第5話

 ロッドラントでは十五歳で成人と見なされる。その歳が近づいてくれば、周囲は勝手に浮き足立って、縁談だなんだとうるさくなってくる。

 わたしはひとりしかいない王女だから、どちらかといえば箱入りに育てられた自覚があった。

 身の回りは侍女も女官も女ばかりで、父と兄を除けば男性というものにはとんと縁がない。

 結婚も恋愛も、いずれは経験するものだとわかってはいるけれど、興味も関心もほとんどなかった。

 それに、奥手であることは周囲にも歓迎された――王女はなにより純潔を尊ばれるものだから。


 わたしが、自分たちの年頃についてはじめて危機感を覚えたのは、忘れもしない、十五の誕生日をすこし先に控えた夏の聖星夜祝祭日だった。

 筆頭公爵家の総領娘の婚約が決まったお祝いが開かれ、兄とともに招待されたのだ。広大な土地に建てられた館に何日も滞在して、お茶会とお食事、演奏会や詩の朗読会のあいまに殿方は狩り、女たちは日傘をさして散策を楽しんだ。

 どんな経緯か覚えていないけれど、わたしが馬に乗りたがり、整備された庭園ではなく狩り場のほうへ出向いた。そこで、徒歩で付き添っていたルゥが足をくじいて戻れなくなったのだ。

 わたしの馬にふたり乗りはできなかったし、同行していたのは非力な女官たちばかりでルゥを抱えることなどできない。

 日も暮れ始めていたからその場にとどまり続けることもできなくて、わたしは急いで館へ戻り、誰でもいいからルゥを連れてきてほしいと頼んだ。

 けれど皆がためらってうなずかなかった。もしも足をくじいたのがルゥではなくわたしや女官の誰かだったなら、迷わず名乗り出る者は何人もいたはずなのに。

 困ったわたしは兄に泣きついた。やさしい兄はうなずいて、馬を引いて狩場の方へ向かい、そしてルゥを連れてきてくれた。


 その時のことをいまでも覚えている。忘れられたらいいのにとさえ、思う。

 夕暮れを背に負い、ルゥを横抱きにかかえた兄が戻ってくるのを見た時――わたしはそれを「いやだ」と思った。そしてそんなことを思った自分自身に心底びっくりした。

 若くたくましい青年に抱きかかえられて、壊れ物のように繊細な美少女がうっすら頬を赤らめている光景は、一幅の絵のようにお似合いだった。

 でも、わたしはルゥが自分以外の誰かと一緒にいるのがいやだった。たとえそれが大好きな兄であっても。ルゥはわたしの、わたしだけのルゥなのに――。


 その少し前あたりから、ルゥは急激に大人びて、日に日にうつくしさを増していった。

 一歩離宮を出たら、すれ違う貴族たちや衛兵、官吏たちがルゥを見て息をのみ、その行方を視線で追っているのが見ずともわかった。わたしの自慢のルゥは、誰もが振り向くくらいきれいだと思えばうれしさこそあれ、いやだなんて思うことはなかった。

 でも。

 あの日、兄に抱き上げられているルゥを見た瞬間、わたしは息ができなくなった。

 きれいなルゥ、うつくしいルゥ、ずっとわたしのそばにいるはずだったのに。

 いずれ宮廷中のすべての人間がルゥのうつくしさを知るだろう。若い貴公子たちは、いつも目を伏せて、ほんのすこし悲しそうに笑ってみせる亡国の王女に恋をするだろう。そして――――? ルゥは誰かに、恋をするのだろうか。

(そんなの、いや)

 絶対に、認めない。ルゥは、わたしのルゥなのだ。

 これまでずっとそうだったように、これからも、ずっと一緒にいるのだ。誰に反対されようと、わたしは絶対に、ルゥと離れるつもりはなかった。

 けれど、それはいつまで許されるのだろう。

 わたしは王女だ。ルゥのようにうつくしくはなくても、求婚者は山のようにいた。

 いずれそのなかの一人を父が選び、わたしは嫁ぐことになる。その時、わたしはルゥを連れて行けるのだろうか? 結婚してもルゥと離れずにいられるのだろうか?

(結婚なんて、したくない)

 わたしが今までの人生で、最も長い時間を共に過ごしたのはルゥなのだ。父よりも、兄よりも、女官の誰よりも長く、ずっとそばにいた。

 将来、夫になる人が現れたとしても、その人をルゥよりも好きになれるとは欠片も思えなかった。

「……誰とも結婚したくない。ずっと、ルゥと一緒にいられたらいいのに」

 叶わないと知っていて、それでもわたしはその願いを口に出してつぶやいた。

 それがその時の、嘘偽りのない、わたしの心からの願いだった。

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