第二章 悪逆皇子と狼少女 編

第4話 悪逆皇子、獣人の少女を堕とす

 さらば、俺の城よ。


 ここで過ごしたのはほんの一週間程度だたが、時に有意義で快適な生活だった。

 涙が溢れそうになるのを我慢して、俺は朽ちた山小屋に背を向ける。


「カイル、さびしいの?」


 フィーメが俺の顔をのぞき込んでくる。


「いや。これから不便になるなと思っただけだ」

「うん」


 俺たちは、人里を探して旅にでる。

 フィーメの「口などから食料を出す神の奇跡」は多用できない。

 今、フィーメには信者がいない。俺も信者ではない。故に、力を回復することは出来ないからだ。

 どうしても必要な時はためらわす使わせるが、そうでないなら極力温存だ。


 幸い、今まで彼女が吐き出した食料は残っている。

 備蓄に回したそれらを節約しつつ使えば、しばらくは問題ないだろう。


「そういえば」

「ん?」

「お前の出した食料だが、お前自身は食べて、糧になるのか?」


 最初の日、一緒に粥を食べてた記憶はある。


「……おなかは膨れる、でもそんなに栄養にはならない」

「まあ、神だからな」

「私が出したものじゃない食べ物だと、それなりに栄養にはなるけど」

「なるほどな。やはり食料の確保は最優先だな」

「うん」

「ああ、あと……」


 俺は念を押す。


「人に出会えても、お前が女神だということは秘密だ」

「うん。

 ……私は、信仰が失われた古き豊穣の女神、オーグツ神の信仰をよみがえらせようと他をする巫女、フィーメ」


 そう、それが二人で考えた設定だ。

 バカ正直に、異世界から追放されてきた女神ですと言っても信じるものがどれだれいるだろうか。

 皆無だろう。 

 いたとしても、絶対に面倒なことになる。

 

「そして俺は、そんなお前に命を救われ、布教の旅の供をする事になった帝国出身の男、カイル・アルアーシュだ」

「うん、頼りにしてる」



 そして俺たちは森を歩く。

 相変わらず、静かだ。

 鳥や獣の気配もない。


「……この世界、動物はいない?」

「いや、そういうことはないぞ」


 俺は説明する。


「この森が特別、というか異常なんだ。

 アシュバーン帝国と、フィルニアット王国の国境に位置する大森林。

 魔の森、死の森、夜の森と呼ばれる三つの森林だ。

 今俺たちがいるのが、夜の森。

 昼間でも暗いからそう言われる。

 そして……最近起きた戦争で、国全体が飢えているんだ」

「飢饉……」

「そうだ。魔道災害で土地は痩せ、凶暴化した魔獣で生態系はバランスを崩している。

 そして、なぜかよくわからんが、もはやここら一帯には魔獣どころか鳥や獣もいない」

「……わからないんだ」

「俺の知識は所詮は本や教室で学んだだけのものにすぎんからな。

 現実の情勢というものは常に変わる。

 今、ここで何か異様なことが起きているのかもしれん。

 まあひとついえるのは、とにかく何か食べ物は探すにこしたことはないということだ」

「……うん」


 探すのは人里と食べ物。

 その方針は絶対だ。



 一日歩いたが、人にも獣にも出会わなかった。

 だが、やはり……

 少しずつ、草が生えてきている。

 山小屋の向こうよのも、土地が肥えているということだ。比較的、であり、依然痩せた土地であることに代わりはないが。


「このまま進めば、ちゃんと食える植物があるかもそれんな」

「うん」

「まあこの草も頑張ればちゃんと食えるが」

「……うん」


 少量の米と麦、そして摘んだ草を煮込んでスープにして食べる。

 確かに量は少なく薄いが、やはりちゃんとした食事というものはそれだけで美味かった。

 もちろん贅沢しようとすれば出来るのだが、どれだれの道程が待っているかわからないからな。


「……静か」


 食べ終わった後、フィーメが言う。

 確かに、不気味だ。

 時折風が木々を揺らす以外の、音が聞こえない。

 動物がいないからだ。


「これで、死の森じゃないんだからな」


 死の森は、植物すら生きていないらしい。

 岩と枯れ木だけの森だとか、あるいは、木々すら案デッドであるとかいう話もある。

 近寄りたくはないものだ。


「私のいた国は、もっと命に溢れてた」

「まあ、何度も言うがここが特別だ。俺のいた帝国だってちゃんと人間もいたし動物もいたぞ」

「……聞きたい」

「あまりいい思い出は、ないがな」


 そして俺は、少しずつ彼女に過去を話した。

 彼女も、過去を話した。

 お互い、つらい事は避けて話したが、実に実入りのあるものだった。

 それぞれが違う世界の人間と、神。

 知識、常識の共有、すり合わせは必要だからな。


 けれにしても、改めて思う。


 誰かと話すというのは、いいものだと。




***


 三日目に、それは起きた。


「これは……」


 足跡だ。


「人間の……?」

「どうだろうな……」


 靴ではない。だが、人間のようにも見える。

 帝国流観察眼によると、

この歩幅は人間のものに近い。ただし、高速で走っている。おそらくは裸足だ。

 そういうタイプの魔獣か?

 あるいはゴブリンやコボルドのたぐいか。

 わからん。だが……


「行ってみる価値はあるな」

「うん」


 俺たちは慎重に、足跡をつけていった。


 その先には……川があった。


 そして……


「隠れろ」

「うん」


 俺たちは、岩陰に隠れる。

 そこには――


「うわああああああっ!!」


 叫び声をあげながら、水に手足を叩きつける女の子の姿があった。

 肩まである髪は灰色――いや銀色か、そんな色をしている。

 そして、その頭には、犬のような耳がある。尻には尻尾もあった。


「なに、あれ」

「獣人だな」


 ライカンスロープ。

 帝国でも見たことはあるが、そのほとんどは奴隷だった。

 フィーメのいた世界には、獣人はいないのだろうか。


「遊んでる?」

「いや……違うな。あの必死の形相、それに」


 飛び散る水。

 その陰に、銀色に輝くものが。


「……魚」

「ああ。魚を取っているのだろう。

 に、しては」


 ずいぶんとお粗末だった。

 獣人というものは、身体能力が人間より高い、野生の獣並だ。

 にも関わらず、魚を一匹もとれていないように見える。


 ああ――そういうことか。


「腹が、減りすぎているんだな」

「……減りすぎて?」

「おかげで、力が入ってないんだ」


 俺もそうだったからわかる。


「あ」


 次の瞬間、その獣人の少女は力つき、川に倒れた。




***


「ーーーーーーーっ!!」


 獣人の少女は、飛び起きる。

 理由はわかっている。

 いびきよりも大きく響いていた、腹の虫の音。

 そこに、魚をやいた香ばしい香りが直撃だ。死人だって蘇りかねない。


「ここは……


 ――!!」


 彼女は、すぐさま膝立ちで身体を屈めた体勢をとる。なるほど、これが獣人か。、幼いのによく鍛えられている。


「……魚……」


 そしてその視線は、魚に釘付けだ。

 涎を垂らし、凝視している。

 今にも飛びかからんとしているが、しかしそれを必死に耐えているように見える。


 耐えているのは、俺たちを警戒してか、それとも……


「どうした。今にも襲いかからんばかりに、腹を鳴らしているが」


 俺は彼女に声を掛ける。


「欲しいのか?」


「いや――欲しく、ない。いらない」


 心にもないことを言う。

 その嘘は、俺たちを騙すためではなく、自分に言い聞かせるように。


「そのわりには、必死に魚を取ろうとしていたようだが」

「うっ……」

「力つきて倒れた。俺が助けなければそのまま溺れ死んでいたかもな」

「…………それは、その。礼を、いいます」


 俺の言葉に嘘はないと感じたのか、少女の口調が少しやわらかくなる。


「でもそれは、あなたたちのだから……」


 ぐうううううううう。

 激しい音が鳴った。


 それでも耐えている。

 なるほど、獣人族にはそれぞれ部族や氏族に掟があるると聞いたことがある。

 おおかた、狩りの獲物を横取りするのは誇りに反する、ということだろうか。

 誇り高いな。普通は、飢えの前には小さな誇りなど消え去るものだが。


「無理をするな」


 俺は魚を差し出す。元々、くれてやる予定だったものだ。

 空腹のつらさはよく知っているからな。。


「最初に、お前が捕まえようとしていた魚だぞ。

 お前が力尽きたとはいえ、俺たちが後から横取りした――という見方もある。後から獲物をかっさらった、とな。

 つまり間をとって、俺たち三人の獲物、でいいだろう」


 その言葉が終わるかどうかの刹那。

 俺の手から、魚を刺した串が消えた。


 ――疾風か、それとも音か。そう思うほどの早さで、彼女は俺の手から魚を奪い取っていた。


 彼女はもはや、焼き魚しか見ていない。

 大きく口をあけ――かじり付いた。


「んんんんんんんんんんんっ!!」


 声にならない叫びをあげた。


「おっ――――おいしい! な、なんで!? この塩加減、えっ、塩!?」


 どうやら、かけられていた塩に驚いているようだ。

 この塩は、フィーメが吐き出したものだ。

 この状況なのでただ焼いただけだと思ったのだろう。そんなつまらない事を俺がすると思ったか。

 節約はする。倹約は大切だ。だが最低限の調理は、させてもらう。

 そもそも――ここにあるのは焼き魚だけだと、誰が言った? 


「出来た」


 フィーメが言う。

 そこにあるのは、先ほど穫れた魚を使った鍋だ。ベースに山羊乳を使い、野菜も入れてある。ジャガイモとニンジン、タマネギだ。

 鍋そのものは、山小屋にあったものを持ってきた。錆を落とせば十分に使えたからな。


「え……?」


 少女が目を大きく見開いている。


 理解できていないといった顔だ。もしかしたら、空腹が見せた幻覚、死ぬ前に見ている夢かと思っているのかもしれないな。


 だが――これが現実だ、獣人の少女よ。


 川て冷えた身体に、この鍋は悪魔の誘いのように魅力的だろう。

 だが安心しろ。俺は悪魔ではない。ただの悪逆皇子だ。

 悪魔のように、これを食べたければ代償を差し出せ、など言わないさ。

 さあ、欲しいのだろう?

 すでに一度魚を食べたお前には、もう自分自身を止めることは出来ない。

 口の中にはまだ味が残っているだろう。

 それが食欲をさらに刺激しているはずだ。

 完全な空腹の飢餓状態よりも、少しだけ腹や口に食べ物が入った時のほうが、より――食への渇望は増すのだからな。

 お前はもう、逃げられない。


 俺はお椀に鍋の中身をよそい、差し出す。


「ゆっくりと取れよ。さっきみたいに、慌ててもぎ取ると椀がこぼれる。

 熱いからゆっくりと食べるんだ」


 少女は、それを、おそるおそる、ゆっくりと手を伸ばし――受け取った。


「んんんんんん!!

 おっ……お、おいしい! すんごく……おいしいれす!」

「そうか」


 そして、少女が具をあらかた食べた後、まだ残っている麦を使い、粥にした。


「あっふぅうううん!! あふい、おいひいれふ!!!」


 少女はその粥もしっかりと平らげた。

 最高に幸せそうな顔だった。



 墜ちたな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る