第8話

 うつくしい青の目を伏せ、悲しそうな顔をしたルゥは、言った。

「いいえ、カレン。わたくしは、もう、あなたのところには戻れません」

 一瞬、彼女に何を言われたのか理解できなかった。

 迎えに来てくれてありがとう、心配をかけてごめんなさい――そんな言葉が返ってくるものだと、わたしは思い込んで、疑いさえしなかった。

「どこか……よそに、行くというの? わたし以外の誰かのところに?」

 ルゥはうつくしく長いまつげを伏せたまま、なにも言わない。

 その静かな横顔を見つめていると、急に、言いようもない不安がわき上がってきた。

「――――許さないわ。わたしの人形のくせに、勝手にいなくなるだなんて」

「カレン……」

「わがままを言うんじゃない、カレン。ルゥも困っているだろう」

 わたしに向けられたルゥと兄と、二対の視線がひどく似通った、困惑と憐憫の表情をたたえていることに、当時のわたしはすぐ気づかなかった。


 考えればわかることだけれど、理解したくなかった。

 亡国の王族であるルゥが、自分の意志でわたしのもとから離れられるわけもなく。

 そして、王女であるわたしからルゥを取り上げられるひとなんて――わたしよりも身分が高いひとなんて、兄と父しかありえなくて。


 なにかの冗談だと思った。けれど、ルゥも、兄も、悲しそうな、いたわるような、傷ついたような目をしていた。

 急に怖くなって、わたしはルゥの腕にすがりついた。彼女がどこかに行ってしまう――そう思うだけで恐ろしくてたまらなかった。

「お願い、ルゥ、行かないで。わたしを見捨てないで」

「カレン。あなたを見捨てるだなんて、そんなこと……」

「嘘っ、ルゥはわたしのことが嫌になったんだわ! だから――」

 その時兄の腕が伸びてきて、わたしはルゥから引き離されてしまった。

 わたしは髪を振り乱し、兄に食ってかかった。

「やめて! 離して! ルゥはわたしの人形なのよ、わたしのものなの、それなのに――」

 わたしは力任せに暴れたけれど、男である兄の腕にやすやすと押さえ込まれてしまった。

 視界の隅で、ルゥが侍女に促され、部屋を出て行くのが見えて、わたしは大声で叫んだ。

「どうして! 行かないで! ルゥ!!」

 けれど彼女は、一度もわたしを振り向かなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る