第30話 エルセース教~4~
「こちらの要求を受け入れていただき誠にありがとうございます。そして。」
そう言って教皇様は箱を取り出した。華美になりすぎないほどの装飾がされた上品な箱だった。
「こちらが"証"となります。」
グレースの証。
箱を開けるとネックレスが入っていた。それを手に取りよく見る。銀細工の土台に無色透明の宝石が嵌め込まれたネックレス。よく見ると裏側には教会の紋章が刻まれていた。
「……ダイヤモンド。」
「その通りです。よくご存知ですね。」
この世界において、ダイヤモンドの価値は他の宝石に比べて低い。理由はいくつかある。ダイヤモンドは色がないのに比べて、ルビーやサファイアといった宝石は紅や青といった色がある。単純に色が付いている方が煌びやかに見えるということだ。ただ、それ以前にまず、加工が出来ない。カットが出来ればダイヤモンドの価値に対する考えも変わるのだろうが、いかんせん固すぎる。そのため、加工できる他の宝石の方がより魅力的なものになる。
というのがこの世界の現状のはず……
しかし、今目の前にあるネックレスのダイヤモンドはカットされたものだ。
ブリリアントカットではなく、エメラルドカットに近いようなカットだった。エメラルドカットと呼ぶにはあまりに不完全なものだった。ただ、カットがされている。そこが重要だ。
つまり…
って
「リース近い!!」
気付くとリースの顔がすぐ横にあった。
「ごめんなさい。見たことのない宝石だったので。」
「はい。どうせ見たところで複製できないから問題ないでしょ。」
私は興味津々のリースにネックレスを渡す。
…つまり、エルセース教はグレースがこの世界に持ってきた技術を、この世界ではまだ知られていない技術をいくつも使える状態にしているということ。
グ~ゥゥ
「リース!!」
思わず笑いながら私は言った。
「失礼しました!!」
リースはお腹を押さえながら慌てて言った。
「リース。ダイヤモンドは食べられないのよ。石を見てお腹すくかしらね。無色透明という意味では岩塩に見た目は近いかもしれないけど、あれは食べ物じゃ…そのまま食べても塩辛いだけだし……」
「エレノア様。
よくわからない分析はいいですから。
さっきのクッキー美味しかったなって思っていただけですから!!」
「それなら、もっとお食べなさい。」
緊張感がなくなり、ただの優しいお爺ちゃんみたいな雰囲気に戻った教皇様がクッキーの入った籠をこちら側に少し押した。
「えっと、エレノア様?」
リースが食べてもいいのですか?と言うようにチラチラとこちらを見た。
「せっかくの教皇様のご厚意だからいいわよ。
私も一ついただこうかしら。」
リースの毒味の後、なんだかんだで食べれていなかった。
リースが私が取りやすいように、籠を持ち上げて待った。
「ありがと。
美味しい!! これはバタークッキーですね。」
バターは常温でも保存できるとはいえ、この時期は日持ちがしない。というか溶ける。さすがに冷蔵庫があるとは考えにくいので、バターを作ってすぐに使ったのだろう。
「よく知っておられますね。お気に召したようでなによりです。」
少し誇らしげな顔をしている教皇様。
リースは私の後ろでクッキーを頬張っている。
……なんかカオスな状況じゃない?さっきの緊張した空気感はなくなったけど。
「少し移動しましょうか。お見せしたいものがあります。」
「はい?
それは二人も一緒でいいのですか?」
「かまいませんよ。」
私たちは教皇様のあとに続いて部屋を出た。リースもクッキーを口に詰め込んですぐについてきた。
教皇様に連れられてきたのはある扉の前だった。そこの扉の前には門番とでも言うべきであろう鎧を着た人が二人立っていた。その二人は教皇様に気付くと扉を開け、左右に寄った。
「どうぞ、お入りください。」
教皇様に招かれるがまま私たちは中に入った。扉の奥は書庫だった。
「ここは図書室ですか?」
「ええ。ここはグレースに関して書き記された書物、グレースたちが自分たちの知識を書き残した本が納められている部屋です。
どうぞこちらへお掛けになって。」
私たちを座らせると教皇様は少し席を立った。すぐに戻ってきた。
「エレノア様、こちらに名前を書いていただけますか。歴代のグレースの名前を連ねたものがありますので。前の名前もお願いします。」
「わかりました。」
私は言われるままに名前を書いた。
エレノア・フォン・ルミナリア
前:相崎英莉奈
ただ名前を書くという作業をしただけ。
でも、なぜか涙が溢れてきた。
色んなことがあり、エレノア・フォン・ルミナリアとして長く生きてきた気持ちになっていたが、実際はまだ半年とちょっとしか経っていない。それでも今の家族に自分のことを話した日、相崎英莉奈からエレノア・フォン・ルミナリアになった気でいた。気持ちを切り替えたはずだった。
でも、今名前を書いた行為は、なぜだろう相崎英莉奈という自分の存在からの完全な決別のための儀式のように感じた。もう帰れないことは前々からわかっている、でも何でだろう寂しいというか悲しいというか…
……リアナ?
リアナが私を抱きしめてくれていた。リースも私の手を握ってくれていた。
「リース、リアナ。ありがとう。」
私は涙を拭いながら名前を書いた紙を教皇様に手渡した。
「エレノア様、大丈夫ですか?
何かを思い出させてしまったなら本当に申し訳ありません。」
教皇様も心配そうな顔でこっちを見ている。
「お見苦しいところをお見せしました。もう大丈夫です。」
私は笑って見せた。
「そうですか。ところで、エレノア様にお願いがあります。この書庫にある技術を広めていただけませんか。」
「というと?」
「エレノア様は商会を経営なさっていますよね?この書庫で眠っている技術を少しずつ使えるものにして欲しいのです。私たちとしてはグレースが文化の発達のために残したこの書物たちがずっとここで眠っているのも。一応全てのグレースにお願いはしているのですが、それを行う以前の技術が不足していたりであまり…」
「わかりました。善処します。」
「ありがとうございます。今、こちらの書庫のものを読んでいただいてかまいませんし、今後も証があれば自由に出入りしていただけますので。ただ、持ち出すことだけは…後お連れ様が読むこともご遠慮ください。」
「わかりました。少し拝見しますね。」
書庫を回って見ると様々な本があった。グレースがここじゃない何処かから持ち込んだ技術をまとめた本だけではない。『帝国初代皇帝の日記』をはじめとするかつてのグレースたちの話の書かれた本、『悪魔を宿した子』などの教訓を持った童話までもあらゆる本が収められていた。
ただ、技術に関する本もいくらかは、そして技術に関係ない本はほとんどが鍵付きの本棚に入れられており、本棚のガラス部分から本棚の中を覗けただけだった
気付くともう夕方だった。そういえば、リースがお腹をすかしたときにはすでにお昼頃だったし…
「教皇様、申し訳ありません!
こんな時間になっているとは。」
「いえいえ、お気になさらず。そろそろお帰りになられるのですか?」
「はい。お姉様が心配していると思いますので。」
「またいつでもいらしてくださいな。商会や学院のお話をしに来られるだけでもかまいませんので。」
教皇様はどこにでもいそうな優しいおじいちゃんのような笑顔でいた。
「そうさせていただきます。」
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