第20話 典礼
「皆さん、はじめまして。私はエルセース教大司教のフレールと言います。この場のすべての方々に神の加護があらんことを。」
エルセース教、多くの国が国教としている宗教であり、創世神の他にも複数の神が存在する多神教である。地域によってはエルセース教でない地域も存在するが、そのような地域で信仰されている神もエルセース教は複数の神のうちの一体と考えており宗教的には比較的寛容である。そして、"グレース"に対する保護、証明を一手に担っている宗教でもある。また、各国に対しての公平性のためエルセス大聖堂を本山とし、その周辺に小国程度の広さの自治領土を有している。
聖典の一部を復唱したり、讃美歌を歌ったりした。
「初等部一年の生徒は洗礼式の会場に移動してください。」
私たち一年はこのタイミングで洗礼を受けることになる。王国民全員がこの年齢で洗礼を受けるのだ。各地の教会でも洗礼が行われる。
会場に全員が集まり洗礼を受けた。
洗礼後はしばらく待機。この時間は大司教に面会して色々訊ねることができる。大司教以外の教会関係者に話を聞くこともできるし、懺悔や悩みを相談することもできる。
私は聞きたいことがあった。もちろんグレースについてだ。情報があまりに足りなさすぎる。おそらく私はグレースであることは確定であると思うが、その証明を手にいれるメリットとデメリットがわからない。
私がフレール大司教のいる部屋に向かうと、数人が順番待ちをしていた。
扉の前にたっている女性が私に気づいて言った。
「フレール大司教に御用ですか?でしたらあちらにお並びください。」
「わかりました。」
私はそう言って軽く頭を下げて最後尾に向かった。
ふと見ると、扉の前の女性は大きくため息をついた。それもそのはずだ。結論から言ってしまえば教えを学びたい人たちは他に来ている牧師さんたちに話を聞きに行くし、懺悔なら別に場所が用意されている。では、どんな人がここに並んでいるかというと、「私は(僕は)グレースですか?」なんて聞きにくる人だ。普通に聞けば訳がわからない話だが、毎年起こっていることだ。確かにグレースに対する状況が少ないことも理由のひとつだが、やはり自分は特別だと思いたいお年頃。自分はもしかしたら…と思う子供たちが列をつくるのだ。
ならば、なぜこの面会をやめないのか。一応本当にグレースがいる場合も考慮して毎年せざるをえなくなっているわけだ。まあ、この面会がなければ私は困ったわけだが。
「失礼します。エレノア・フォン・ルミナリアです。」
ようやく私の順番がやって来たので部屋にはいる。
「あなたがエレノア様ですか。来てくださると思っていましたよ。数々の寄付もありがとうございました。」
そう言ってフレール大司教は少し頭を下げた。
「エレノア様がお聞きになりたいことはグレースについてでよろしいですか?」
「はい、そうです。」
私は答えた。
「グレースとは一体何なのですか?」
「基本的には聖典通り別の知識を持つものとだけでしょうか。」
「それは別の記憶ということでいいのでしょうか?」
フレール大司教は少し考えた様子のあと、私の言ったことを肯定するかのように少しだけ頷いた。しかし、それを言葉にはせず、説明を続けた。
「エルセス大聖堂でグレースの証明は行っております。エレノア様でしたら紹介状をお書きしますが。」
紹介状を書くということは私がグレースであることに目星をつけているのだろう。
「でしたら教えてほしいことがあります。グレースがグレースであることを隠して生きていくことは可能なのですか?」
言ってからこの発言はもしかしたら不味いことになった可能性もあったなと思った。かなり単刀直入に聞いてしまった。神の使いとしての義務を果たさないのか!!なんて言われるかもしれない発言だった。しかし、フレール大司教はそんな私の発言を気にすることはなかった。
「グレースがそれをお望みとあらば。証明を受けたものに限りますが、虚偽の否定をすることは可能です。」
「グレースをグレースでないと公表できるということですか?」
「そうです。」
「でも、なぜ?」
「これ以上はお答えすることは出来ません。ただ、証明後に今まで通りの生活がお望みなのであれば、それを保証するために、エルセース教は出来る限りの力をお貸しします。」
グレースが神の使いとして働く手伝いをするというのであればわかる。聖典内であれだけ神聖視しているのであるから。しかしグレースの存在を隠すことが出来るというのはあまりに意味がわからない。エルセース教からしたらメリットがない。宗教にメリットというのは言葉違いかもしれないが、聖典上のエルセース教の 本質とは異なる気がする。
こんな風に中途半端に情報を渡されても、信用しづらい。グレースが多くの国の成り立ちに関わっていることは知っていても、それ以外の情報がなさすぎる。グレースであったと言われている隣の帝国の初代皇帝に関しても、神聖化された逸話ばかりで要領を得なかった。フレール大司教の言うことが本当ならほとんど情報がないことに関しても辻褄は合うが、グレースの扱いの発言について正しいとも言い切れない。全員を処分している可能性だって否定しきれない。
自分の命がかかっているかもしれない状況下で私は最悪の事態ばかりを考えている。
私が難しい顔で考え込んでいるとフレール大司教が口を開いた。
「かえって疑心暗鬼にさせてしまったようですね。」
私はハッとしてフレール大司教を見た。
「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですよ。
神に仕えるものの言葉が信じられないのか!なんて言いませんよ。」
フレール大司教は冗談混じりに言った。
なんか心を読まれているみたいで癪だが、あれだけ顔に出してしまったのだからしょうがないか。ただ胡散臭く感じた。ただ、フレール大司教はフレール大司教で私が疑心暗鬼になっている様子に頭を抱えているようだった。
彼は自身の持っている聖典の上に片手を置き言った。
「教えに誓って。エルセース教がグレースに危害を加えるものでないことを宣言します。」
聖典の上に片手を置いて何かを言うという行為は最大の誠意である。この行為は神に誓う行為にあたるからだ。この場に置いてこれを宣言した。つまり私がグレースであることを確信した上でこれまでの発言全てに嘘偽りがないことを宣言したのだ。
「こちらをどうぞ。」
そう言ってフレール大司教は一通の手紙を取り出した。
「私からの紹介状です。これを持っていけばエルセス大聖堂ですぐに教皇にお会いすることができます。」
この感じだと、私に選択権はなさそうだ。エルセース教から破門されれば貴族なんて地位にはいられなくなるであろうこの世界で私に教皇に会わないという選択権はなくなった。今日の軽率な行動は悪手だったかもしれない。フレール大司教の言葉が全て真実であることを願うしかなくなったわけだ。少なくとも今わかっていることは、グレースの存在について聖典にも書かれていない何かがあるということ。
「今すぐでなくてもいいんですよね?」
「はい、かまいません。」
それならば秋の終わりに学院は長期休みがある。その時に行くのがベストだろう。
「ありがとうございました。」
私はそう言って立ち上がった
「こちらこそ、警戒を招いてしまったようで誠に申し訳ございませんでした。本山にて知っていただけると誤解も解けるかと思っております。あと出来ればここでのグレースについての話は口外しないでいただけるとありがたいです。」
「わかりました。私の安全が保証されている限りは。」
「それでかまいません。我々エルセース教はグレースを助けるものですから。」
フレール大司教はこの発言も聖典の上に片手を置いて言った。
私は部屋を出るとすぐにパーティー会場へ向かう。役員としての仕事があるからだ。
すぐにパーティーが始まった。ふと見ると教会関係者も多く見受けられた。
「クレアさん。教会の方々もいるんですか?」
私は横にいたクレアさんに小声で訊ねた。
「もちろんよ。本来はあの方々をもてなすパーティーだもの。」
え??知らなかった…
私が一人でいるとどこから現れたのかフレール大司教に声をかけられた。
「このソースいいですね。聞いたところによると、これもエーリア商会の商品だそうじゃないですか。」
先程までの重くなってしまった雰囲気とは異なりかなり軽い口調だった。
「今度の寄付はこれにしてくれると嬉しいですね。」
私は思わず、は!? みたいな顔をしてしまった。
「我々教会の人間だって人間ですから美味しいものだって食べたいんですよ。」
やけに俗に揉まれた大司教だと思うが、初めて人間らしさを垣間見た気がする。
「そうですか。今度本山の方へ伺う際にはこちらを寄付させていただきますね。」
「少しでいいので、王都の教会にも寄付していただけませんかね…
我々がこういう嗜好品に分類されそうなものを購入するのはですね。はい、そういうことなので。」
正直言って、ここまで人間味があるとかえって信用できる気がした。
「わかりました。ただ、今は在庫がありませんので落ち着いたらということで。」
「神の恵み、信徒のご厚意に感謝いたします。」
フレール大司教は仰々しく頭を下げた。
こんな感じで終了した典礼は私に大きなブラックボックスを残していった。
私の行動は正しかったのだろうか。
そうでなければどこで間違えたのだろうか。
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