第2話 蒼衣の秘密

「何でこんなのが今更出回ってるのかしら⋯」


 部活を終えて帰宅した蒼衣は自室の机に溝呂木みぞろぎから強制的に借りることになってしまった同人誌を置いた。


 表紙には金髪のエルフと黒髪の人間の少女が抱き合った絵が描かれている。


 パラパラとめくるとそれなりにしっかり描き込まれた漫画が連なっている。蒼衣あおいからすれば中学生の時に描いたものなので、見返すのも恥ずかしく、顔が火照ほてってきた。


 最後の奥付ページの発行人のところには「青野あおの桃花ももか」と書かれていた。これは本名の百木ももき蒼衣を文字ってつけたペンネームだ。今思うと本名とかけらも似つかない名前にすればよかったと少し後悔している。


 溝呂木が蒼衣に渡した同人誌は紛れもなく蒼衣自身が描いたものだった。


 漫画なんて詳しくないはずの蒼衣が描いたもの。


 蒼衣には人には言えない秘密がある。


 それが漫画を描いていることだ。


 母が漫画家である蒼衣にとって、漫画を描くということは幼い頃から身近なことだった。当たり前のことですらあった。


 プロ漫画家である母や、母のアシスタントたちの熟練された絵をすぐ傍で見てきたせいか、蒼衣も年のわりにはこなれた絵を描けるようになっていた。


 でも星花せいかに入学してからは何となく絵を描いているなんて子供っぽくて、友だちには言えずにいた。


 そうして一人で黙々と描いているうちに校内では「お姉さま」なんて立場になってしまい、ますます誰にも打ち明けられなくなった。


 蒼衣の中の「お姉さま」像では「お姉さま」は漫画など描かないし、読まない。


 現に蒼衣が読んできた百合漫画の「お姉さま」は誰一人として漫画に夢中になどなっていなかった。


 だからこれは墓場まで持っていくべき秘密である。


 誰にも知られてはならない蒼衣の秘密。


 にもかかわらず、蒼衣が描いた本が、それも大して刷ってない古い本が、何故か星花の生徒に手に渡っているという非常事態だ。


(溝呂木さんはどこでこれを手に入れたのかしら?)


 それはとても知りたいことだが、本人に直接聞くことはできない。それ故に心がもやもやとしてくるが、そのもやを振り払えないのがもどかしい。


 この同人誌は蒼衣がまだ中等部二年生の時に描いたものである。おこづかいで初めて同人誌にした。発行部数も30部ほどで、世の中にほぼ出回っていない無名同人作家の本。


 イラスト投稿サイトの匿名通販システムを利用して、一応全冊完売させた。


 どこの誰が買ったかはもちろん蒼衣に分かるはずもない。


(たまたま溝呂木さんが買ったってこと?)


 でも溝呂木が「百合」にはまったのは、まだ部長が蓮見だった今年のはずである。彼女が買ったとも思えない。


(ということは、買ったのは蓮見はすみ先輩なのかしら)


 言うまでもなく、蓮見にだって真相は聞けない。


(そう言えば、以前も私の描いた本を蓮見先輩が持ってたわね)


 今年の春にもまだ部長だった蓮見が蒼衣の本を持っていたことがあった。出したばかりの新刊で、その漫画をえらく気に入った蒼衣の姉が100冊も刷ったやつだった。姉もまた百合漫画を描く同志である。  

  

 この本は地元S県のイベントで蒼衣が姉に委託するという形で頒布した。


 だがあの本はまだ新しかったし、いつもより刷ったし、地元で売ったから、星花の生徒が持っている確率は多少とは言え上がる。だから偶然イベントで手に入れたのだろうと、納得することにした。


 しかしこんな古いものまで学園の生徒に所持されているのは想定外すぎた。


(捨てたら怒られますわよね⋯)


 蒼衣は同人誌をそのままシュレッダーにでもかけてしまいたい気分だ。だがいくら自分が作った本とはいえ、これは溝呂木に借りたもの。


(失くしたということにすれば⋯⋯)


 案がよぎるが、そうなると蒼衣の信用に傷がつく。


(そう言えば、溝呂木さんは主人公が私に似てるなんて言っていたけれど⋯)


 蒼衣は改めて表紙の絵を見つめる。今見れば拙い塗りや線ばかりが気になってしまうが、主人公は蒼衣と同じ長い黒髪である。それならば何も蒼衣以外にも似ている人などいくらでもいるだろう。


(⋯⋯知らないうちに自分に似せて描いてたのかしら)


 嫌な汗が背中を伝う。


 自分でも知らないうちに自分らしさがこの漫画に出ているなら、今後作品を作る時は細心の注意を払わねばならない。


(髪型が同じってだけで、溝呂木さんは私に似てるなんて思ったのよ⋯⋯)


 そう言い聞かせないと漫画はもう描けない気がした。


 取り敢えずは自分が描いたことだけはバレないようにしよう。蒼衣はもう見たくないとばかりに自分の同人誌をかばんにしまい込んだ。






 翌日、蒼衣はまた部室で漫画を広げている溝呂木に同人誌を返した。


「百木さん、その本どうだった?」


 目を爛々とさせて溝呂木が聞いてくる。


「同人誌というのは初めて拝見しましたが、楽しかったです」


 当たり障りのない返答で濁した。


 自分が描いたものだけに絶賛するのははばかられるし、溝呂木との今後の関係を考えれば否定などもできない。


「その漫画いいよね。粗削りなところはあるけど、二人の関係性がすごく丁寧に描写されてて、異世界が舞台だけど、自然と話の中に入れるんだよね」


 面と向かって自作の感想を言われて、蒼衣は嬉しい気持ちと、この本を消してしまいたい気持ちとで、引き裂かれそうになっていた。


「⋯⋯溝呂木さんは、こういう本はどこでお買いになったのですか?」


 複雑な気持ちに包まれたまま、蒼衣は精一杯さり気なく尋ねた。


 上手くいけば本の入手先が分かるかもしれない。


「これ? これはね蓮見先輩に譲ってもらったんだ。先輩、今年卒業でしょ? それで退寮する時になるべく荷物少なくしたいからって、何冊か同人誌を譲り受けたんだよね。その青野桃花が描いた本は元はマンガ部の友だちが買ったものらしいよ」


「そうですか⋯」


 星花は部活も多岐にわたるが、マンガ部も存在している。入部したい気持ちもあったが、自分が描いているものを学園内でさらけ出せる勇気は中学一年生の蒼衣にはなかった。


 結局、祖母に習った三味線を生かそうと、和楽器部に落ち着いて今に至る。


(マンガ部で仲のいい子はいないですし、手の打ちどころはありませんね)


 クラスメイトにもマンガ部の子はいるが、あいにく蒼衣があまり話したことがない生徒だった。


(私から同人誌に関わらなければ、私が漫画を描いていることは誰にもバレないはず)


「百木さん、その本気に入ったなら、他の同人誌も読む? 青野桃花の本もたくさんあるよ!」


「⋯⋯⋯⋯⋯!!」


「どうかした?」


「いえ、何でもありません。私は三味線の練習をしたいので、漫画はしばらく読まないことにします」


 溝呂木が何か言う前に彼女の元から離れた。


(ひとまず、ペンネームは変えなければ)


 入学して以来隠し続けてきた漫画を描く自分。蒼衣は卒業まで隠すことを死守すると決めた。

   

  

  

 

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