第17話

 その日、カレンは叔母君から誘われたという舞台鑑賞のために、侍女のほとんどを連れて昼から出かけていた。

 留守役として残された者たちは、都で流行りの歌劇を観られる機会だったのにと残念そうにしていたが、気づけば留守の役目はどこへやら、ひとりふたりと姿を消して誰もいなくなってしまった――おそらく秘密の恋人と逢い引きでもしているのだろう。

 静まりかえった離宮のなかにひとり取り残された気持ちになって、すこしだけ寒々しさをおぼえる。

 いつものように刺繍をしようと、日の当たる窓際に椅子を置き、道具を揃えて針を持ってみたものの、どうしたわけか集中できず、何度も目の前の布地から顔を上げて息をついた。そして何度目か、なにげなく窓の外を眺めた時に、ふと黒っぽい外套をまとった人影が目に入った。

 刺繍枠を置いて立ち上がり、窓をのぞき込んでみたが、やはり間違いない。誰かが、この離宮を目指して近づいている。

 誰だろう、と一瞬だけ思ったが、考えるほどのこともない。

 未婚の王女の住まう離宮を単身で訪れることのできる男性は限られている。分別のある身内の男性、そして供もつけずに平然と動ける立場であること。そんな相手は一人しか思い当たらない。この離宮の主であるカレンの肉親――変わり者の世継ぎ殿下だ。


 階下に降りて出迎えたわたくしに、世継ぎの王子はふだんと変わらぬ笑み向けた。

「ごきげんよう、殿下」

「ごきげんよう、シェルリオール。――答えを聞きにきたよ」

 やはり、想像通りの理由だった。この人が、カレンの不在を狙うようにしてやって来る理由など、それ以外には考えつかない。

 わたくしは感情をのぞかせないよう、極力冷淡な声で、言った。

「まだ二年の期限を迎えていないのでは?」

「申し訳ないが、状況が変わったんだ。あまり悠長にはしていられない」

「それは殿下の事情でしょうに」

「その通り。でも、あなたにも関わってくる事情でもあるよ」

 王子は勝手知ったる様子で応接間へ入るとソファに腰を下ろした。わたくしはその斜め前に立つ。もしも誰かにふたりでいるところを見られたとしても言い訳ができるように。偶然殿下がいらしたので、応対をしていただけですと――間違っても”逢い引き”などと疑われることのないように。ちょっとした疑いをかけられるだけでも命取りになるほどに、ここにはわたくしの敵しかいないのだから。

「殿下、あなたは……」

 言葉を探し、一瞬だけ目を伏せる。

 カレンは死ぬ、自分が殺すと、王子はかつてそう言った。

 わたくしがこれから口にするのは、できれば間違っていてほしいと思う、推測であった。自分で導き出した結論でありながら、外れていてほしいとさえ思った。だが、おそらく、そんなことにはならないとわたくし自身理解している。

 なぜならば、わたくしにこの話を持ちかけてきた時点で、王子もすでに危ない橋を渡り始めているからだ。生半可な覚悟で決意したのでないことは、誰にだってわかる。


「……あなたは、ご自身がロッドラント王の息子ではないことをご存じですね。有名な話です。それゆえ、唯一正当な王の血を引くカレンのことを邪魔に思っている」

 王子はにこにこして聞いている。

 その表情を見ながら、ためらいつつ、続きを口にする。

「女官たちがよく噂をしているくらいですから、あなたが王と不仲であるというのも事実なのでしょう。そして王は、あなたではなくカレンに跡を継がせたがっている、というのも」

「宮廷雀たちはおしゃべりだからね、あることないことわめき尽くす。女官たちの噂がどうして事実だと思える?」

「あなたから、この謎かけをいただいた時のことです。足をくじいていたわたくしを、単身あなたが――世継ぎの王子ともあろう方が、探しに来ましたね。供のひとりもなく、あのような山道を。

 同行者のひとりもいない、使用人に任せるような仕事を世継ぎの王子がわざわざ名乗り出る、しかも誰もそれを止めないということは……あなたの存在が宮廷内で軽視されていることを意味するのではありませんか」

「なるほどね。――でも、父とカレンの存在が疎ましいなら、さっさと殺してしまえば済む話だ。どうしてわざわざあなたにヒントを与えてまで、教えようとしたと思う?」

 王と妹を殺す、だなんて、誰かに聞かれれば謀反を疑われても仕方ないことを平然と口にしてのける。彼のなかではとうに腹が決まっているのだろう。そして、わたくしがこのことを誰かに告げ口するはずがないということも見抜かれている。

 この話を持ちかけられた時点で、わたくしもすでに王子の”謀叛”に巻き込まれている。もしもすべてが発覚した時に、何も知らなかった、翻意などなかったと訴えたところで、誰もそれを信じるはずがない。

 だからこそ、この話をされた時点でわたくしは退路を断たれていたのだ。誰にも相談することなどできず、一人で抱え込んで悶々とするしかなかった――。

「それは、わたくしがステラリオンの王女であったからでしょう。――旧ステラリオンの民がいまだに抵抗を続けていて、統治に難航していることは聞いています。ですがわたくしという、最後の王族の存在があれば、ステラリオンの民も従順になる。だから、殿下にとって、わたくしには利用価値がある」

「おおむねその通り。父とカレンを排除して、玉座に登るだけなら明日にだって実行できる。ただ、僕がほしいのはこの国であって、旧ステラリオン領はむしろいらない。あそこの民は誇り高い、千年続いた聖王国の末裔という誇りがあるからこそ、ステラリオン王家以外を統治者として戴くことは認めないだろうね。

 ステラリオンなんて厄介ごとの火種は、抱え込むより一思いに手放して楽になりたいところだ。でも、一度手に入れた国を手放すなんて容易にはできない。必死にに戦ったロッドラント貴族たちは反発するに決まっている」

「だから……、わたくしの存在が必要なのですね」

 平然を装ったつもりでも、声がわずかに震えた。これから自分がとんでもないことに荷担させられるのだと意識せずにはいられない。

「ロッドラントのお得意ですものね、婚姻による属国化は」

「まあね。あなたには僕の血を引く子を産んでもらって、その子孫が属国となったステラリオンを治めていくことになる。――そんなにいやそうな顔をされるとすこしは傷つくなあ」

「まさかわたくしが大喜びするとでも?」

「思っていたよ、残念ながら。だって、ステラリオン王家の血を残すためにあなたがとれる手段は婚姻だけだからね。そうでもなければ、敗戦国の王女の末路なんてたかがしれている」

 まったくその通りだ。だからわたくしもくちびるを噛みしめるだけにとどめておいた。

 どれだけ無礼な相手だろうと、いまはこの王子と手を結ぶしかない。脆弱な女ひとりの力で、祖国をロッドラント人の手から取り戻すには、使えるものをえり好みしていられない。


 ――その時一瞬、眼裏に浮かんだのはどこまで白いラヴィニアの花だった。カレンがわたくしに贈ってくれた花。

『カレンのためならば自分の命さえ惜しまない』

 あの花を受け取った時にそう誓った。だから、わたくしは躊躇わない。けして後悔は、しない。

 なぜならばカレンを救うために、この王子に殺させないために、わたくしは自ら望んでこの道を選ぶのだから。

「……共犯という言葉をあなたから使ったのだから、相応の態度をとりなさい。わたくしたちは対等な立場です」

「これは失礼。確かに、あなたのおっしゃる通りだ」

 わざとらしく片目をつぶって見せた後、彼は立ち上がって手を差し出した。

 わたくしはその手を睥睨するように見つめ、彼の手の甲におのれのそれを軽く打ち付けた。

「握手はしないわ――ステラリオンの王族はね。心から気を許せる相手にしか、手のひらを差し出さないのよ」

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