第9話
ルゥがいなくなってから、わたしはまるで抜け殻のようになった。
なにもかもが虚しく、つまらなく、どうでもよく思えた。父がルゥを連れていってしまったことも、ルゥが一言も「行きたくない」と言わなかったことも、最後に振り返らなかったことも、全部、思い出すだけでお腹から力が抜けるような脱力感に襲われて、何もする気が起こらなかった。
塞ぎ込むわたしに、ほかの友達をつくってはどうかと兄はしきりにすすめてきたけれど、そんな気分にはなれるはずもなかった。
半ば強引に外へ連れ出されることもあったけれど、引き合わされた貴族の令嬢たちの、王女に取り入ろうとする期待と打算に満ちた目をみるだけでうんざりした。ルゥは一度もわたしにこんな表情を向けたことはなかった、と考えてしまって、またさらに気分が落ち込む。何につけてもわたしはルゥのことばかり考えてしまうのだ。
「友人とは対等な関係の相手のことをいうのよ。お兄さま、友人をつくれと言うのなら、わたしと対等な相手をつれてきて」
そう言ってわたしは耳をふさぎ、周囲のすべてを遮断して拒絶した。
ルゥ以外の友人などほしくもなかった。王女を相手に媚びるまなざし、あるいは、不興を買うことをおそれて浮かべた下手なつくり笑い――そんなものはとうに見飽きてしまった。
ルゥは態度こそ丁寧だったけれど、けしてへりくだることはなかった。わたしのことを案じてはいても、おそれはしなかった。
ルゥ、わたしの人形に会いたかった。
わたしは数え切れないほど文を書いて、兄や女官たちに渡した。返事は一通も来なかった。
わたしが真実を知るまで、一年と半年近くかかった。あの時、通りかかった女官たちの噂話を耳にすることがなかったら、わたしはいまでも何も知らないままであったかもしれない。
「やっぱり本当よ、陛下付きの侍従から聞いた話だもの」
「じゃあ、あのステラリオン女がお妃さまになるっていうの?」
「それはさすがに無理ってものよ、敗戦国の王族でしょう……いくら陛下の御子を身ごもっているっていってもねえ」
「それだって事実かどうかあやしいものだわ、だってあの女、もともと王女殿下の話相手だったのに、陛下にうまく取り入ってお手がついたんでしょう。陛下の気を引くためならなんだってするはずよ」
「それはそうよ、だって身分も後ろ盾もないんだから」
「それにしてもおかわいそうなのは王女殿下よ。兄君さまから皆が口止めされていることも知らないで、ずっとあの女に会いたがっているわ」
「この一年、ずっとよ」
「その間、父君さまがあの女の部屋に入り浸っていることも知らずにね」
それ以上のことは聞いていられなかった。
わけがわからなくて、とにかくこの場を離れなければと、そればかりを強く思った。
けれど、わたしはもう、幼くもなかった。なにも理解できなかった、ルゥと出会ったばかりの頃と比べればそれなりに世の中の仕組みだって理解できていた。
女官たちの噂話の意味がわからないほど箱入りというわけでも、なかった。
「――――お兄さま! お兄さま!!」
兄の執務室に飛び込んだわたしを、はじめ兄は叱ろうとして、表情を変えた。わたしがあまりに必死な顔をしていたのだろう。
大事な話がある、今すぐに、とわがままを言った妹を咎めることもなく、兄はうなずいて、中庭に出た。
「それで、話というのは?」
「ルゥに会わせて」
「や、またそれか。何度も言っているだろう、カレン。シェルリオールはおまえには会えない」
「それはルゥが、身ごもっているから?」
兄は、わたしが予想していたほど驚いた顔はしなかった。
「どこでそれを。おしゃべり好きの女官たちの噂話? それとも意地の悪いどこぞの令嬢に吹き込まれたか」
「そんなことないって、言わないのね」
「そうだね。――おまえも、わかっているようだね」
わたしは首を振った。自分に理解できていることなど、ほんの一部でしかない。
わたしが知っているのは、ルゥが聖王家ステラリオンの最後の王族であること、とびきりの美少女であること。ロッドラントが併呑した旧ステラリオン領の支配がうまくいっていないこと。結婚は昔から、講和の有力な手段であること――。
「ステラリオン領で反乱が何度も起きて、統治がうまくいかないから、王族だったルゥをお父さまと結婚させたのね。ステラリオンの民を納得させるために」
「そこまでわかっていて、シェルリオールに会いに行くつもりなのか。会って何を話すんだい」
「お兄さまには関係ないわ。とにかく、ルゥに会わせて」
兄は口許に手をあてて、しばし考え込むそぶりを見せてから、こう言った。
「そうだね。いまは無理だけれど、ひと月くらい後なら、いいよ」
一ヶ月だなんてそんなに待てない。そう言おうと思ったけれど、兄がほんのすこしだけ、深刻そうな表情をしていることに、気づいた。
「ひと月? なにかあるの?」
「ちょっとね。カレンには関係のない話だよ……来月になったら、シェルリオールに会わせてあげる。約束しよう」
気にはなったけれど、追及することはせずにわたしはうなずいた。あまりしつこく追いすがって、約束を翻されたらと思うと怖かったから。
そして兄は約束を守った。
ひと月を過ぎてわたしが連れて行かれた先は、病みやつれて紙のように白い顔をしたルゥのもとだった。
衰弱しきって寝台から起きあがることもままならないルゥを目にして、立ち尽くすわたしの耳に、兄はやわらかい声でささやいた。
「かわいそうにね。――――数日前、腹の子が流れてしまったそうだよ」
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