第3話・灯里の秘密


 居酒屋で互いにビールを飲みながら、聡は従兄妹である灯里の事を尊に話してくれた。


「灯里様は、七歳の頃から実家を離れて俺の家で暮らしている。俺の家に来た時の灯里様は、暗い表情で俯いてばかりの子供だった……」


 聡の父親が灯里の父親の双子の弟で、聡と灯里は従兄妹同士なのだと聡は教えてくれた。

 そして聡が彼女を従妹だというのに様付けで呼ぶのは、灯里が古城本家を継いだ古城昭利の娘だからなのだという。

 同じ兄弟でも、本家と分家では天と地の差があるのだと聡は言った。


「昭利様は古城本家と一族、そして古城グループを束ねる方。そして灯里様はその跡継ぎとしてお生まれになった。昭利様の灯里様への期待は、子供の頃から異常なまでにすごかったが、灯里様は昭利様の期待に、必死に応えようとされていた。だけど昭利様は、ある日突然灯里様を見限ったのだ。大人しく優しい性格の灯里様は、古城のトップには相応しくないと……お前は役立たずだと罵って……」


 灯里の父親が彼女を見限ったのは、彼女が七歳で小学一年生の三学期が終わる寸前だったのだという。


「幼い子供が父親に家を追い出され、無理やり転校させられたんだ。あの頃の昭利様は仕事が上手くいっていなかった上、奥様の……灯里様の母上の体調が良くなくて、ストレスを抱えてらっしゃった。そしてその苛立ちが全て、大人しく幼い娘に向けられたんだ……」


「ひでぇな」


 本来なら、親は子供を守るもの。

 だけどその頃の昭利には、大人しく優しい灯里の存在が苛立ちの対象にしか見えなかったのだという。

 家を追い出された灯里はショックを受け、いつも暗い表情で俯いていた。

 そして優しい彼女は、父親を苛立たせて自分が家を追い出されてしまったのは、全て自分が悪いのだと思い込んだのだという。


「多分、今まで居た場所からわけもわからず放り出されて、これからどう生きていけばいいのかが、わからなかったのだろう……。俺も父も、普通に生きればいいのだと何度も諭したのだが、灯里様にはそれがどういう事なのか、理解出来なかったのだ。だけどある日、家に戻ってみると、灯里様の目は生気を取り戻していた。ぎこちなくだが笑った灯里様の顔を見て、俺はとても嬉しかったよ。何があったのかと聞いても詳しい事は教えて下さらなかったが、魔法の言葉をくれた人が居て、その人が言った通りの自分になりたいのだとおっしゃっていた」


 それから灯里は、前向きに一生懸命に生き始めたのだという。

 聡の話を聞きながら、尊はある事を思い出していた。


「俺、なんかそういう話を知ってるっつうか……覚えがある、かも……」


 そう呟き、尊は聡の顔を見つめた。


「俺、十年くらい前に、この辺りで女の子に会った事がある。もしかしてそれって……」


「灯里様か? 本当に? 尊、お前、その時に灯里様に何と声をかけてくれたのだ?」


 聡は喜んだが、尊は混乱した。

 十年前、確かに尊は失恋後の自分探しの旅でこの辺りを訪れた事があり、そこで一人の少女に出会った。

 だがそこで自分は彼女に何を言った?


「え? あーっ!」


 尊は自分の言葉を思い出すと、赤面した。


「尊、どうした? お前、灯里様に何と言って差し上げたのだ?」


「え、えとっ……」


 少し考えて、尊は首を横に振った。

 聡は灯里を本当の妹のように、大切に想っているようだ。

 その彼に、尊は自分の過去の言葉を告げる事は躊躇われた。


「そ、それはっ……俺があいつにだけ贈った特別な言葉だから、聡に教える事は出来ねぇよ」


 そう言って何とか誤魔化そうとすると、聡はじろりと尊を睨みつけたが、仕方ないなと引き下がってくれた。


「あと、この事は、あいつには黙っててくんねぇかな」


「わかった……。お前も今や教師だ。特別扱いは出来ないという事だな」


「あぁ」


 頷きほっと息をつくと、尊は灯里の事を想う。

 彼女は尊を、「昔から好き過ぎて」と言った。

 そして聡が教えてくれた「魔法の言葉をくれた人が居て、その人が言った通りの自分になりたい」という事。

 この事が本当なら、彼女は本気で一度会ったきりの尊の事が好きで、尊があの日ホンの思いつきで言った言葉通りに成長した事になる。

 あの日、尊は暗く沈んだ少女を励ますために、こんな事を言った。


『どうなればいいのかわからないならさ、俺が一つ提案してやるよ。あのよ、お前は大人し過ぎる感じだけど素直な女の子みたいだから、それをそのまま伸ばせばいい。そして、学校に行って友達作れ。たくさんじゃなくてもいいんだ。少なくても、お前のいいところをわかってくれる友達を作るんだ。大丈夫だ、絶対出来るからさ。で、勉強嫌いな俺が言うのもアレなんだけど、勉強はそれなりに出来たほうがいいぞ。将来何をするにしても、出来る事が増えてくからさ』


 ここまでは普通だ。

 尊は少女を――子供の頃の古城灯里を、普通に励ました。

 だが、問題はここから先だった。

 あの日の尊は、失恋したばかりの自分も慰めるために、こんなふうに続けたのだ。


『そんでさ、優しくて可愛い女の子になれ。料理とか出来てさ、お菓子作りとかも上手いの。あとはそうだな……お前はすごく綺麗な髪の毛をしてるから、伸ばしてみたらどうだ? サラッサラの長い髪の毛とか、スゲーいいと思う。んでよ、おっぱいはでかくて、腰がキュッと細いナイスバディで、そんで、俺の事だけ、ずっと好きで居てくれるの』


 己の言った事を全て思い出し、尊はさらに赤面した。

 あの時は失恋したばかりで、いつかは自分にも自分だけのお姫様が現れるさ、そして俺の理想のお姫様はこんな感じなのだと、己の新しい理想のタイプを彼女の前で熱く語ってしまったのだ。


 十七歳になった灯里は、今では心を許せる友達を作り、学校の成績はトップクラスだ。

 まだ大人しい性格ではあるものの、素直に優しく成長し、料理もお菓子作りも上手い。


 十年前はおかっぱのショートカットだった髪は、今では長く美しく伸びてサラッサラで、胸は大きく腰はキュッとくびれたナイスバディという、尊の言葉通りの少女に成長した。

 そして……。


『わ、私は、先生の事が嫌いなんじゃありませんっ! わ、私は昔からずっと先生の事を好きで、大好きで、大好き過ぎて、だ、だから緊張して、嬉しくて気絶しちゃうんですっ!』


 そして、灯里は尊の事が好きなのだと言う。

 昔からずっと、一度会ったきりの尊の事を好きなのだと言う。


「マジか、古城……」


 この日から、尊は古城灯里という少女を意識し始めた。

 というか、十年前の自分の思いつきのままに成長した一途で健気な彼女に、尊は転がるように恋に落ちたのだ。






 もしも自分と彼女が同級生であったなら、尊はすぐにでも彼女に告白していた事だろう。

 だが、自分は教師であり、彼女は自分の生徒だった。

 尊は彼女に恋する一人の男ではあるが、彼女を導く教師でもあるのだ。


 灯里の事を好きだが、今はそれを彼女に告げるわけにはいかない。

 自分の教師という立場と彼女の将来を考え、尊はそう結論づけた。

 そして、それからはずっとただの担任の教師として彼女に接し続けているのだが、内心は毎日ヒヤヒヤしていた。

 もしも、灯里の前に誰かいい男が現れたらどうしよう、今は自分を好きで居てくれているものの、彼女が別の男を好きになったらどうしようと。


 それに、おっとりとしていて自己評価の低い灯里は自分の魅力に気付いていないようだが、彼女は非常に高いスペックを兼ね備えているため、非常にモテるのだ。

 彼女の周りには、彼女に告白しようとその時を狙っている男子生徒が大勢居るのを尊は知っている。

 彼女にその告白がなされないのは、小学校から灯里と仲が良い大塚正志と岸本卓也が灯里の近くに居るからだった。


 二人は尊のクラスの生徒ではないのだが、まるで無防備な灯里を守る親鳥のように、彼女を狙う男共から灯里を守ってくれている。

 まぁそれは、時には尊にも適用され、尊をイラッとさせる事にもなるのだが、正直な話、尊には自分の目が届かないところで灯里を守ってくれる正志と卓也の存在は、とてもありがたいものだった。


 だが、正志や卓也でも太刀打ち出来ない相手というのも、灯里の周りには存在している。

 灯里の父親が経営する会社と並ぶ大会社の御曹司が、灯里の父親に彼女との結婚を申し込んでいるのだと、聡が言っていた。

 もちろん灯里は嫌がり、灯里の父親も灯里に負い目があるからか断ったらしいのだが、パーティなどのイベント事で灯里が呼び出されると必ず口説きに来るだけでなく、最近では家の近くや学園の周りにも姿を現すようになっているらしい。


 問題の男は聡と同じ年で、見かけはスラリとした美青年らしいが、彼の灯里に対する執着心が普通ではないようなのだと聡は続け、尊は聡に自分も気をつけておくと約束した。

 子供の頃から一途に健気に自分を想ってくれている可愛い灯里に、おかしな奴を近づけてなるものかと思う。


「素敵な女の子に育っちまうから、変な奴に目ぇ付けられるんだよ……」


 だけど、彼女は自分の言葉のまま、尊の理想を目指して成長した。


「今はまだ、好きって言えねぇけどさ……」




 自分が彼女の先生でなくなったら、彼女が自分の生徒でなくなったら。


「好きって、必ず言うから……」


 そう呟き、尊は苦笑した。


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