第5話・見守って、励まして
「古城、大丈夫か?」
声をかけたが、灯里は泣きながら俯いたままだった。
震える頼りない身体を抱きしめたい衝動を堪え、
「古城、こっち」
尊は灯里の手を引いて公園に戻ると、ブランコに灯里を座らせた。
「先生?」
灯里が顔を上げ、首を傾げる。尊は、
「ちょっと待ってろ」
と言うと、公園内に設置してある自販機へと向かい、自分用のスポーツドリンクのペットボトルと、灯里用のりんごジュースのペットボトルを買い、彼女の元へと戻る。
「とりあえず、これでも飲んで落ち着けよ」
ボトルの蓋を開け、尊はやや強引にりんごジュースのペットボトルを灯里の手に押し付けて渡した。
灯里は驚いた表情をしたが、ふわりと微笑むとありがとうと礼を言い、渡したりんごジュースにそのふっくらとした唇を近づけた。
「あのさ、大丈夫、か?」
「はい……。すごく、怖かったけど……」
頷いた灯里は、ぽつりぽつりと先程の事を話しだした。
気持ちの良い日曜日の午後、彼女は散歩に行こうと家を出て――当麻に出会ってしまったらしい。
「あの……あの人、私の事が好きって……私はあの人の事、良く知らないのに……父様に、ちゃんと断っていただいたはずなのに……」
そう言って、灯里は俯いた。
淡いピンクのスカートにぽたぽたと涙が落ちる。
「危ないところだったな……本当、無事で良かったよ」
尊は小さな頭を胸に引き寄せたい衝動を堪えながら、灯里の頭に軽く手を置いた。
「聡には俺の方から連絡しておく……お前からじゃ言いにくいだろ? あと、学園から家に帰る時は、しばらくの間は誰かと一緒に居た方がいいかもしれないな。正志か卓也に送ってもらえ」
本当は自分が送り迎えしてやりたかったが、それは口に出来なかった。
あの男、俺の灯里に何しやがるんだ。
こいつに触るなと、一発ぶん殴ってやれば良かった。
時間差で凄まじい怒りがこみ上げてくる。
腸が煮えくり返りそうだったが、灯里の手前、尊は感情を露わにせずに淡々と続けた。
「先生……」
「ん?」
灯里が顔を上げた。
目元をこしこしと拭い、深呼吸して尊を見つめる。
「先生は、あの……」
「何だ?」
「あ、あの、先生は……す、好きな人って、居ますか?」
「え? 好きな人、か?」
心の中で、お前だ、と尊は告げた。
だけど、それを声に出す事はしなかった。
自分は教師であり、彼女は生徒なのだ。
彼女の将来のためにも、今は絶対にこの想いを口にしてはならない。
そして、好きな人が居ると答える事も出来なかった。
お前が好きなのだと続ける事が出来ないのなら、灯里の性格なら尊が別の誰かを好きだと誤解する可能性がある。
だから、尊は首を横に振り、言った。
「今は、居ないな」
「そ、そうなんですか……」
灯里は尊の言葉を信じたようで、少し安心したようだった。
実は自分自身が尊の想い人なのだとは夢にも思っていないだろう。
「俺、まだ森苑学園に来たばっかだろ? だから今は恋愛とかそーいうのは出来ないっていうか、ちゃんと先生してぇんだよ」
今の尊は彼女の想いに応える事は出来ないが、灯里を突き放す事も出来なかった。
「古城は、今、好きな奴は居るのか?」
今は教師でいたいという尊の言葉を聞いた後では、灯里は尊に想いを告げる事は出来ないだろう。
尊の思った通り、
「さぁ、どう、かな?」
灯里は苦笑いして誤魔化した。
尊は心の中で、悪い、と彼女に謝った。
こんな自分を、尊はとてもずるい男だと思う。
自分は彼女の気持ちを知っているのにその想いに気付いていないふりをし、そして彼女が自分から離れていかないように微妙な距離を保ち続けようとしているのだ。
「あの男の事は、俺も気をつけておくから。だからお前は安心して学園生活を送ればいいよ」
そう言って、尊はまた灯里の頭に手を置いた。
軽くポンポンと撫でて、さらさらの触り心地の良い髪を撫でる。
「古城、俺な……昔、この公園に来た事があるんだ……」
「え?」
尊を見上げた灯里がまた驚いたような表情をした。
尊は彼女の頭から手を離すと、薄紫色の綺麗な瞳を見つめたまま続けた。
「その時さ、俺、一人の元気のない女の子に会ったんだ。昔の話だから、あの女の子がなんで元気がなかったのかまではよく覚えてないんだけどさ、あの女の子が今は元気で笑って、楽しく生きてくれてたらいいなって思うんだ。お前もさ、なんか変な奴に付きまとわれて大変だと思うけどよ、俺も気を付けておくから、毎日を元気で笑って過ごしてほしいって思う……」
「先生……」
目を細めた灯里は、こくりと頷いた。
そして彼女はもう一度目元を拭うと、
「多分、先生が昔会ったという女の子は、今はとても元気にしていると思います……。私も、あの人の事はちょっと怖いけど、なるべく気にしないようにします」
と続け、ふわりと綺麗に微笑んだ。
○ ● ○
卒業式まであと何ヶ月あるのだろうと、尊は指折り数えて苦笑した。
まだ卒業式までは一年近くあった。
恋する少女に早く告白してその細い身体を思いきり抱きしめてやりたいと思いながらも、同時に尊は教師として彼女を見守ってやりたいとも思っていた。
だから、今は彼女への想いを隠して、教師としてそばに居よう……教師の自分しか見る事が出来ない彼女の一面を見つめてみようと思う。
だけど、彼女が学園を卒業したら。
自分の生徒ではなくなったら、その時は……。
「待ってろよ、灯里……」
その瞬間を思い描き、尊は笑みを浮かべた。
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