第6話

 成人を迎えると、わたしのもとには毎日降るように大量の招待状が届くようになった。

 お茶会、演奏会、交流会。名目は違っても中身は同じ、どれも年頃の令嬢が集まっておしゃべりをするだけだ。

 それらすべてに出席することは到底不可能だったから、女官たちのアドバイスを受けて、断れない相手からのお誘いだけを受けた。

 それでも選別後には信じられないほどの量の招待状が残ったから、わたしは心底うんざりした。

 親族、公爵家、大商人、異国の王族筋……毎日のようにどこかへ出かけて顔を出して、皆様ごきげんよう、と微笑んでみせるのがわたしの仕事だった。こうして臣下たちと繋ぎを持っておくことは王女として大事な役目なのだ。

 わたしの母である王妃がとうに亡くなって、ほかに姉妹もいない現状、ロッドラントで最も身分が高い女性はわたしということになるのだから。本来ならば王妃がつとめるべき社交を、成人したとはいえ15歳のわたしが行わなければならなかった。


 公式の招待の場にはルゥを連れていくことはできなかった。女官たちが良い顔をしなかった。ルゥの出自は皆が知っていて扱いに困る、王女とはいえむやみに他者を困らせるものではありません、というのが彼女たちの言い分だった。

 ルゥと一緒に出かけられないことは悲しかったし、つまらなかったけれど、ルゥを誰の目にも触れさせずにおけるのだと思えばすこしだけうれしかった。

 どんどんうつくしくなってゆくルゥに向けられる不躾な視線がわたしは許せなかった。それくらいなら、いっそ閉じこめてしまいたいと空想したことさえある。もしそんな暴挙に出たとしても、きっとルゥはなにも言わずに受け入れるだろうとも、一度ならず考えた。

 ともかく、今日も今日とて、わたしはひとり、ルゥに留守番をさせて退屈な社交付き合いに出かけていた。

 唯一の慰めは、今日の相手はわたしと年の頃も近い商人の令嬢だったことだ。

 商人は貴族ほど礼儀作法にうるさくないから肩が凝らないし、城下の流行に詳しいので、宮中では手に入らない珍しい話も聞けたりする。

 帰りの馬車のなかで、たっぷり詰め物をしたクッションにもたれかかりながら、わたしは手の中の、帰り際にお土産にと渡されたものに目を落とした。白い光沢のある布でつくられた花――あのラヴィニアの、花。

『城下では今あの歌劇、ラヴィニア恋歌が大人気ですのよ、殿下』

 いらない、と断ってしまえばよかったのに、わたしはそうできなかった。

 ラヴィニアの花。花嫁の花。

 それはどれほど本物に似ているのかはわからないけれど、手のひらに余裕でおさまるほどの、薄い花弁が幾重にも重なった清楚な印象の花だった。


 手のひらの上でその造花をもてあそびながら、わたしはぼんやりと思い出したことがあった。かつて、ルゥが言っていた。あの日、宮中で歌劇を観た日。

『誰もラヴィニアの花を贈ってはくれなかった』

『ラヴィニアの花がほしかった』

 嗚咽混じりにつぶやいたその言葉の真意を、いまだわたしは訊けずにいる。

(恋をしてみたかったの? ルゥ。お姉さまの、巫女姫のように)

 すてきな貴公子に、この花とともに求婚されることを、夢見ているの?

 いまとなっては叶うはずもない夢を?


 考えないようにしていた怯えが、気がついたらまた、頭をもたげかけていた。

 ルゥはロッドラントを恨んでいるのだろうか。彼女からすべてを奪ったこの国を。

 そして、わたしのことも恨んでいるのだろうか。彼女からすべてを奪った男の娘を。

 ロッドラントがステラリオンを滅ぼさなければ、いまごろルゥは、美貌の王女シェルリオールとしてステラリオンの宮廷で、その身分にふさわしい求婚者たちに大勢取り囲まれていただろう。

 親もきょうだいたちもいる幸せな祖国で、何不自由なく暮らしていただろう。


 そして――ロッドラントがステラリオンを滅ぼしていなければ、わたしはルゥと知り合うことなどあり得なかったはずだ。

 長年争い続けてきた隣国の王族同士だなんて、親しくなるどころか一生顔を合わせることすらなかっただろう。

 わたしはルゥのことが大好きで、ルゥに出会えたことを心から神に感謝している。

 でもそのためには、ルゥは家族も、故郷も、年頃の少女らしい楽しみも、それに未来も、すべて奪われなければならなかった。

 わたしのそばにあり続ける限り、ルゥはずっと不幸なままだろう。

 そしてルゥは、不幸であり続ける限り、いつまでもわたしのそばにいるだろう。

 身寄りもなく故郷もなく、後ろ盾も持たないルゥが頼れる先はロッドラント王女ヴェレトカレンしかないことを、わたしはいやというほどよく知っているし、そのことがほんのすこしだけ、うれしいとも思う。

(ルゥには、わたししかいない)

 宮廷の者たちはルゥのことをあまりよく思っていない。

 かつての敵国の王族というだけで冷たい目を向けて、話しかけようとすらしない。

 だから、ルゥには、わたしだけ。わたしだけがルゥにやさしくて、だからルゥが頼れるのはわたししか、いない。

「ルゥを守れるのは、わたしだけ」

 胸のなかだけでつぶやいたつもりが、声に出ていたらしい。

 向かいに座っている侍女が、なにかおっしゃいましたか、と言った。

 なんでもないと返して、それきりわたしはきゅっとくちびるを引き結び、馬車が止まるまでずっと黙り込んでいた。

 離宮に着いてすぐ、馬車を降りて建物のなかに入り、ルゥの姿を探した。出迎えの女官たちのなかには混じっていない。

「ルゥ、いる?」

 三番目にのぞいた部屋で、ルゥを見つけた。窓際の日当たりの良いところで刺繍をしていた。

 わたしに気づくと、すぐに流れるようなしぐさで立ち上がる。ルゥはどれほど慌てていても、けして優美さを失わない。

「おかえりなさい、カレン」

「ありがとう。――――ね、ルゥ、ちょっと手を出してみて」

 ちょっとふしぎそうな顔をしながら、ルゥはその通りにした。

 ほっそりした指があまりに長くうつくしいせいで、かえって全体のバランスが悪いようにさえ思える、そんな手だった。

「これね、城下で流行っているんですって」

 なにげない口調を装いながらも、内心ではどきどきしていた。

 自分がとてつもなく愚かなことをしているのではないかと不安でたまらなかった。

 でも、ずっと抱えていた疑問を言葉に出してたずねることはどうしてもできなかったから、こうすることしか、わたしには思いつかない。

 ルゥは、ほんのわずかに目をみはって、手のひらに置かれたラヴィニアの造花を見つめた。

「これは……ラヴィニアの花……?」

「あなたに、ルゥに、贈りたいと思ったの」

 ルゥは顔を上げ、わたしを見た。

 ほんのすこし強ばったその表情の正体が怯えや嫌悪ではないかと、確かめるのが怖かった。

「意味は、知っているわ、その花を贈るのがどういうことか。わたしは……」

 好き。愛している。守りたい。幸せにしたい。

 どれもふさわしいようで物足りない言葉だ。

 この感情を言い表すのに、どうしてもっとぴったりな言葉が見つからないのだろうと思うともどかしく悔しかった。

「わたしは、ルゥがこの花を受け取ってくれたら、とってもうれしい」

 それだけだった、わたしに言えるのは。

 今度こそ、ルゥははっきりと目を見開いて驚きをあらわにした。そのうつくしい瞳がさあっと濃さを増した気がした。するとみるみる目の縁に澄んだ涙があふれ、幾粒もぽろぽろとこぼれ落ちた。

 わたしは、一瞬ぼうぜんとなった。

 ルゥが泣くだなんて、完全に想定外だったから。そして、泣いているルゥが、あまりに美しかったから。

「本当に――――この花を、わたくしに、贈ってくれるの?」

「ええ」

「わたくしで、本当にいいの?」

「ルゥがいいの。ルゥじゃなきゃ、いや」

 するとルゥは勢いよく抱きついてきて、その力の強さに、あやうくわたしは後ろに倒れ込むところだった。

「うれしい――――カレン!」

「きゃっ」

 華奢なからだからは想像もつかないほど強い力で抱きしめられて、息もできないくらいだった。

 それでも、うっとりとうれしそうなルゥの声でわたくしも、と囁かれたら、わたしまでうれしさで泣いてしまいそうになる。

「カレン、わたくしもよ、ただあなただけがいれば生きていけるわーーああ、カレン……」

 そしてルゥはひときわ強くぎゅっとわたしを抱きしめた後、その腕をするりとほどいて一歩、二歩と後ろへ下がった。なにをするのかと思って見つめる視線の先、ルゥはドレスの裾をつまんで持ち上げると、それは優雅に膝を折って一礼してみせた。

「あなたの御心、謹んでお受けいたします、ヴェレトカレン・ロッドラント――――わたくしは、あなたのためなら命すら惜しくありません」

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