【一.新たな世界への誘い】
それは私が神保町にある、とある古本屋に立ち寄った時のことだ。
その店の概観は、一言で言ってしまえば巨大地震が都心を襲えば間違いなく倒壊するであろう、年代物の店構えである。
何を隠そう、私はこうした仕事の合間に古本屋を巡ることが何よりも好きなのだ。三度の飯よりも読書と本が好きといっても大げさではないほどに。
紙の匂い、手触り、ページをめくる時の期待と高揚感、それは私にとって何にも代えられぬ娯楽の一つだった。……いいや、娯楽などという安直な言葉で語れるものではない。それは甘美なまでの禁断の果実とも言えるかもしれない。
それに古本屋とは、普通の新品の本を並べている書店とは違い、それこそ一期一会の出会いによって、本と巡り合うことができる出会いの場所。
また今日その本が棚へ収められているからといって、明日もその場所にキチンと収められている保証はどこにもない。その本を手に取ることを一瞬でも躊躇えば、横から手が伸び誰かに奪われるかもしれない。もしそうなってしまえば、同じ本が二度と私の手元に巡ってくることはないだろう。
また古書とは巷に溢れるような増版書物類とは異なり、たとえ同じ文字が収まった代物であっても、二つとして同じ本は存在し得ないと言える。それというのも、本とは人の人生そのものを表しているからだ。
これまでどういった経緯で幾人もの手に渡り、そしてこの場に存在するのか、誰もその歴史を正確に暴くことができない。もし歴史を物語るものがあるとすれば、それはページの折り癖、染み、日焼け、あるいは無礼にも本文中に引かれたラインや感想の言葉その他くらいなものだろう。そうしたものは、この世に生を受けたそのときからまるで運命のように刻まれ、そして人知れず消え去ってゆく。人も本もまた、忘れさられることで本当の意味での死を自ら迎え行くのものなのだ。
また古本屋に本を売るとは、一口にはした金を得る目的のほかにも、自らの歴史を捨てるに等しい行為そのもの。それを見知らぬ誰かが拾い、そこから更に歴史の一ページとして紡がれてゆく。
これこそが古本屋巡りにおける醍醐味であると断言できる。だからこそ、私は古本屋に立ち寄る際に、宝物ともいえる古本を一冊ないし二冊程度購入するのが未だ誰にも打ち明けたことのない、人生の楽しみの一つだった。
きっと今日も何かしら私の興味を惹く、新たな本に出会うことができるはずだ。
「ん……これは何だ? せっかくの本が前後逆に入ってるじゃないか。客の誰かが慌てて、確認せずに本棚へと戻したのだろうな」
いつものように何か掘り出し物が無いかと、特にこれといった目的なくも、流し目で本棚を眺めていたときのこと。
ふと、奥の薄暗い一角へと差し掛かり、ちょうど正面にある本棚が目に入ってくる。少し古めかしくも、本棚へとキッチリ納められているはずの本が一冊だけ、客であるこの私に顔を背けていたのだ。
通常ならば、タイトルが書かれている背表紙は本の顔なはずなのだ。
そうでなければ、こうして数万数十万にも上る本の森から、運命的な一冊の出会いは生まれない。
――にもかかわらず、その一冊だけは茶色がかった前小口が私に向かって顔を覗かせていたのだ。
一瞬、自分が客に購入されたくなくて、それで機嫌を損ねて背を向けているのかと思ってしまう。
それはまるで思春期真っ盛りの中学生高校生の子供のように思え、微笑ましく思いつつも、私は誰に聞かせるでもなく独り言を口にしていく。
「あーあーっ、これでは、せっかく次の持ち主と巡り合える機会も失われるというもの……よし!」
私は客の誰かが本棚から引き抜き戻す際、間違って前後を入れ間違えてしまったのか、もしくは悪戯の類であるなどと勝手に思い込み、その本を入れ直してやろうと手に取ってみることに。
そこには『完全犯罪者の作り方』などと、
一見すると、それはどこにでもある極々普通の推理小説である。
そのまま表に返し、流し目で下部の著者名へと目を落としてみれば、そこには有名な小説家の名が記してあるのを見つけた。
「あの人の作品なのか……。だが、不思議とこの本だけはまだ読んだことがなかったな。何故だろう……あまり売れず、有名じゃなかったとか? それとも出版社があまり力を入れず、宣伝不足でそれでこれまで存在自体を知らなかったのか?」
私はその見つけた一冊の本が、これまでどのように扱われ、ここへと収められたのかということに想いを馳せ、ちょうど時間も空いていたので、本屋の主人に迷惑をかけつつも、その場で立ち読みをすることにした。
もちろん、その時間的対価として、もし本の内容が気に入れば、そのまま購入するつもりだ。
軽く流しながら読んでみたものの、中身はなんてことはない、
主人公は失業した中年の男性で、次の人生の目的を見つけるため、まるで自分探しをしている思春期真っ盛りの子供のように、放浪の旅へと出ている途中だった。
だがそれも港を離れた途端、船内では不穏な出来事ばかりが起こり、乗船していた客達が次々と何者かに殺されてしまう。殺された理由も犯人の動機も明かされないまま、そこが海上ということもあり、すぐには助けも来ないため、残された旅行客や船乗員達と力を合わせ犯行の動機や犯人について推理を重ねていく。
その犯人とは精神異常を患った、同じく失業者の若者であった。
彼は世間から自分の能力が認められないことを逆恨みし、たまたま港を離れる船に乗り込み、無計画にも罪のない人々を殺めていったのである。
生憎と、その本の内容は私の興味を惹くものではなかったが、物語も中盤へと差しかかろうとしたときのことである。
――
「んっ? 古本だから折り目が……いや、前の持ち主の栞か何かが、本の間にでも挟まっているのか?」
ページをめくる手に微かな違和感と軽やかさを覚えた私は、最初厚みを帯びた栞か何かでも挟まっているものとばかり思っていた。
だが、それは栞の類ではなかった。
何故ならそれには無地ではなく、ちゃんと印刷された文字が書かれていたのである。
別に栞に文字が印刷してあろうが、宣伝チラシの一種だと思えば気にはならない。
けれども、挟まっていた紙は栞でも宣伝チラシの類でもなかったのである。
そこには、このように書かれていた。
『読者の皆様へ 日頃の感謝を込めて、この招待状を手にした幸運な方であらせられる先着一名様には、豪華客船でお送りする現代社会では決して味わうことのできない、未知なるミステリーツアーへとご案内いたします。 角川書店より』と、そのように記されたメッセージカードが挟まっていたのだ。
最初それを目にしたとき、誰かの悪戯かと思ってしまったのだが、その文字上頭に本と同じ出版社の名前を見つけるとコレが本物であると、やや遅れて私の脳がようやくとその言葉を噛み砕き意味を理解する。
どうやらこの招待状らしきカードは、読者ファンへのサービスの一環らしく、日頃から推理小説物を嗜む者達への感謝の印のようなのだ。
だが、この本は発行されてから既に早数年、下手をすれば十数年にもなるものなので、今更このような招待状を見つけたからと言っても、
宝物を見つけ得られたはずの興奮を奇しくも裏切られてしまい、私は途端に興味を無くしてしまう。
そしてその招待状を捨てようと手にしてみるが、未だここは古本屋の一角で、この本もまだ購入してはいないことに気が付くと、破り捨てたい気持ちをどうにか踏み留める。
その代わりとして、こう口から愚痴を吐き捨てる。
「ちっ……どうせなら、もっと早く見つければ……いいや、そんなことは古本屋では愚問だったな」
少し残念ながらも舌打ちをして、その邪魔な紙を退かして物語の続きを読もうとしたときのことだった。
その裏側に応募締め切りらしき日付を記したであろう、『平成元年二月二十九日 当日限り有効』と書かれている文言を見つけてしまった。
「あっ!! ……ととっ」
驚きから思わず、ここが古本屋だということも忘れ、大声を上げてしまいそうになり慌てて口を押さえることで難を逃れる。
いくら人の気配が薄い古本屋とはいえ、まったくの無人ではない。
私と同じ年頃の客達数人が何事かと、反射的にこちらへ顔を向ける。
だが、私も本にも何事もなかったと理解したのか、再び各々の世界へと戻っていった。
(彼らも“私”と同じなのだな。この場所へと、何者かに導かれし選ばれた存在。私は彼らであり、彼らは私なのだ。たとえ互いに言葉を交わさずとも、本能的に私と同じなのだと理解できる)
立ち読みをしている他の客達の姿を眺めながら、私も彼らから見れば同類に見える存在であると嫌でも自覚する。
「……あっ」
そこでふと我に返り、すぐさま本に目を落とすことにした。
これで傍目から見れば、他の客達と同じようにただ立ち読みしているように見えるはずだ。
罷り間違っても、先程のように声を上げ、周囲から注目させるなんて下の下。
せっかく見つけた、“この宝物”を他者へと横取りされてはならない。
私は隠れる形で立ち読み客を装いながら、改めて再び見つけたメッセージカードへと目を向けることにした。
先程は見落としてしまったのだが、日付の上には『横浜港現地集合』と事前に集まる指定場所が書かれていた。
「横浜港なのか……」
――だが、その招待状はまだ期限を迎えてはいなかったのである。
今日はまだ二月も半ば頃、今から郵送すれば間に合うかと思い食い入るように、その招待状の裏面を詳しく調べてみることにした。
どこにもコレを郵送するなどとは書かれておらず、ただ日時と場所が書かれているだけで、何故だか費用や持ち物等などの必要項目は何も書かれてはいなかった。
私は本の内容もそっちのけで、まるで万引きが見つからないようにと胸を高鳴らせる学生のように、そっと音もなく閉じるとその本を手にしたままレジへと向かう。
顔馴染みの店の主からは特別、先程の騒ぎについて咎められることもなく、昼食代程度の小銭で、本を入手することに成功した。
本をレジへと差し出したとき、本体に落丁などの不具合は無いかと中身を改められるかと内心焦ってしまうが、いつものように私が何か目ぼしい古本を見つけ買ってくれただけと、店主には思われたのかもしれない。会計レジ台に差し出し本が横たわったままの姿で、本の背にあったであろう値段を告げられ、そのままスライドさせる形で茶袋に仕舞われ、まるで店主の風貌を表すかのように素っ気無くも手渡された。
古本屋の良いところは、煩わしさを感じさせない無機質さにも集約されている。それは良く言えば他人に干渉をしない、悪く言えばたとえ本に不具合があろうとも、古本であるかぎり品質は保証しないという暗黙の了解であるとも言える。
本を購入して店を出ると、私は高鳴る気持ちと不安を胸に抱きつつ、急ぎ仕事場へ戻り残った午後の仕事を急ぎ早に済ませると、一心不乱に家路へと着いた。
書類鞄の中には、昼間購入したあの本が収められている。
よっぽど仕事の合間にでも封を開け、あの招待状を再度読もうかとも思ったが、なんだかそれだとこれが本当は現実のことではなくて、夢か幻の類に変わってしまうかもと恐れをなして、家に戻るまで我慢した。
家に戻るとすぐに、あの本を鞄から出す。
茶色の袋紙を開けることすら、邪魔であると言わんばかりの勢いで、セロハンテープで封をされている、それを乱雑にも伸ばすように引き千切る。
いつの間にか手汗が噴出し、既に手先までもが震えているが、武者震いだと自分に言い聞かせることで、どうにか購入したばかりのあの本を袋から引き出した。
家の中は二月と言うこともあってか肌寒く、家族も妻の一人すらもいない私にとっては、仕事と本こそが最大の安らぎと呼べるものであり、人生そのものだと胸を張って言える。
この世は、私の目から見れば何をするにも退屈で、とても刺激が少なかった。
仕事をしていても達成感などというものとは縁遠く、また遣り甲斐や生きる目的などは皆無。
あるのはただ会社のために働き利益を出し、労働の対価として毎月末にそれ相応の給料を受け取る。
給料を受け取るといっても、直接手渡されるような時代錯誤なこともなく、登録された銀行口座に振り込まれ、毎月二十五日前後に数字の羅列が記されるだけである。
入社した当初は志も高く、すぐに出世し、それなりの役職を得られると本気で信じ、身を粉にして働いてきた。
だが、それも会社内部の派閥争いや出世レースに打ち負かされると、私はただの名も無き会社の歯車の一つに戻されてしまい、上を見ることも下を見ることもできず、ただ毎日を仕事をしているという形の上で成り立っている存在になっていた。
そんな私が仕事の合間に立ち寄ることができるのが、古本屋だった。
普通の書店とは違い、古本屋にはどこか得も言えぬ雰囲気とともに、得も言えぬ味がある。
並べられている本の多くは既に紙の色が太陽の光によって経年劣化し、黄色味がかったものばかり。
それに所々破れているものもあれば、表紙の色すらも薄くなっているものまである。
それでも古本屋は魅力的だ。
なんせ定価の半分ないし十分の一ほどの値段で、入手することができるのだ。
その代わり、真新しいものほど値段は高く、逆に過去に人気で増刷された本こそ、古本屋の多くで出回り、安価で手に入る。
これは読書を趣味としている私にとってみれば、ありがたいことこのうえなかった。
人の趣味とは、十人がいれば十通りの趣味が存在している。何も一人一つの趣味であると定められていないため、いくつもの趣味を掛け持ちする人は少なくない。多趣味もそこに含めれば、十を遥かに超える数であろう。
日本のサラリーマンの場合、1980年代のバブル景気以降、顕著にゴルフが庶民のスポーツとして確固たる地位を築き始めてはいるが、何が面白いのか私にはよく理解できなかった。
それにいくら技術を磨こうが、ゴルフ以外の趣味では何の役にも立たない。
せいぜい、駅のホームでゴルフクラブに見立てた傘をスイングし、周りの人に迷惑をかける程度のものでしかないとの認識。
そんなものが国民的スポーツであるというのが、どこか可笑しくも甚だ疑問なのだが、他人の趣味にとやかく言う趣味は私にはなかった。
しかし、それでも本を読むという行為……読書だけは別格の趣味と言える。
本は人を別世界へと
もちろんその内容やジャンルにもよるが、たった千円に満たないほどの金額で、数日間は退屈を凌ぐことができるもの。
それこそが私の生きる目的であると同時に、すべてであると言っても差し支えない。
この本に、そしてまたこの招待状に出会ったことは偶然ではなく、むしろ“必然だった”に違いないと、今なら思えてしまう。
「やっぱりこれは本物なんだ」
改めて招待状を吟味した結果、確信した。
この招待状は本物であり、私は選ばれた存在なのだ。
もしかすると、この数十年生きてきた中で私は一番幸福と言うものを感じているかもしれない。
ちょうど、仕事場での余りある有給休暇の使い道を弄んでいたところだ。
これはまさに神が私に与えてくれた、好機とも思えるタイミングでのプレゼントだったに違いない。
私はこれまで多くの推理小説やミステリー小説を読み漁って来た。
その自負が手伝い、またどこまで自分が通用するのか、試してみたくなっていたのだ。
もちろん出版社主催のミステリーツアーなのだから、そう簡単に解けるものでもないことも重々承知したうえで、仮にトリックなどが解けずとも、楽しめればそれだけで十分だと考えていた。
だからこそ、私はそのミステリーツアーに参加することを決意した。
だが、そのときの私はまだ知らない。
これが“私”としての物語のはじまりであることを――。
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