは嬉しいが、こういった捻くれた考えが止まらないのは考えものだな。
僕は、ため息をついた。
了解の旨を素早くフリック入力をして打ち込むと、メッセージを送信した。
軽やかなメッセージ音とともに、すぐさま「遅れないでね」と、余計な一言を付け足した。
相変わらず、捻くれた言葉しか吐けない自分自身に肩を落とした。
すると、すぐに友人から返信が来た。
『遅れねぇよ。じゃあ、集合場所、後で連絡するわ』
さらり、と受け流して、何事もなかったかのように約束を取り付けた。
かわし方が上手くなってきたなぁ。
前まではかなりムキになって食ってかかって、僕に煽られて悔しそうに顔を歪めるクマのスタンプを送ってくるのがお決まりだった。
まあ、僕みたいなのと長くいると、対策が自然に身に付いてくるのかもね。
多少の優越感に浸っていると、さらにメッセージが来る。
『お前の方が遅れんなよ』
……どうやら、かわし方が上手くなって来たのは僕の勘違いだったようだ。
『君のお人好しが災いしないように、健闘を祈るよ』
僕は一気にメッセージを打ち込み、送信ボタンをタップした。
すぐに既読がついたが、返信は来ない。
大方、図星をつかれて気まずくなっているのだろう。
僕は一回も待ち合わせには遅刻したことがないのに対して、彼はバイト先の頼まれ事で長引いたり、人に呼び出されたりで、遅刻してくることが多い。
僕を煽り返したかったようだけど、こんな初歩的なことに足を掬われるなんて、まだまだだね。
彼が人に好かれているという事実は重々承知だが、それで遅刻していては本末転倒なのだ。
早く成長できるといいねぇ。
些か気分が良くなっていると、メールが来た。
先程から五分も経っていなかった。
可愛いくまが顔を歪めて、悔しがるスタンプが送られてきた。
恒例のスタンプがきて、笑い出しそうになるのを必死に堪える。
そのすぐ後に、
『……おう』
と、いかにも渋った感満載の返事。
思わず笑みが漏れる。
きっとこのメッセージを送るまで、百面相したのだと、容易に想像がつく。
ああ、見たかった。
最初は驚き、叱られた犬のように頭を垂れ、少し拗ねたように頬を膨らませながら打ったのだろうか。
いや、多分僕が想像している範疇を軽々と超えているだろう。
全く、だから君は面白いし、すぐにからかいたくなってしまうんだ。
次のメッセージはどう送って、君を困らせよう。
キーボード上に指を彷徨わせながら考えていると、背中に何かがぶつかり、僕は前につんのめってしまった。
躊躇がなくぶつかってきた重いそれは、僕の体制を崩すのに充分であった。
慌てて片足を前に出して踏ん張り、体制を整えた。
僕の前を通っていた人が驚いて足を止める。
僕は、すみません、と軽く謝って、なんとか作り笑いを浮かべた。
前を通っていた人も会釈を返し、何事もなく通り過ぎていった。
ああ、優しい人で良かった……。
それにしても、僕にぶつかった人は何も言わないのか。
謝って欲しいとは微塵も思ってないが、かといって無視されるのは何となく気分が悪い。
面倒くさい奴だなぁ、と、僕自身を嘲笑う。
だけど、ぶつかってきた人の方が百倍面倒臭い。
ぶつかってきた人はどんな奴なのか、直接確かめたくなった。
僕は若干眉間に皺を寄せて、後ろを振り返る。
すると、黒い着物—いや、あれは喪服か?—を着た女の人が、覚束ない足取りで駅のホームを歩いている姿が目に止まった。
ふらふらと風に流されていっているようで、足が地についていない。
あんなので人混みの駅構内を歩いていたら、人とぶつかることなど、容易で考えつく。
後ろ姿からでも、スタイルが良く、端麗な方だとは分かる。
だが、セットアップした髪と喪服は崩れていて、だらしがなく、残念な美人だ。
見てくれだけで決めてはダメなんだろうが、先程の不快感に拍車がかかって、攻撃的な気持ちしか出てこない。
僕は女の人に冷たい視線を送っていたが、ふと女の人が何かを落とした。
それは紙状で大きく空中で右往左往しながら、コンクリートの床に吸い込まれていった。
僕は反射的に、それを拾った。
拾ってしまった。
後からなんで拾ったんだ、と思い直しても、時既に遅かった。
このまま床にまた捨てたら、どことなく僕の気分が悪くなるじゃないか。
こんな義理立てする必要性もないのに、などと、ぶつくさ心の中で文句を言い立てながら、拾ったものを見た。
一枚の、写真だった。
男性が青空の下、人から好かれる笑みを浮かべて、両手のピースサイン前に突き出している。
なんだか、僕の友人に似ているな。
男性をジッと見つめていると、なんか揶揄いたくなる衝動が心の底から膨らんでくる。
まあ、戯言はさておき。
写真は女性に届けておいた方が良さそうだ。
ぶつかって謝りもしない相手に、親切にするのは正直言って癪だ。
しかし、このまま放置するのも些か気が引ける。
ため息を吐き、人混みの合間を素早く縫った。
僕は人混みに慣れているので、さほど女性の後ろ姿へとたどり着くのは時間はかからなかった。
あとは、声をかけて写真を渡すのみ。
口を開きかけたその時、接近ビルが鳴り、ホームにアナウンスが響き渡った。
『まもなく、〇〇線に電車が参ります。黄色い線の内側にお下がり下さい』
電車に乗るならば何回も聞く、到着を知らせる放送。
僕にとっては普遍的で、特別何ら気にかける必要はあまりない。
だけど、何故かこの時だけは、このアナウンスが耳に纏わりつくような感じがした。
僕は、いつもと違う感覚に、一瞬女性に声をかけることを躊躇した。
すると、女性は歩き出した。
……ホームの下にある、錆びついた線路に。
僕は目を見開き、瞬発的に腹の底から力を入れて、叫んだ。
「危ない!」
けれど、その声は、電車が線路を走る音と重なり、掻き消された。
女性の身体が、斜めにひしゃげる姿を、しっかりと目に入れてしまった。
血飛沫が、僕の頬と胸にまで、飛び散った。
鉄錆の匂いが、鼻腔に絡み込んで、胃が大きく揺れたような気がした。
たまらず僕は手で口を抑えて、しゃがみ込む。
顔を下に向けているせいで、塗料の剥げかけた黄色い点字ブロックが目に入る。
これで、先程の光景は払拭できないだろうか。
できない、よな。
人間の身体が、一瞬で出鱈目になる姿を見てしまったせいで、言い知れない恐怖の戦慄が体を伝う。
辺りには、怒号、悲鳴、などといった喧騒で混乱になっているだろうが、僕は孤独の世界に縮こまっていた。
こうしておけば、何も、何も聞こえない。
現に、喧騒は、僕の耳に届いていない。
身体全体にグッと力を入れて、喉から迫り上がってくる異物めいたものを抑え込む。
口を抑えてない手の方で、拾った写真に皺がよって、爽やかな男性の顔が潰れた。
いく筋の折り目跡が、男性の顔に集中して残ってしまった。
もっと、早く声をかけていれば……。
僕の心に、救いようのない後悔がいく筋も刻まれていった……。
今思うと、これは単なる後悔の一端でもなかった。
これから、胸の中にしっかりと刻まれるのだ。
本当の、後悔が。
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