第23話 のっぽ

 翌朝早くに村を発ったユリウスたち三人は、村長に教えられた山中への道を歩いていた。

 目的地に近付くにつれ、三人にはそこが今までとは違うことが分かった。

 瘴気が、濃い。

 黒い霧のような瘴気は薄いところでは朝靄程度の濃さしか持たないものだが、ここではそれがまるで手に触れられるような錯覚を覚えるほどに濃いのだ。

 それはつまり、待ち受ける魔人の危険が今までよりも大きいということだ。

「あまり瘴気を吸わないことだ」

 ユリウスは二人の騎士に言った。

「これだけで魔人となるほどではないが、戦いの場に長く留まることができなくなるのはまずい」

「この瘴気の濃さは、確かにこの旅で一番ですな」

 そう言ってコキアスが頷く。

「侮れぬ魔人かもしれませぬな」

「とはいえ、相手は一人よ」

 ロサムが言った。

「三人での連携が今まで通りうまくいっていれば、間違いはあるまい」

 元気な声でそう言って、ロサムはユリウスを振り返る。

「そうですね、ユリウス殿」

「……うむ」

 ユリウスは頷く。

 警戒するに越したことはないが、連携さえうまくいけば、一体の魔人に後れを取ることはないというロサムの言葉にも間違いはなかった。

 気を緩めるのも危険だが、自分たちの戦い方に迷いが生じることも、それはそれで危険だ。

「とはいえ、警戒を」

 ユリウスは言った。

「この瘴気の濃さだ。“のっぽ”は間違いなく、強い」

「ええ」

 ロサムは頷いた。

「分かっています」



 濃い瘴気の中をずいぶんと歩いた頃であった。

 木々の間からついに姿を見せた魔人は、なるほど確かに“のっぽ”であった。

「おう」

 思わずロサムが声を上げる。

「“のっぽ”か。看板に偽りなしよ」

 ユリウスもその言葉に内心で頷く。


 高い。


 棒のようにひょろりと細い身体が、長身のユリウスのさらに倍以上もある。その頭はもう木の枝の上に出てしまっていてよく見えない。

「これは、でかいな」

 呑まれたようにコキアスが呟く。

 異形であった。

 どう考えても人間の身体の大きさではないし、その身体の細さもまた異常であった。

「喰らう」

 頭上から、声が降ってきた。

 “のっぽ”の発した言葉だった。

「喰らう。喰らう。喰らう」

「同じことしか言えん種類の魔人か」

 ロサムが鼻を鳴らす。ユリウスは剣を構えて“のっぽ”の正面に自ら進み出た。

「私が正面を受け持つ。側面から援護を」

「分かりました」

「おう」

 コキアスとロサムが慣れた呼吸で魔人の左右に回り込む。

 魔人の正面に立つ役目は、たいていの場合、最も経験豊富で腕の立つユリウスが受け持っていた。

 ユリウスが魔人の攻撃を受け、その注意を引き付けている間に、左右の騎士がその身体を切り裂く。

 相手が規格外の長身とはいえ、包囲してしまえばやることは変わらない。

 二人が首尾よく左右に回り込んだのを見届けてから、ユリウスは魔人の間合いに踏み込んだ。

「さあ、私が相手だ」

 その言葉に、“のっぽ”が身体を曲げた。

 木の枝で隠れていた顔が、ユリウスの目にもはっきりと露わになる。

 ぎょろりとした目だけが目立つ、平凡な男の顔だった。それだけに、かえって異様に見えた。

 感情の見えない表情の中で、口だけが動き、喰らう、という言葉を吐き出す。

 ユリウスは踏み込んだ。

 上半身まではとても剣が届かない。

 まずは脚を切り裂いて、跪かせるか転ばせるのが定石だろう。

 迷いのないユリウスの動きに、左右の二人の騎士も呼応する。

 “のっぽ”がまた身体を伸ばした。その顔が枝に隠れ、見えなくなる。

 そのとき、不意にユリウスの直感が危険を告げた。


 待て。


 幾度もの魔人との戦いを生き抜いてきたユリウスの磨き抜かれた勘が、何とも言えない違和感を覚えていた。

 何か、おかしい。

 理由は分からなかったが、ユリウスはとっさに足を止めた。

 次の瞬間、“のっぽ”の腰辺りから突然二本の腕が生え、振り抜かれたその拳が、ユリウスの鼻先を凄まじい速度でかすめていった。

 立ち止まらなければ、首が吹っ飛んでいた。

 そして、これは。

 まずい。

「二人とも、離れろ」

 ユリウスは叫んだ。

「こいつは。いや、こいつらは」

 “のっぽ”の身体が、腰のところで真っ二つに裂けた。

 確かにそう見えたが、実際は裂けたのではなかった。

 二体。

 魔人は、上下で二体いた。それがまるで一体の魔人のように動いていたのだ。

 “のっぽ”の上半身を構成していた腕の長く足の短い魔人が、両腕を広げてロサムに覆いかぶさっていく。

「うわ、こいつ」

 ロサムはもうすでに大きく踏み込みすぎていた。意表を突かれて身をかわす暇もなく、剣を振り回す。

 下半身を構成していた足の長いもう一体の魔人は、そのままユリウスに殴りかかってきた。

「コキアス殿。ロサム殿の援護を」

 ユリウスは叫んで、魔人の振るった石のように固い拳を剣で受け止めた。

 “のっぽ”の腰だと思っていた部分に埋まっていた、この魔人の本当の頭部が、めこり、と音を立ててその姿を現す。ユリウスを捉えた濁った瞳が、楽しそうに細められた。

 笑うな。

 ユリウスは歯を食いしばって剣を振りかざすと、踏み込んだ。



 “のっぽ”との戦いは、この旅で最も熾烈なものとなった。

 だが、ユリウスたちの騎士としての強い意志にやはり勝利の女神は微笑んだ。

 上半身の魔人も、下半身の魔人も、騎士の剣によって切り刻まれて地面に倒れ、もう動かない。

 あれほど濃かった瘴気も、もうほとんど残っていない。

 だが、勝利の代償もまた大きかった。

 ユリウスも多少の手傷は負った。しかしそれ以上にコキアスとロサムの負傷は大きかった。

 自分でしっかりと歩けるコキアスはまだしも、魔人から覆いかぶさられるようにして奇襲を受けたロサムの傷は特に深かった。

 ユリウスたちは、どうにか村までロサムを連れて帰ったものの、貧しいこの村でロサムの治療を満足にできないことは明白だった。

「コキアス殿。ロサム殿を連れて、来た道を戻ってくれ」

 応急の手当てを施した後で、ユリウスは言った。

 このままドルメラまで行っても、おそらくすでにほとんどの住人が避難して無人に近い状態の街では、やはり治療を受けることなど望むべくもないだろう。

 それであれば、すでに魔人を討伐して落ち着きを取り戻した村まで戻ってもらうのが最もいい。

 “震え歌”を倒した村は比較的大きかったし、治療には十分だろう。ロサムは意識もしっかりしているし、道中は幸い、馬であれば一日半の行程だ。

「しかし」

 コキアスは渋ったが、彼自身も負傷しており、無理を押してドルメラまで行ったところでまともに動けはしないことは自分でも分かっていた。

 仲間を救いたい気持ちと、騎士としての使命との間で葛藤するコキアスを説き伏せ、ユリウスはシエラの若い騎士たちとここで別れた。

「ロサムを預けたら、私もすぐにドルメラまで行きますから」

 別れ際、コキアスは何度もそう言った。

 事態の切迫しているであろうドルメラで、彼の到着を待てるとはとても思えなかったが、同じ騎士として、ユリウスにも彼の気持ちは痛いほど分かった。

 無理はするな、と言い含めはしたが、コキアスは来てしまうだろう。自分が彼の立場であったら、必ず来る。

 三人全員でドルメラまでたどり着けなかったことに己の責任を感じながら、ユリウスは愛馬に跨り、一路、ドルメラまで駆けた。

 年長者として、若い彼らを導けなかった私の不甲斐なさが原因だ。

 魔人が一人だと思い込んでいた。結局、それが最大の油断であった。

 ユリウスは苦い思いをぐっと飲み込む。

 今は、ドルメラの救出が最優先だ。

 ドルメラでの戦いでは、私が三人分の働きをするしかあるまい。





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