第4話

 夏の暑さがやややわらいで、過ごしやすくなりはじめた、ある日のことだった。

 城ではちょっとした催しがあった。大勢いる王族の誰かにまつわる祝い事だというので、にぎやかな宴が開かれ、都で人気を集めているという劇団を呼んで、宮中で歌劇が公演された。

 わたしはもちろん参加する予定だった。でも、人気の歌劇ということもあり、どうしてもルゥにも見せてあげたかった。

 ルゥは、普段はわたしと一緒にどこへでも行くけれど、それはわたしの暮らす離宮のなかだけのことで、宮中や城下へ行く時はいつも留守番をしていた。

 ルゥのうつくしい銀の髪はひとめでステラリオン人だとわかってしまうし、ステラリオンの王女がロッドラントにいることは知られていたから――いらぬ騒ぎを呼び起こしかねないと、普段はわたしに甘い女官たちもこの時だけは強く反対したのだ。

 ステラリオンが滅びた戦では、ロッドラントは勝利した側とはいえ、無傷だったわけではない。貴族たちのなかにも身内が戦死したという者は珍しくなくて、わたしもそれくらいのことは理解していたから、いやいやながらルゥを置いていっていた。

 けれど、今回ばかりは諦めたくなかった。

 ルゥにも歌劇を観せてあげたいと言うと、女官たちは予想通り反対したけれど、一度くらい良いじゃないのとわたしが駄々をこね、ねばりにねばってなんとか承諾を得ることができた。その代わり、ルゥには目立たないように髪を隠す被り物をずっと取らないようにと条件がついてしまったけれど、それくらい何でもない。


 一緒に歌劇を観られると伝えたら、ルゥはとてもよろこんで、青い目をきらきらと輝かせて、うれしいと言ってわたしの手を握りしめた。ルゥがよろこんでくれるなら、わたしもとてもうれしかった。それに、いつも控えめな彼女がこんなに喜んでいる姿を見せてくれることなんて、滅多になかった。

 それから毎日指折り数えて歌劇の公演日を心待ちに過ごした。当日着ていく衣装と靴はわたしとルゥでお揃いの色にして、それはもう楽しみにしていた。

 そして、ようやくその日がやってきた。

 朝からわたしは浮き足立っていた。いよいよルゥと歌劇が観られるのだと思うとどうしてもうれしくて、落ち着かなくて、朝餉の席で飲み物のグラスをひっくり返しそうになったり匙を取り落としたりしたほどだった。

 いままで歌劇を観たことがないわけではなかったけれど、ルゥと一緒に、というのが何より大事だった。

 このわくわくした気持ちをすこしでも減らしてしまうのが嫌で、当日上演される演目はわざと知らせず、侍女たちにも「絶対に開演するまで、内容はわたしに教えないで」と言い含めておいた。


 午前いっぱいは身支度に費やして、昼食代わりに軽いお茶を楽しんだ後、華やかに装ったわたしたちは離宮を出発した。

 道中あちこちで挨拶を受けながら、王族用にしつらえられた観覧席にたどり着いた頃には興奮は最高潮に達していた。わたしたちは隣同士に座って、浮かれた声でおしゃべりをして、軽い食事を楽しみながら開演時間を待った。

 待ちかねた舞台の幕が開いた瞬間、わっと客席のいたるところから声が上がった。けれどそのざわめきも、舞台上に演者たちが現れると静かになってゆく。

 遠目にも鮮やかなドレスをまとった女性が舞台の端から現れ、すばらしくよく響く声で歌い始めた。


 ――あるところにひと組の恋人たちがいた。ふたりは歴史ある古い王国の王族であり、いとこ同士であり、親に認められた婚約者でもあった。

 若くうつくしい王子と姫君の恋を誰もが祝福した。

 ふたりは幸せのさなかにあった。

 だが、恋人たちの婚儀を半年後に控えたある時、突如隣国の軍が攻め込んでくる――。


 隣のルゥが、はっと息をのむのが聞こえた。わたしもひどく驚いた。

 これは、悲恋ものの歌劇なのだ。悲恋もののお約束通り、愛し合う恋人たちは幸せな結末を迎えることはできないのだろう。


 ――戦況は悪化してゆき、日に日に敗戦の色濃くなってゆく。王子は何度も戦場へ出て、その度に勝利を勝ち取ってきたけれど、全体の情勢は悪化していく一方だった。

 そしてとうとう、王都が陥落し、王城のなかに敵軍が侵入してくる。

 ふたりは誇り高き王族として、逃げることではなく名誉ある死を選ぶ。

 かなわなかった婚礼の代わりにと、王子は、花婿が花嫁に与える花と言われるラヴィニアの花を摘んできて、姫君のうつくしく結い上げられた髪に一輪ずつ挿してゆく――。


 ラヴィニアの花言葉は『あなたを守ります』であり、その花を差し出されて受け取ることは『あなたのためなら命さえ惜しくない』という意味であることが、ひどく物悲しい旋律とともに歌われる。

 あちこちの客席からすすり泣きの声が聞こえてくる。わたしもとっくにハンカチを取り出して目許を押さえていた。

 そして、ふと思い出してちらとルゥを見ると、彼女は涙こそ流していなかったけれど、きゅっとくちびるをひき結んで、椅子の肘置きにのせた手をきつく握りしめていた。


 ”――満開の白きラヴィニアの花を踏み

 うつくしき清純の巫女姫フィルシエーナは聖王子ルセランに抱かれる

 額にくちづけを受け 来世での変わらぬ愛を誓い

 姫は嘆きと悲しみのなかに 確かに満たされることの甘さを知る――”


 やがてふたりは互いへの愛を確かめ合った後、毒薬をあおり、ほとんど同時に息絶える――悲しくうつくしい歌は、たっぷり余韻を響かせて消えていった。

 舞台の幕が降り始め、息を止めて見入っていた観客たちは爆ぜるような拍手でもって感激をあらわした。

 わたしも手をたたいたけれど、どちらかと言うと演技のすさまじい熱量にあてられたかのようにぐったりしてしまって、言葉すくなに席にもたれたままぼんやりしていた。

 そしてルゥも、わたしと同じようにほとんど口も聞かず、ずっと黙り込んでいた。どことなく、その表情はけわしいように見えた。わたしのように放心している、というよりは、なにか考え事をしているようだった。


 馬車に乗り、離宮に帰り、就寝支度を済ませて寝台に横になっても、ルゥの上の空な調子は続いていたから、わたしはすこしばかりむっとした。

 せっかくルゥと、あのすばらしい歌劇についていろいろな話をしたかったのに、肝心のルゥはいつまでたっても現実世界に帰ってこない。

「そんなにあの歌劇が気に入ったの?」

 ぎゅっと腰のあたりに抱きついて、たずねた。

 それでもルゥはなにも言わなかったから、無視しないでとばかりに結構な力で揺すぶった。

「ねえったら」

 するとようやくルゥが身じろいだ。もぞもぞとからだの向きを変え、わたしと向き合う体勢になる。

 薄明かりのなか、血の気のうせたルゥの白い顔は輝くようだった。

「…………ラヴィニアの、花」

「え?」

「思い出したの、昔……誰も、わたくしにラヴィニアの花を贈ってはくれなかった」

 ルゥはぎゅっと目を閉じて、やみくもに腕を伸ばすとわたしを掴まえ、引き寄せた。わたしは少しだけ驚いた。ルゥらしくもないちょっと乱暴な行動だったから。

 わたしの肩口に額を押しつけながら、ねえ知っている、カレン、とルゥは囁くように言った。

「ラヴィニアの花には毒があるの、とても強い、毒……だから、愛するひとから白いラヴィニアの花を贈られて受け取ることは、あなた以外のひとのものになるくらいなら死を選びますという意味で……」

 わたくしもラヴィニアの花がほしかった、とかけそい声でつぶやいて、ルゥは嗚咽のように震える吐息を漏らす。

 わたしはわけもわからずに、ただなんとなく、ルゥの様子がおかしいことだけはわかったから。どうすればいいのかわからなくて、昔父や兄がそうしてくれたように、ルゥの頭をゆっくり撫でた。

「大丈夫よ、ルゥ。大丈夫。あの花がほしいなら、わたしがあげるから」

 ただそればかりを繰り返しているうちに、ルゥは落ち着いたのか、すうすうと寝息をたてて眠りに落ちてしまっていた。

 ルゥを起こしてしまうのが怖くて、わたしはそのまま、しばらく動けずにいた。ルゥのからだの重みを、あたたかさを感じながら、わたしはルゥの言葉を何度も頭のなかで反芻した。

 誰も、わたくしにラヴィニアの花を贈ってはくれなかった。

 わたくしもラヴィニアの花がほしかった――。


 翌日、ルゥが席をはずしているのを見計らって侍女のひとりに話しかけた。

 そして、知った。

 昨晩のルゥの、おかしな様子の理由を。歌劇の内容を秘密にさせていたわたしに、侍女たちが何度も「いいのか」と訊ねた理由も。

 あの歌劇を、わたしは創作だと思っていたけれど、そうではなかったことも。


 あの物語の舞台は、有名なステラリオンの落城のその場面であり、ヒロインであった巫女姫フィルシエーナは――ルゥの実の姉君であったことを、知った。

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