第5話 あなたがあなたでいる限り
家から駅までは徒歩20分ほど。
私は篝さんと並びながら歩いている。後ろには、厳しい目で見張る葵ちゃん。
葵ちゃんいわく、2人のことはまだ認めたわけじゃないけど、今日だけは特別!だとか。
でも、何を話したらいいか分からなくて、私は話しかけられないままでいた。
あの日。篝さんから、私と篝さんとの出会いの話を聞いてから、妙に胸の奥が苦しいことに気づく。
私が知らない私の話。お互いに大好きだと言って別れたという。記憶にないのに、自分のことなのだと思うと、切ない気持ちが込み上げて来る。
篝さんは私を忘れないでいてくれたのに、それに応えられない、その事への申し訳なさも、重石のように私の心を押し潰す。
「ちとせさん……大丈夫ですか?」
篝さんに声をかけられ、私は我に返った。篝さんの顔を見上げると、心配そうな顔で私を見ている。
「ご、ごめんなさい。いろいろと考えちゃってて……」
「……何か、不安なことでもありましたか?」
「あっ、えっと……」
うまく言葉に出せず、詰まってしまう。でも、そんな私を急かすことなく、篝さんは私の言葉を待ってくれる。
「篝さん……篝さんは、昔のことをおぼえていない私でも、いいんですか?」
「……なんだ、そんなことを心配していたんですか」
苦笑しながら言う篝さん。少し考えた様子の後、私にこんなことを聞いてきた。
「ねえちとせさん……1週間前の夕食、おぼえていますか?」
「い、1週間前?う……うーん、おぼえてないです。それが何か……?」
「僕もおぼえてません。でも、ちとせさんから見て、僕は前と違いますか?」
「い、いいえ……前にお会いしたままだと思います」
「ですよね。たとえ、何か忘れてしまった事があっても、その人らしさが変わるわけではない……これで、答えになっていますか?」
優しく微笑んで言う篝さん。その瞬間、私は、胸につかえていた何かが、スッとはがれ落ちていくような気持ちになった。
「とても、分かりやすかったです……」
「ふふ、よかった」
ほっとした私は、少し恥ずかしくなりつつも、篝さんを見る。私たちは顔を見合わせ、くすくすと笑い合った。
すると急に後ろから、葵ちゃんに抱きつかれた。
「はーい、もう時間切れですよ!駅!駅もうすぐそこですから!……全く、アタシのこと忘れて、2人っきりの世界作るとかマジありえない」
「もう、葵ちゃん!そんなんじゃないってば!」
必死で否定するも、葵ちゃんは不満げにふくれている。
「ちとせはもう返してもらいますから、後はお気をつけて!」
葵ちゃんの失礼な態度にも、篝さんは気を悪くすることもなく、にこにこと微笑んでいる。
「もう、せめて改札までお見送りしないと!」
葵ちゃんを説得して進もうとするけど、重くのしかかってきて身動きが取れない。
「いえ、ここまでで大丈夫ですよ。今日は会えて本当によかった」
「はい、わたしも。今度はぜひ、今日のお礼をさせてください!」
「楽しみにしています。……約束、しましょうか」
そう言うと、篝さんは私に小指を差し出してきた。
ちょっとためらった後、私はそっと自分の小指で触れた。
「はい……約束。必ず守りますね」
強く小指をかけられ、そして離れていく。
どきどきと、そして寂しさが、胸に広がった。
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