第4章 結

第29話 シェルリオールという女

 前王の死からひと月。

 予想通り、新王の選定は問題なく進んだ――とは言えなかった。国中の貴族が真っ二つに割れ、王子と王女をそれぞれ支持し、玉座に据えようとしたからだ。

 けれど、たったひと月で、決着はついた。はじめから軍部を押さえていた世継ぎに、血筋は良くとも何の実行力も持たない貴族と、それに担ぎ上げられた王女ヴェレトカレンが太刀打ちできるはずもない。

 今日、彼女の最後にして最も強力な支持者であったベルン公爵の首を刎ねた。

 しらせはとうにヴェレトカレンのもとへ届いているだろう。



 王宮の奥、かつて王妃が暮らしていた離宮が、そのまま今のカレンの居住区となっている。

 宮廷からは離れているとはいえ、昼間とは思えぬほどに静まり返ったなかを、供のひとりもつけずに王子は進む。その静けさは、離宮の主の父たる前王の喪に服しているから――では、ない。

 いまや名実ともに次期国王となった世継ぎが訪れたというのに、侍女のひとりも姿をあらわさない。うんざりするほどしきたりに口うるさい宮廷において、それがどれほど異様なことか。

(噂は聞いていたが、これほどとは)

 哀れみから、思わず世継ぎは嘆息した。

 ヴェレトカレンの旗幟が不鮮明になるにつれ、寝返る臣下や逃げ出す使用人が出始めたという。そしてついに、ヴェレトカレンの敗北が決定的なものとなった今、誰も敗者たる王女のもとへ残らなかったのだ。

 建物の奥へと歩を進める。混乱の形跡はそのままに残され、どの部屋も、ものが散乱し、引き出しがひっくり返され、衣装が投げ出されて踏みつけられたままになっていた。どさくさにまぎれて高価な品を持ち出した者だってあるだろう。



 最上階の客間に足を踏み入れて、世継ぎはひとつの影を見つけた。

 はじめ、それが何なのか、すぐには分からなかった。世継ぎの位置からは逆光になっていて、何かがきらきらと輝いているとしか見えない。皮肉なことに、ステラリオン人の血が入った世継ぎの淡い色の目は、まぶしい光に弱い。

 客間のなかへつかつかと入って、陽光から逃れられる場所に位置取りをして。その時はじめて気づいた。ふたつのドレス、ふたつの髪色。

 ソファにふたりの女が座っている。ひとりは横たわり、目を閉じて眠っているかのようで、いまひとりはきちんと腰かけ、眠る女の頭を膝にのせて何度も撫でている。

 眠る女はヴェレトカレン・ロッドラント。

 それを撫でる女は、シェルリオール・ステラリオン。

 少し近付けば、ヴェレトカレンの顔には憔悴の色が濃いことがわかる。それもそのはず、このひと月というもの、刻々と劣勢へ追い込まれてゆくだけの日々だったのだ。

 そのためにかえって、子供こどもしていた顔立ちはぐっと大人びた。ふいに彼女の母親の面差しを見出し、世継ぎは不愉快げに眉をひそめる。


 カレンに注がれる不躾な視線を遮るかのように、シェルリオールは腕を伸ばし、カレンの頭を抱え込むようにした。世継ぎは薄く笑んで、一歩後ろへ距離を取る。害意はないと示すように。

「仲の良いことだ。うるわしい友情だね」

 本心では、シェルリオールの執心の正体にも、昔からヴェレトカレンが彼女を気に入っていた理由にも、興味はない。

 だが、目を閉じたままのヴェレトカレンのくちびるが、ほんのかすかに、不自然に震えた。やはり起きているようだ。

 世継ぎは玉座を手に入れるためにシェルリオールと手を結び、彼女が望んだから、ヴェレトカレンを与えると約束した。大好きなシェルリオールに、おのれが物品のようにやりとりされたことを、ヴェレトカレンは知らない。そのはずだ。

「満足かい。シェルリオール。きみの復讐は」

「復讐?」

 王子の問いは三文芝居のようで、対しシェルリオールの返答はどこまでもそらぞらしかった。

「すべてはカレンの気まぐれから始まったね。あの時妹がお前を欲しなければ、こんな未来にはならなかっただろう。

 とうに殺されて、来世で親兄弟と再会していたかもしれない。

 養子へやられて、自分が王女であったことも忘れて嫁いでいたかも」

 対し、シェルリオールは筋金入りの気位の高さで、眉ひとつ動かさない。

「仮定に何の意味があると? それこそ――祖国が滅びなければと、わたくしが一度も思わなかったとでも」

「意味はある。なかったとは言わせない。

 お前がカレンの手許に置かれたことで、父はお前に目を留めた。父の手がついたことで、僕はお前の利用価値に気がついた」

 王子は微笑んだ。

「ね、すべては繋がっている。カレンの人形になったことで、今この時まで、お前は生き延びた。カレンのせいで、とも言えるね」

「…………」

「これがきみの復讐かい? きみの祖国ステラリオンを滅ぼした男は死んだ。その男の娘も手に入れた。少しは満足できたかい?」

 シェルリオールは、すぐには何も答えなかった。ただその表情は、図星をつかれて言い淀んでいるのとも、まだ満足などしていないというのとも、違う。おのれの裡の言葉を拾い集めているかのように、目を伏せ、何かを考えている。

 ややあって、彼女は顔を上げ、まっすぐ世継ぎを見上げて言った。

「満足など、欠片もしていないわ。何もまだ終わっていない。これから始まるのよ」

「ほう」

「敵だらけのこの国へ連れてこられてから、ずっと、死んでいるのと変わらなかったわ。ただカレンのそばにいる時だけ、わたくしは、生きていられた。わたくしのことを必要だと求めてくれる、カレンがいる間だけは」

「なるほど。確かに、きみを欲しがる者など、カレン以外にいなかっただろうね」

 シェルリオールはわざとらしく肩をすくめてみせる。そのしぐさに、やはり変わった、と思う。

 1ヶ月前、国王の崩御を境に、目に見える変化がシェルリオールにはあった。

 世継ぎへの警戒と不安、不信を隠そうともしなかったのが、気づけばそのような隙など、まったく見せなくなった。生来の気質か、ひとをひととも思わぬような傲慢な振る舞いさえ見せるようになった。あの死にかけの病人のようだった女はどこへ行ったのか。

 ここにいるのは、生まれながらの王族にして、次代ロッドラント王の妃になる女だ。誰にも跪かない女。誰にも心を見せぬ女。目的のためならどのような手段でも使う女。おのれの無力ささえ武器にする、賢く愚かな、亡国の王女。

「わたくしの祖国を滅ぼした男は死んだわ。もうカレンからわたくしを――いいえ、わたくしからカレンを奪う者はいない」

 これでようやく、わたくしの人生が、始まるの。

 ため息混じりに落とされた声は、感極まっているようにも聞こえ、疲れ切って老成した声のようにも聞こえた。

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