第21話 国境

 シエラ国境の街、エセルシア。

 ユリウスが二人の騎士とともにこの街に入ったとき、すでにシエラ側の騎士は到着していた。

「ユリウス殿」

 領主の館での挨拶を済ませ、宿泊場所と指定された離れに向かおうとしている時だった。

 飾らない気さくな声が、ユリウスの名を呼んだ。

「おお」

 ユリウスは微笑む。

「ラクレウス殿。やはり貴公が来ていたか」

 その名に、ユリウスとともにナーセリから来た二人の騎士は声の主を畏怖のこもった眼で見た。

 あれが、シエラ第一の騎士ラクレウスか。

 口に出さずとも、二人の顔にそう書いてあった。

 二人ともまだ年若い騎士だ。武術大会の出場経験はなく、前々回のナーセリでの大会でもラクレウスの姿は観客席の遠くからしか見ることができなかったはずだ。

 噂に聞いた伝承の人物が突然目の前に現れたようなものだ。

 二人とも、耳にした噂への恐れと、舐められてなるものかという気概で複雑な表情をしていた。

 だが、当のラクレウスはそんな二人の態度などまるで無頓着にユリウスに近付いてきた。

「先年の大会の後の宴で、次に会うときは肩を並べて戦うときかもしれぬと言ったのは私であったかな」

 ラクレウスは笑顔で言った。

「見事、的中したな」

「それを言ったのは私だ、ラクレウス殿」

 ユリウスは笑顔で言葉を返す。

「的中の名誉は、私に」

「そうであったかな」

 ラクレウスは声を上げて笑う。前年会ったときと変わらぬ快活さだった。

「そのような小さな名誉は、ラクレウス殿にお譲りしても良い」

 ユリウスは言った。

「貴公とともに戦えることは、我らにとってこの上なき名誉であるゆえ」

「それはこちらとて同じ事。貴公と肩を並べて剣を振るう日を待っておりましたぞ」

 ラクレウスはそう言うと、ユリウスの後ろに立つ二人の騎士にも笑顔を向けた。

「ようこそおいでくださった。シエラのラクレウスと申す」

 二人がそれぞれに名乗るのを聞いたラクレウスは、羨ましそうに嘆息する。

「いずれ劣らぬ剛勇の士とお見受けする。さすが、ナーセリは人材が豊富だ」

 その言葉に若い騎士たちは嬉しそうに顔を見合わせる。

「シエラからは、ラクレウス殿のほかには?」

 ユリウスが尋ねるとラクレウスは、こちらも私のほかに二人、と答える。

「総勢六人での討伐行となる」

「二手に分かれると聞いたが」

「うむ。詳しくは、夜の打ち合わせで」

「承知した」

 来たとき同様、ラクレウスが快活な足取りで去っていくと、若い騎士の一人が、ほっと息を吐いた。

「あれがシエラのラクレウス殿ですか」

「緊張したか」

「それは、まあ多少は」

 若い騎士は隣の騎士を振り向く。

「だが、ユリウス殿とて全く引けを取ってはいなかった。なあ」

「うむ。向こうもユリウス殿には敬意を払っていた。負ける気はせぬ」

「貴公ら、我らはシエラと戦いに来たのではないのだぞ」

 血気盛んな若い騎士の言葉に、ユリウスは苦笑する。

「さあ、夜まで少し英気を養うとしよう」

 そう言って、離れへと足を向ける。

「腕が鳴るな」

「おう」

 若い二人がそう言いながら後に続いた。



 魔人の現れた場所は、ナーセリとシエラ両国の国境付近に跨るようにして数か所にわたっていた。

 ユリウスたちはここ、エセルシアから二手に分かれて出発し、それぞれの行く手の魔人を討ちながら進み、最後のドルメラの街で合流する。

 いずれの場所も、魔人は一体から二体。三人の騎士がいれば倒すのに問題はない計算であった。

「だが、この最後のドルメラだけは別だ」

 ラクレウスは言った。

「確認された魔人は四体もいる。すでに街は避難しようとする民衆で溢れかえっているそうだ」

「早急にたどり着かねばならぬな」

 ユリウスは頷く。ドルメラはシエラの領土だ。だからこそ、シエラはラクレウスを派遣したのだろう。

「とはいえ、四体であれば、分断して騎士六人でかかれば十分であろう。厄介な魔人はいるのだろうか」

「詳しくは分からぬ」

 ラクレウスは首を振る。

「だが、おそらく最も手強い魔人については分かる。その魔人は……」

 そこで、言い淀んだように言葉を切った。

「……騎士だ」

「騎士」

 ユリウスは顔を曇らせる。ナーセリの他の二人の騎士も息を呑んだ。

 魔人と化した騎士。

 それは、魔人と戦う上で避けては通れない辛い敵であった。

「名のある騎士なのであろうか」

「ブラッドベル」

 ユリウスの問いに、ラクレウスはそう答えた。

「貴公もその名は耳にしたことがあるはずだ」

「ああ、先の武術大会にも参加していた」

 その騎士の名だけでなく、ユリウスは風貌までも覚えていた。

 謹厳そうな騎士だった。実力も確かだった。

「確か、三日目まで残っていた」

「うむ」

 ラクレウスは頷く。感情を出さぬよう努めているようであった。

「優秀な騎士だった。だが、やはり無理がたたった」

「そうか」

 ユリウスは深くは聞かなかった。皆、騎士だ。聞かなくとも、その言葉だけでその場にいる誰もがある程度の事情を汲んだ。

 騎士ブラッドベルは勇敢だったのだ。そしてそれゆえに、魔人に堕ちたのだ。

 打ち合わせの部屋に重い空気が漂った。

「二手に分かれるいずれの組の行程も、両国の国境を行き来することになる」

 ラクレウスが暗い雰囲気を一掃するように話題を変えた。

「だから、それぞれの組に両国の騎士が含まれるようにするのが、一番不便がないと思うのだ」

「賛成だ」

 ユリウスはすぐに頷いた。

「私もそうすべきと思っていた」

 シエラ国内の村や街に、ナーセリの騎士が乗り込んで魔人を倒すというのはあまりいいことではない。ましてや、国境付近では特にそうした行為には慎重であるべきだ。

 その村では「自国であるシエラの騎士は我々を助けてくれなかった。助けてくれたのはナーセリの騎士だった」と思うからだ。そして無論、その逆もまたしかりだ。ナーセリ国内の村の危機を、シエラの騎士だけに任せるわけにはいかなかった。

 国境付近の人々のそうした複雑な思いは、両国の将来に暗雲をもたらす可能性があった。

 だからこそ、賢明な両国の王は、国境の村々の危機にそれぞれの騎士を合同で当たらせることにしたのだろう。

「それぞれの組を率いるのは、私とラクレウス殿が良かろう」

 ユリウスの言葉には、誰も異存がなかった。

 ユリウスのもとには二人のシエラの騎士が、ラクレウスのもとにはナーセリの二人の騎士がそれぞれつくこととなった。

「長旅のところ、まことに申し訳ないが」

 ラクレウスが言う。

「明日には発てるだろうか」

「無論だ」

 ユリウスは答えた。

「我らとて物見遊山に来たわけではない」

「さすがはユリウス殿」

 ラクレウスは頷いた。

「では、出発は明朝ということで」


 打ち合わせを終えて部屋を出たユリウスの肩を、後ろから追いついてきたラクレウスが叩いた。

「ユリウス殿。ちょっとよろしいか」

 声を潜めて、ユリウスを廊下の奥に引っ張り込む。

「今回の任務とはまるで関係のない話なのだが」

 ラクレウスはそう前置きしてから、心配そうな顔で言った。

「ユリウス殿と我が妹は、手紙のやり取りをずいぶんしていると伺っている。順調なのであろうか」

「あ、いや。それは」

 思わず照れて手を振りかけたユリウスは、思いとどまって、ごほんと咳払いをした。

「ええ。カタリーナ殿の手紙は素晴らしい。いつも読むたびに生きる力をいただいております」

「それはよかった」

 ラクレウスは破顔した。

「妹も貴公と似たようなことを言っておりましたぞ。ユリウスさまのお手紙がわたくしの生きる希望です、というようなことを」

「カタリーナ殿が、そのようなことを」

 ユリウスは思わず身を乗り出しかけたが、すぐに思い直して首を振る。

「ラクレウス殿。カタリーナ殿のお話を伺いたい気持ちは、私もこの喉から溢れそうなほどにあるところではあるが、今は任務が最優先。全て終わってから、もう一度その辺りをお聞かせ願いたい」

「無論。こちらこそ、望むところ」

 ラクレウスは嬉しそうに頷いた。

「ユリウス殿。カタリーナの文通の相手が貴公で良かった」



 翌朝、六人の騎士は二手に分かれ、それぞれの行程に旅立った。

「それでは、ラクレウス殿。ドルメラで会おう」

 馬上からそう別れの挨拶をしたユリウスに、ラクレウスは大きく手を振り返した。

「ユリウス殿も、ご武運を。全て終わった暁には、お聞きしたい話をじっくりと話して差し上げるゆえ」

「お聞きしたい話?」

 ユリウスに同行するシエラの若い騎士がその言葉に興味をひかれたようで、ユリウスの背中に声をかけてくる。

「ユリウス殿。何のお話でございます」

「いや、まあ」

 ユリウスは曖昧に微笑んだ。

「二人だけの込み入った話です」

 そう答えた後で、ユリウスは気持ちを切り替えた。

 さあ、魔人との戦いだ。

 カタリーナ殿のことはいったん心の中にしまっておくべし。

 油断すれば、命など一瞬で儚く消える。

「それでは、こちらも魔人などどんどん片付けていくとしましょう」

 ユリウスはシエラの騎士たちを振り返ってそう言った。

「ラクレウス殿よりも先にドルメラに着いて、向こうを待ち構えてやれたらよいですな」

「おう」

「それはいいですな」

 元気に答える二人の騎士を引き連れて、ユリウスの新たな旅が始まった。




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