第18話 静養

「おう、ユリウス。やっと起きたか」

 以前と変わらない、リランの声。

 だが、ユリウスにもその顔に巻かれた包帯の意味は分かった。

 ユリウスは痛ましいものを見る目でそれを見た。

「左目か」

 その言葉にリランは、ああ、と笑う。

「なくなったものは仕方あるまい」

「貴公ほどの騎士が」

 ユリウスは唇を噛む。

「それほどに強い相手だったか。あの“蟷螂”は」

 それならば、私が当たるべきだった。

 ユリウスはいまさらながらに悔やんだ。

 あの時、“土壁”に当たると先に言ったのはユリウスだった。だが、ユリウスとしてはどちらでもよかったのだ。

 剛力を誇るリランなら、巨躯の“土壁”とは戦いが嚙み合ったことだろう。

「誤解するな、ユリウス」

 日当たりのいいベッドの上で、リランは穏やかに首を振った。

「これは俺の完全な失敗だ。俺ともあろう者が、もう一人の魔人の気配を感じて、気が急いた。目の前の敵に集中できなんだ」

 そう言って、自分の胸にまだ痛々しく巻かれた包帯に手を当てる。

「“虎”に抉られたこの傷も、冷静に見極めてさえいれば受けなくて済んだものだ。死角に回り込む程度の知恵は、魔人とて持っていると重々分かっていたものを」

「戦いの流れは、その瞬間その瞬間にしか判断できぬ」

 ユリウスは言った。

「リラン。貴公の戦いは何ら恥じるものではない」

「アーガにもそう言われたが」

 リランはそう言うと、心を落ち着けるように息を吸った。

「ユリウス。この戦いで俺は自分の限界が見えた気がした」

「リラン」

 ユリウスは首を振る。

「それは違う」

「貴公の言いたいことは分かる」

 リランは微笑んだ。

「だがいずれにせよ、片目では今まで通りの働きはおぼつかぬ」

 そう言って、ユリウスを見上げる。

 剛毅なリランらしからぬ、ユリウスが今までに見たことのない穏やかな顔だった。

「実はな」

 リランは声を落とした。

「ここに残ってもらえないかとラーシャ殿に言われている」

「なに」

 ユリウスは目を見張る。

「それは、つまり」

「そう簡単にいく話ではないのは承知の上だが」

 リランは恥ずかしそうに笑った。

「王に伺ってみようかと思っている」

「そうか」

 ユリウスは頷いた。

 騎士リランは片目を失った。だが、代わりに大きなものを得ようとしているのか。

「そうか。そうか、うむ、そうか」

 何度も繰り返し、そうか、と呟く。

「何度頷くのだ」

 きまり悪そうにリランが笑った。

「もう、そのくらいでいい」

「いいことではないか」

「賛成してくれるか」

 リランは少し後ろめたそうな表情でユリウスを見た。

「騎士を下りることを」

「守るべきものが変わるだけのことだ」

 ユリウスは答えた。

「リラン。肩書がどうあれ、守るべきものを持つ限り、貴公は騎士だ。それはこのユリウスが保証する」



 傷が癒えるまでの間、ユリウスはラーシャの館に逗留することになった。

 回復しつつあるとはいえ、まだベッドから起き上がることのできないリランのことも気がかりであったし、ラーシャが是非にと引き留めてくれたからでもあった。

 ユリウスの身体は数日で動くようになったが、傷が開く恐れがあるのでまだ剣を振ることはできなかった。

 身体をなまらせないためにユリウスは館の仕事を手伝ってみたり、活気を取り戻した街を歩いてみたりした。

 街の人々は皆、毎日どこへ行くでもなくゆっくりと道を歩いているその長身の騎士が、この街を魔人から守ってくれたのだということを知っていた。

 そして、その戦いのせいで深い傷を負ったのだということも。

 だから、ユリウスが通りがかると、街の人々は必ず遠くから感謝を込めてそっと黙礼をしてよこすのだった。

 ある日、ユリウスがいつものように道を歩いていたときのことだった。

 突然、幼い少年と少女が道の先から駆け寄ってきた。

「あの!」

 ユリウスの目の前で立ち止まると、勢い込んで少年が言った。

「騎士様!」

「うむ」

 ユリウスは足を止めて、二人を見下ろした。

「何か用かね」

 だが、勇気を振り絞って騎士を呼び止めるのが少年の精一杯だったようだ。

 ユリウスを見上げたまま、あ、とか、う、とか言うばかりで、少年の口からはまともな言葉が出てこなかった。

 それを見て少年の後ろにいた少女が、少年の代わりに前に出た。

 こういう時は男よりも女の方が肝が据わっているものだ。

 少女は真っ赤な顔で、それでもユリウスをしっかりと見つめて、後ろ手に隠していた物を差し出した。

 その小さな手で握られたものを見て、ユリウスは目を見張った。

 少女の両手にすっぽりと収まる大きさの、目にも鮮やかな黄色い柑橘類だった。

「これを私にくれるのか」

 ユリウスが言うと、少女は大きく頷いた。

「ありがとう」

 ユリウスはその果実を丁寧に受け取る。

 それを見て自分の役割を思い出したように、少年が声を上げた。

「騎士様。僕らの街を助けてくれてありがとう」

 少女もそれにつられたように言う。

「騎士様。魔人を退治してくれてありがとう」

 ユリウスは腰をかがめて、二人と目線を合わせた。

「私は剣を振るうことしかできぬ人間だ」

 穏やかな声でユリウスは言った。

「だが、それがそなたたちの街を救う役に立ったのは、何よりであった」

 そう言ってそれぞれの頭を撫でると、二人の顔がぱあっと輝いた。

「ありがとう、騎士様」

「僕、大きくなったら騎士になりたい」

「私も」

 興奮してそんなことを口々に言う二人に手を振り、ユリウスはその場を後にした。

 受け取った果実の匂いを嗅ぐと、夏を思わせる爽やかな香りがして、ユリウスはまたカタリーナのことを思い出した。



 館に戻ると、もうすっかり顔馴染みになった下男が、ユリウスさま、と呼び止めてきた。

「ラーシャ様から、これをお渡しするようにと」

 それを手に取ったユリウスが思わず相好を崩すのを見て、下男は目を瞬かせた。

「どうした」

「あ、いえ」

 下男はきまり悪そうに笑って、頭を掻く。

「ユリウスさまでも、そんなお顔をするのかと思いまして」

「締まりのない顔をしていたか」

「いえ、締まりがないとかそういうのではなく。優しいお顔というか」

 いかんな。

 ユリウスは自分の頬を叩き、しかつめらしい顔を作って自室に戻った。

 だが、嬉しさはどうしても隠せなかった。

 その分厚い封筒は、ルイサからの手紙ではあったが、ユリウスは一目見てその中身がカタリーナからの手紙であると分かったからだ。


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