人生サブスク

彼方

本編

 「人生って、面倒ではございませんか? 」


 都会の隅にある雑居ビルの屋上。張られたフェンスを乗り越えた先で、突然現れた男は言った。あまりに突然なその声に、俺は宙へと踏み出そうとしていた足を引っ込める。

 「なんだよいきなり。それよりお前一体何者なんだ?空飛んでるし」

 「これは失礼。私は、所謂悪魔と呼ばれるしがないセールスマンでございます」

慇懃な態度で差し出された名刺には『悪魔 第4253号』と書かれていた。

 「最近では理不尽なクレームも多いですから、こうして番号で応対させて頂いております」

 「はあ、悪魔ってのも大変ですね」

どこの世界も変わらない世知辛さに、辛うじて立っていた足の力が抜けた。そのまま向かい風に押されるように、俺は屋上の縁に座り込む。眼下に見える街並みが近くなり、引きずり戻されたような感覚を覚えていた。フェンスにもたれて座り込んだ俺を見下ろし、自称悪魔はニヤニヤと笑う。

 「そう、大変なんですよ! 矢継ぎ早に遅い来る急展開、その度に迫られる生を賭けた選択。そこは人間の人生とさして大きく変わりません。だからこそ、私は貴方にお勧めしたいのです。我々の作り出したサービスを」

 そう言って悪魔が取り出したのは液晶ディスプレイ。どうみてもi●adにしか見えないそれに明かりが点り、中央に可愛い丸文字でタイトルが表示される。

 『人生サブスクリプション』と。

 「人生……サブスク?」

 「そうです。人生とはライフイベントの積み重ねによるもの。しかし、それは時に体を、そして心を疲弊させてしまう。今の貴方のようにね」

 俺は何も言えなかった。だが言わずとも、まさにこの状況こそが雄弁な返答に違いなかっただろう。

 「そこでご提案するこのサブスクシステム。これは貴方に訪れる数々のライフイベントを我々が代行させて頂くというものになります」

 ディスプレイには、デフォルメ化された人間のキャラクターが頭を抱えている様子が写し出されている。その頭上には、学業や仕事、恋愛、結婚といったライフイベントを代表する幾つかの文字が並んでいた。

 「ライフイベントの、代行だって?」

 「そうです。苦しい出来事に、苦しい選択。それらを我々が意識を乗っ取って代行する事で、心身への負担を軽減することができるシステムです。これさえあれば、もう煩わしいイベントの数々に悩まされることもなくなります。期間は人生を終えるまで。ただし、これは悪魔との契約です。利用料に関しては、説明は不要かと」

 不要と言われても、悪魔に疎い俺にはよく分からないし、まともな精神状態ならば簡単に信じたりはしなかっただろう。だが、この時の俺はまともとは到底云えなかった。少なくとも、悪魔の存在を否定出来ない程度には。

 人生の代行。それが本当なら、なんて素晴らしいのだろう。一々心をすり減らす人生の選択肢。それから逃れられるのならば、ストレスフリーな人生だって夢ではない。要らぬ苦痛に苛まれ、こうして屋上の縁に立つ必要も無くなるのだ。なんて夢のある話だろう。

 いかがです? そう言って差し出された手を、取らない理由なんて無かった。


 それからは本当に楽な人生だった。仕事も、人間関係も、恋愛も、結婚も、妻の出産も、子育ても。全ての局面で俺はサービスを利用し、選択する人生を軽々と通り抜けてきた。

 だが、子供が思春期には入ると、俺の人生における決断は量も重みも増していった。すると、日常の些細な選択でさえも苦痛に思えるようになってくる。夕飯のメニューを決める為だけに代理を立てる、そんな日も段々と増えていった。

 けれど、子育てにも終わりはやってくる。大学進学を機に子供が家を出ると、俺はまた妻と二人に戻った。訪れる二人だけの時間。妻が思い出を語る中、俺は気づいた。俺自身には、語るほどの思い出が無い事に。無論、過ごした日常も思い出と言えなくもない。だが、妻は語るのだ。共に乗り越えた苦しい時こそ記憶に残っているのだと。当然ながら、その度に代理を立てていた俺自身には共有できる記憶はない。過ごした時間とは裏腹に、残ったものは殆ど無かった。

 そこで俺は漸く思い知った。サブスクに頼る人生とは、解放ではなく放棄だったのだと。

 「なあ、悪魔。そろそろサブスク止めても良いか? 」

 「おや、ご満足なされましたか? 」

 妻が出掛け、一人になった部屋の中で俺は悪魔を呼び出した。呼び出しに応じて現れた悪魔は、いつかと同じようにニヤニヤと俺を見下ろしている。

 「いや、寧ろ逆だよ。満足感なんてこれっぽっちもない。俺はやっと気がついたんだ。今までのは俺の人生じゃなかった。これからはちゃんと自分で決めて、人生を生きようと思う」

 決意を込めて見上げると、悪魔はさぞ愉快だとばかりに笑みを深めた。

 「それは良いお考えですね。ただ……貴方は遅すぎた」

 悪魔は背広の内ポケットから懐中時計を取り出し、俺に見せつけるように開いて見せる。

 「ただ、丁度良かったです。じきに利用料の支払いが滞るタイミングでしたので、一度お話しなければと思っておりました」

 「お代の支払い? 後で一括払いとかじゃなかったのか? 」

 「お戯れを。悪魔との契約の対価は魂、つまりは貴方の寿命です。これまで定期的にお支払い頂いてましたが、それも後一回分が限度ですかね」

 笑いながら告げられた言葉は衝撃的だった。支払いの話がないのは不思議に思っていたが、まさか寿命を取られていただなんて。なんて自分は愚かだったのだろう。やり直す時間すら、俺は溝に棄てていたのか。

 過ぎ去った二十余年分と、そしてこの先の時間。棄ててしまっていた人生の重みが、絶望となってのし掛かる。だか、もう遅い。俺にはもう、何も残されていないのだ。

 ──本当に、そうだろうか。

 それに思い至った瞬間、絶望の中に光が差し込んできた気がした。あるじゃないか。俺にはまだ、一つだけ残されているものがある。

 「後一回分は残ってるんだろ。なら、ここで終わりにするよ」

 「そうですか。ですが、一回分といってもそう長くはありませんよ。精々、数日程度かと」

 「それだけあれば充分だ」

 それからの数日を、俺は全て身辺整理に費やした。

 真っ先に決めたのは退職だ。一応は長年勤め上げてきたということもあり、上には相当渋られた。だが、他人の評価なと今の俺には紙屑も同然。全部丸めてゴミ箱に棄て、代わりに退職届を置いてきた。その瞬間、俺を満たしたのは突き抜けるほどの爽快感。逃げ続けていた先に、こんなも素晴らしいものがあったとは。

 宝物を見つけたかのような高揚を抱えながら、会社を出た足で俺は文房具店へ向かった。そこで購入したレターセットは、見様見真似でしたためた遺言書となり、今は自室の机に収まっている。妻には、何かあったら机を見ろとは言っておいた。変な冗談言わないでと笑う彼女の笑顔に、俺は曖昧に笑って返した。ずっと騙してきたようなものだ。彼女にも、子供にも罪悪感がなかった訳ではない。だからといって本当の事を言うつもりもなかった俺の存在こそ、彼女等にとっては悪魔だったのかもしれない。


 そうして身辺を乱雑に片付けて、俺はいつかの屋上に立っていた。張られたフェンスを乗り越えると、顔に吹き付ける風の強さが一層増したように感じる。けれど、今度は両足でしっかりと立ち、俺は頭上を仰ぎ見た。その先に広がる、遮るものの無い澄みきった青空を。

 「本当によろしいのですか? 」

 横から声が聞こえる。振り向かずとも、誰の声かは分かっていた。

 「まだ一回分残ってますから、今ならこの先の展開を代行させていただく事も可能ですよ」

 「いや、いいんだ。ここまできたら最期まで自分で決めるさ。それこそが人生ってやつだろ」

 ニヤリと笑って横を見る。そこには目を眇め、苦笑を浮かべた悪魔の顔。ニヤニヤと嘲笑っていた表情を剥ぐ事ができ、俺は漸く満足できた。

 「この満足感の為と思えば、サブスクも無駄じゃなかったのかもな。ありがとう」

 俺は一歩前へ足を踏み出す。刹那の浮遊感を越えると、身体は重力に捕らわれて落下していく。


 「ご満足頂けたなら幸いです。ご利用ありがとうございました」


 そんな悪魔の囁きと共に、短くも満ち足りた俺の人生は幕を下ろした。

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