第23話 シェルリオール
「ああ」
震えた声でうめいて、ルゥはおのれのからだを抱きしめた。そうでもしなければ、腹の底から溢れてくる感情を押さえ込むことはできなかったから。
「ああ……うれしい……よう、やく」
「ええ。ようやくですよ」
「長かった……こんなに時間がかかるなんて。でも、間に合った、カレン」
ルゥのつぶやきを、王子は礼儀正しく聞こえないふりをした。
ややあってルゥは深く息をつき、表情を引き締め背筋を伸ばす。
「ごめんなさい、取り乱したわ。――まさかこのことを伝えるためだけに来たわけではないのでしょう?」
「この後のことをおおまかに話しておきたかったんですよ。国王陛下不如意でいよいよとなれば、僕もおそばに控えきりになります。当分はこちらへ寄れないでしょう」
「ええ」
「陛下崩御となれば、すぐに新王即位となります。順当にいけば一日もかからないでしょうが、順当にいかない場合も考えられます」
「貴族たちがカレンを擁してあなたに対立しようとする可能性ね」
王子はうなずく。
「こちらは僕が対処します。シェルリオール、あなたの手はわずらわせません。――ただ、懸念があるとすれば、僕の即位が延びればその間、あなたの処遇が宙ぶらりんになることですね。あなたの腹の子の父親が僕であることは即位後に公表する予定なので」
それまでは宮廷人の誰もが、ルゥの腹の子は現国王の種であると疑わないはずだ。
国王崩御、新王即位となった時、前王の子をはらんでいる愛妾の存在を思い出して利用しようとする者がいないとは限らない。
「あなたにも護衛をつけます。周りが騒がしくなるでしょうが、我慢してください」
「その程度のことなら」
「助かります」
王子は軽く頭を下げ、形式だけの挨拶もなくそのまま踵を返し部屋を出ていった。
残されたルゥは、ひとり笑みを浮かべようとして、失敗した。無様にゆがんだくちびるを震わせ、ルゥは顔を覆い、うつむく。
もう数え切れないほど思い浮かべた未来が、現実になる。ルゥは祖国と――カレンを手に入れる。
カレンのため、その魔法の言葉だけを拠り所にして、いままで耐えてきた。カレンを殺したがっている王子に譲歩させるためには何でもした。カレンはルゥにとっての唯一で、特別で、すべてだ。ずっとそうだった。そしてこれからも、そうであり続けるはずだ。
だが、カレンはルゥを見て、どう思うだろう。かつてラヴィニアの花を渡した相手がおのれの父と兄と相次いで子をもうけ、そしらぬ顔でロッドラント王の妻となるところを目の当たりにしたら。
カレンはルゥを憎むだろうか。裏切られたと思うだろうか。汚らわしいと厭うだろうか。
いっそカレンにすべてを打ち明けてしまいたいと、何度も考えた。しかしそれを実行に移したところで何が変わるというのか。王子の血筋の怪しさを弾劾したところで真実を知るはずの王妃はとうに亡く、真相は闇の中だ。非難された程度であの王子が玉座への野望を諦めるはずもなく、結局は流血によって解決する以外に方法はない。そしてロッドラント軍の主力を掌握している王子は、足並みの揃わぬ貴族たちの私兵などたやすく蹴散らすだろう――そうなればカレンは問答無用で殺される。
「そう、だから、これでいい」
ルゥはつぶやく。自身に言い聞かせるように。
たとえカレンにどう思われようと、彼女の命を救うためにはこんな手段をとるしかなかった。これがルゥにとっての、無力な亡国の王女にとっての最善だったのだ。誰が、なんと言おうとも――――。
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