彼の方へ

 西方遠方に沸き立つ煙のせいか、明日を憂う人々の内を映しているからか、今日の空は鉛色に染まっている。

 今日のというのもおかしいか、ここ数日はずっとあれが天を支配している。

 庇の影でゆらゆらしていると、十歳くらいだろうか、小さな少女が目に留まる。

「お嬢さん、お嬢さん。」

「なんでしょうか。」

「あそこで幼子をあやしている女がいるだろう。この手紙を彼の方へ渡してはくれないかい。」

 少女は訝しげな表情を浮かべ、問う。

「御自分でお渡しにならないのですか。」

 もっともだが、私にそうする意思は既にない。

「ああ。」

「何故でしょうか。」

「会ってしまえば、彼の道が沼に化けてしまうのだよ。」

 そう言って、薄い西日が差した道に目を向ける。

 少女もまた目を向けるが、振り返ったその顔は、先にも増して歪んでいる。

「とにかく頼んだよ。」

 一歩を踏み出すと、振り返ることはしなかった。

 届いただろうか、私の──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る