第7話 悩みー思い出した過去の私

 お姉さんは、当時を懐かしむように話す。


「近所に地区センターがあってね、そこに体育館が併設されていたから、これだけ持って駆け込んだわ」


 そう言って、いまや百曲以上を再生できる端末を私に見せた。


「誰もいなかったから、すぐに高校の部活で散々踊って、踊って、踊り飽きたくらい体に染みついてる曲を流して体を動かした。そしたら楽しくてね。何度も通ったわ。で、しばらく経ってからかなぁ。私ができる表現方法はダンスなんだって思ったの。勿論ここに辿り着くまで散々回り道もしたけどね」


 今まで描こうと思ったことのない絵画に思い切って手を出してみたり、ちょっとだけ触ったことのある楽器を試してみたり。


 結局辿り着いたのは自分が最も長く関わっていたダンスだった。とんだ回り道をしたわ、とお姉さんは笑う。


「貴方は何か経験したことのある表現方法はない?」


 過去を振り返る。


 高校生。特に表現というほどのものは何もしていない。部活も選択授業も全部友達に合わせていた。特にやりたいことがなかったのだ。それに大学受験の勉強も忙しかった。


 中学生。こちらも特に思い出せるものはない。高校生の時と同じだ。特段好きなこともなかった。それに、日々の学校生活をこなすだけで精一杯だったし、慣れた頃には高校受験が待ち受けていた。


 小学生。何をしていたかもう昔のことすぎて、ほとんど思い出せない。ただ、中休みのたった二十分ほどの雀の涙ほどしかない休憩時間に全速力で校庭に駆け出して、友達と大はしゃぎて遊んでいたことだけは覚えている。


 今思えば、あの体力はどこから来ていたのか不思議になるほどだ。今だったら絶対にネットを見て、アプリで遊んでそれで終わる。確実にだ。


 昔を懐かしんでいたその時、ひとつだけ思い出した。私がしていた表現。私ができる表現方法。


「あります。経験したことのある表現方法。小学生の時、絵を描いてました。特別上手だった訳でもないけど、絵を描くのが好きでした」


「いいじゃない!」


「でも、描いてたのは小学生くらいまでで、最近は全然描いてないんです。決して上手い訳でもないし、立派なものは作れません」


 みんなの前で描くのは恥ずかしかったから、下校してからの楽しみだった。部屋にこもって、学校のお道具箱からこっそり持ち帰ってきた色鉛筆で、真っ白な自由帳に思うがままに筆を走らせたのだ。


 しかし年を重ねるごとに自分の技術のなさに気づいてしまった。もっと上手に描く人がいる。もっと魅力的な色使いをする人がいると。


 技術の稚拙さを理由にするのは何となく嫌だった。恐らく認めたくない気持ちが少しでもあったのだろう。減っていく自由にできる時間を理由に描かなくなっていった。


「最初から立派なものを作らなきゃいけないの?」


「それは、ええと」


 私は返答に窮した。作るのならばより良いものを。人様に見せても問題ないものを。今の私はそれが普通だと思っていた。


「外部に見せて評価を得るのも勿論いいと思うけど、自分だけが見て自分が好きだと思えるものを描くこともいいんじゃない?」


「自分が満足するもの・・・・・・」


「誰だって最初は拙いものから始まるのよ。それを積み重ねて、積み重ねて、段々洗練されていくの。何事も練習しなければ上達しないでしょう」


 言われてみればそうだ。大して上手くなろうとしていなかったあの頃。ただ楽しいだけで書いていた私の絵が、楽しくて上手くなろうとしていた人にかなうわけがない。それに、比べる必要だって無かったのだ。


 描く絵が上手くなければいけないなんてことはない。なぜこんな単純なことをずっと忘れていたのだろうか。


「そう、ですね。私、昔好きで、楽しくて絵を描いてました。何で忘れちゃってたんだろう」




 

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