第15話
ステラリオン王家の生き残りがロッドラント王女に取り入って何を考えているのだと、陰に陽に、これまで何度も言われてきた。よからぬことを企んでいるに決まっている。なぜ陛下はこのようなものを、王女のそばへ置き続けるのか、と。
この王子も、臣下たちと同じことを思っているのだろうか。無理もない。大事な、ひとりだけの妹がステラリオンの王女を気に入って、後になって手ひどく裏切られることのないようにと心配なのだろう。
「周りには女官たちがいるといっても、ひとまわり以上も歳が離れていることだし。カレンにとって、年齢も、立場も、あなたが最も近くて親しみやすいのだろうね」
「恐れ多いことです、殿下」
目を伏せ、それだけを答えた。本当は口をききたくもなかった。そんなわたくしに、王子はさらに話しかけた。
「ねえ、シェルリオール。カレンはあなたのことが大のお気に入りだけれど、あなたはカレンのことをどう思っている?」
僕と同じ、あなたの仇の娘のことを。ひどくやわらかい声で彼は言った。
試されていることを痛いほどに感じた。いま、ここには王子しかいない。不用意なことを口にすれば、あるいは一片でも不穏なことを口走れば、この場で切り捨てられたとしても誰にもわからない。
そうして彼が城へ戻って、ルゥは見つからなかった、と言えば、それを疑う者はないだろう。
カレンのことをどう思っている? すぐに答えられるような問いではなかった。わたくしにとって、カレンはすべてだった。わたくしからすべてを奪った男の娘、わたくしに感情を取り戻させた少女、唯一わたくしを愛してくれるひと。
わたくしはいっそう目を伏せて、当たり障りのない返答を口にした。
「……カレンは、わたくしの命の恩人です。わたくしを救ってくれて、いまのいままで生かしてくれました。感謝しております」
「ステラリオンを滅ぼした男の娘が憎くないの?」
誘導尋問のような問いを王子は重ねる。だが、なんと意味のない質問なのだろう。わたくしはカレンを憎いとは思っていない。わたくしと同い年の、当時まだ幼子だったカレンが、どうしてステラリオンの滅亡に関与することなどできるだろう。わたくしの憎むのはカレンの父親だけであって、カレンではない。
「彼女を恨んだことはありません。彼女は、一度たりともわたくしを蔑むような目で見ることはありませんでした。ステラリオンの生き残りだと、かつての敵国の王族だと、まるで知らないかのように、わけへだてなく微笑んでくれるのです。
わたくしは……物心ついてから、ほとんどの時間を、カレンとともに過ごしてまいりました。カレンはわたくしのすべてです。憎く思ったことなど一度もありません。――信じていただけないとしても、これが事実です」
それに、と胸のうちでつぶやく。
カレンを憎んでしまったら、きっと自分はいままで生き続けてこられなかっただろう。カレンだけが”ルゥ”を愛してくれた。まるで普通の人間を相手にしているかのように、話しかけて、笑って、怒って、悲しんで、くれた。
わたくしの狭い世界のなかで、カレンひとりだけが、ルゥの存在を望んでくれた。たったひとり、ルゥに「生きていていいんだよ」と言ってくれた。
カレンがいなければ、生きていられなかった。たとえ安全な場所で、なに不自由ない生活を送ることができたとしても。敵しかいないこの国では、早々にこころが折れていただろう。そのような見えすいた罠に引っ掛かるほど、亡国の王女は世間知らずで愚かだと思われていたのろうか。
王子は奇妙に優しく微笑んで、たずねた。
「カレンのことが、好き?」
「そう言ってしまえるのかどうか、わかりません。けれど、わたくしにはカレンが必要です。カレンには、悲しいことや苦しいことに遭わないよう、幸せでいてほしいと思います。彼女がいなくなってしまったら、わたくしはきっと絶望して、生きていけません。――これを、好き、と呼ぶのなら、そうなのでしょう」
「さてさて……呼び方などは、たいして重要ではありません。ですが、安心しました。あなたがカレンのことを、あなたなりに大切に思ってくださっているようで」
王子はにっこり微笑んで、言った。
「これで次の話ができる」
「次…………?」
「取引の話です。契約といってもいいかもしれませんね」
反射的に、わたくしは警戒のまなざしを隠しもせず彼へ向けた。相手の企みの正体におおよその見当がついたからだ。
「いまさらわたくしを唆して、何かさせようとたくらんでも無駄ですわ、殿下」
やはり目障りになった亡国の王族に適当な謀反の疑いをかけて始末するつもりなのだろう。
そのような見えすいた罠に引っ掛かるほど、亡国の王女は世間知らずで愚かだと思われていたのだろうか。
「そう言わずに。あなたにとっても悪い話ではないはずだよ、シェルリオール」
「聞きません。なにも」
王子はわざとらしくため息をつき、困ったな、とぼやいてみせた。その白々しさに腹の底がむかむかしてくる。
取引? 契約? ロッドラントの世継ぎが、ステラリオンの王族の生き残りになんの用だというのだろう。
いまの自分にたいした価値のないことは、いやというほど身にしみて理解している。この世継ぎの王子がどんな価値を見出したのかはわからないが、どのみち、ろくではないことに決まっていた。亡国の王女の利用価値などたかがしれている。
「ねえ、シェルリオール。あなたはいつまでもカレンのそばにはいられないよ」
これ以上聞いていたくもなかった。聞こえないふりをして、無視した。
「それでも構わないなら、僕もこれ以上のことは言わない。でも、きっと、後悔するんじゃないかな」
「…………」
「このままなら、カレンは死んでしまうよ」
「…………、え?」
わたくしは、思わず彼の顔を見てしまった。
その瞬間のことを、きっと死ぬまで、忘れられずにいる。にっこりとうれしそうに微笑んだ王子は――まるで悪魔が誓約書にサインをさせた瞬間を思わせるような表情だった。
「なんとおっしゃったの、いま?」
「よく聞いて。大事なことは何度も言わないよ。――カレンは死ぬ。僕が殺すから」
我が耳を疑った。聞き間違いではないかと思った。
「いったいなんの、冗談……」
言いさして、彼の表情から笑みが消えていることに、気づいた。
榛色の両目が昏く輝いていた。その目に見つめられるだけで、背筋がうすら寒くなりそうなほどに。
冷ややかで、どこか物憂い口調で彼は告げる。
「二年、時間をあげる。その間、自力で調べて、考えてごらん。もしもひとりで真実にたどり着ける程度の頭があるのなら、そして僕の共犯者になってくれるなら、対価としてカレンを助けてあげてもいい」
しずかな、けれど有無をいわせぬ、声。わたくしはくちびるを震わせたけれど、なにも言えなかった。
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