第2章 シェルリオール
第10話
昼だというのに薄暗い部屋だった。
採光性の悪いつくりことも理由の一つだが、それに加えてひとの気配もなく、どことなく空気がよどんでさえいる。
侍女のひとりさえ控えていない――仮にも国王の子をみごもっている女の待遇とは、到底思えない。
だが、これが現実だ。
この現状こそが、ルゥの置かれている立場をあまりにあからさまに示している。国王の子を妊娠していながら、宮廷に味方はおらず、誰からも距離をおかれているという現実を。
おのれの子を孕んだ女へ国王がつけた侍女たちは、ひややかな態度を崩さず、軽侮の表情を隠そうともしなかった。だから、もはやいないほうがまだましだと、ルゥがみずから遠ざけた。
王の侍医たちには「我々は王族しか診ない」と診察を拒まれたから、代わりに数日に一度城下から通ってくる医師がルゥを診察している。
国王も毎日は顔を出さない。周囲が阻んでいるのか、腹が膨れて抱くことのできない女に飽き始めたのか。
どのみち、どうでもいい。
ルゥが会いたいのはただひとりで、それ以外の人間など心底どうでもよいのだから。
「ごきげんよう、シェルリオール。調子はいかがですか」
なかでも気詰まりなのが、時折忍んでくるこの国の王子――カレンの兄だ――の相手をしなければならないことだった。
この男の相手は、体調が万全の時でさえ気が進まなかった。身ごもってからは体調もすぐれず気も晴れない日が続いている。今、こんな男のために体力を割けるほどの余裕はほとんどない。
最悪の気分です、と愛想のかけらもなく答えてやれば、おかわいそうに、と思ってもいないことを平然と言う。うわべだけの笑顔をいつも浮かべた信用ならない男だ。あのカレンの兄だとは思えないほど、どこをとっても似ていない。
「わたくしに、なんの用でしょう」
「あなたへ贈り物ですよ」
王子は懐からなにかを取り出して、ルゥの目の前へ差し出した。曇った濃色の小瓶だ。
中に液体が入っていることはわかったが、それが毒なのか、薬なのか、酒なのか、見当はつかない。
「……これは?」
「子流しの薬です」
なんでもないことのように、男は言ってのける。だが、その意図はあまりに露骨すぎて。
ルゥは思わず、おのれの腹のふくらみに手を当てた。王子の視線からかばうかのように。
「状況が? 変わったの?」
「いいえ。はじめから、そのつもりでした。今、父上の血を引く新たな子が生まれるのは、僕にとっては都合がよくない」
男の大きな手が伸びてきて、ルゥの手の上に重ねるように手を置くと、そっと力を込めて腹を押した。
逃げ場はないのだといやでも理解して、血の気が急速に引いてゆく。今? あまりにも急すぎる。
動揺を隠せないルゥに、王子は普段となんら変わらぬ表情で笑いかける。
「飲みたくないならば、それでも結構。やり方はいくらでもあります」
「――――――」
なにか言わなければと思うのに、震えるくちびるからは空気が漏れるだけで、声にならなかった。
ここで拒んだところで、ルゥにはどうにもできない。彼の言うように、やりようはたくさんあるのだ。毎日の食事や水、薬湯に混ぜられればルゥにはわからない。それよりももっと直接的な方法だってある。いまこの場で、手っ取り早い暴力に訴えることだって彼にはできる。
それでも、はいそうですかと諦めて、唯々諾々と従う気になるほど、ルゥはこの男を信用してはいなかった。共通の目的のために手を結んだだけで、信の置ける仲間だと思ったことなど一度もない。
「子が流れて……もし、わたくしが死んだら、どうするの……?」
「そうなった暁には、僕の野望はご破算ですね。もちろん、あなたが夢見る祖国再興もかなわなくなりますが」
祖国。その言葉に、ルゥの胸に重苦しい痛みが走る。
かつて滅ぼされた故郷ステラリオンを再興させるため、ルゥはロッドラントの王子と手を組んだ。自分の立場の弱さは自覚していたから、これ以外の方法などなかった。
後悔はしないと決めた。それなのに、どうしてか、ふとした時に心が弱くなりそうになる。
「……いやらしいやりようね。わたくしを、試すつもり?」
せめてもの威厳を保って睨みつけてやったが、王子の態度はどこ吹く風だった。
「そう受け取っていただいても構いませんよ」
かつて契約を交わした時、どんな指示でも従ってもらうと彼は言い、ルゥはそれにうなずいた。第三者に知られることを恐れて誓約書などは一切交わしていない。
あの時の誓いが口だけの約束なのか、そうではないのか――土壇場で翻意することがないか、確かめるつもりなのだろう。
どのみち、ルゥに否やなど言えるはずもない。
王子の手から小瓶を取り、栓を引き抜き、くちびるにあてがった。
それをあおるのと同時、笑いながら彼が言った。
「ああ、そういえば。カレンがあなたに会いたがっていましたよ」
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