第3章 王女はラヴィニアの花を乞う
第18話 シェルリオール
誰かが歌っている。離れたところで、それも複数の女たちが。
重たい瞼を押し上げて、ルゥは、自分が寝台に横たわっていることに気づいた。ぼんやりと何度もまばたきを繰り返しているうちに、ゆっくりと自分の置かれている状況を思い出す。
のろのろと上体を起こすと室内には誰もいなかった。ただし隣室へ続く扉が大きく開けられていて、歌声はそちらから聞こえてくる。この部屋の主が眠ってしまったから、侍女たちは暇になって、向こうでおしゃべりや歌に興じているのだろう。
どこかで聞いた歌だ。なんの歌だっただろう、と記憶をさかのぼって、数年前にカレンと観た歌劇の曲だと思い出す。
題を、そう、ラヴィニア恋歌という歌劇だった。ルゥの年の離れた二番目の姉と、その婚約者でいとこだった王子を題材にした悲恋物語。隣の部屋の侍女たちは当然ルゥがステラリオンの王女であったことを知っている。彼女たちに好かれていないことにはとうに気づいていたから、嫌みのつもりかな、とルゥは思った。だとしてもひどく幼稚であることだ。
あの歌劇が、ほとんど事実に即していない作り話であることを、ルゥだけが知っている。
ステラリオンの王城が落ちた時、ルゥは城の奥、王族と女たちだけが暮らす区域にいた。あの場にいた者たちは、男も女もほとんどが死んでしまって、幼かったルゥだけがこうして今まで生きながらえた。
歌劇は悲しくうつくしい物語だったけれど、現実はそうではなかった。城が陥落したと知らされた時の女たちの狂騒、悲鳴、泣き声……野蛮なロッドラントの兵士たちに乱暴されるくらいならと、女官たちも侍女たちも次々にラヴィニアの花の毒をあおり、死んでいった。崩れ落ちた彼女たちのからだの周りにドレスの裾がまあるく広がって、色とりどりの花が咲いたようだと思った。
堅く閉ざしていたはずの門が破られ、奥までロッドラント兵たちが侵入してきた時、恐慌状態に陥った侍女たちが何人もバルコニーから身を投げた。彼女たちは苦しむことなく死ぬことができたのだろうか。落ちてゆく女たちの悲鳴が途切れる瞬間の恐ろしさをいまでも忘れることができない。
あの時、何人かいたルゥの姉たちは最期まで王族として誇り高く振る舞った。
二番目の姉――歌劇に出ていた巫女姫は、ラヴィニアの毒をすべて侍女たちに配ってしまったために自害することができなくて、婚約者にして恋人であった王子にくちづけた後、彼の手によって剣で胸を貫かれて息絶えた。
三番目の姉は隣国の世継ぎと婚約していたから、ロッドラント兵に見逃されるかもしれないと、わたしのほかに姉妹のなかで唯一生きたままロッドラントに捕まった。でも、結局助かることなく、城壁から吊されてしまった。
作り話の嘘だらけの歌など、どれだけ聞かされてもこころは痛まない。
ルゥを傷つけるのはいつだって真実――事実――現実だけだ。
たとえば、ステラリオン落城の時。誰もルゥにラヴィニアの花をくれなかったこと。誰もルゥにみずから命を絶つことを許してくれなかったこと。
たとえば、いま。カレンをあざむくかたちで王宮にやってきていること。ずっとそばにいると誓ったカレンのもとを離れ、王の非公式の愛妾として宮中の奥深くに隠れていること。
(早く、早く、終わってほしい)
それだけをずっと思いながら、この二年を生きてきた。カレンのもとから引き離されて以来、ルゥは抜け殻のようだった。
カレンのために、カレンの命を救うために、王子と手を組んだ。後悔はしていない――するはずがない。
でも、このままでは、息ができない。
ここにはカレンがいない。ルゥを心から愛してくれる者が、いないのだ。
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