第3話 約束

 ユリウスは、自らの言葉通り、戦いのことしか話せぬ男であった。

 それも彼が専門としてきたのは、婦人方が聞いて喜ぶような華やかな馬上試合や決闘ではなく、陰惨な瘴気の沼の魔人との戦いであった。

 だが、さすがにユリウスもこの時ばかりは、己の知る限りの華やかな話をして聞かせようと心に決めた。

 自分を見上げている花のように可憐な女性に、憎しみの感情が具現化したような醜い魔人との血なまぐさい死闘の話を聞かせることはできない。いかに武骨一辺倒の男とはいえ、ユリウスにもその程度の分別はあった。

 だからカタリーナから問われる前に、ユリウスは自ら進んで話した。

 ナーセリでの代表騎士を決める選抜試合に初めて参加した時のこと。

 それに勝って出場した、初めての武術大会でのこと。

 三度目の大会の準決勝で、カタリーナの兄であるラクレウスと戦い、勝利を収めたこと。

 そして、今回の大会の敗戦のこと。

 訥々としたユリウスの話に、カタリーナは時折相槌を打ちながら、真剣な目で聞き入っていた。

 その様子はまるで、これから初めての戦いに臨む少年騎士がベテラン騎士の戦場訓を聞いているかのようであった。

 カタリーナの熱心な態度に乗せられて、ユリウスの口も自然と滑らかになった。

 彼の話に熱が入ると、カタリーナも嬉しそうに瞳をきらめかせた。

 だが、せっかく二人が打ち解けてきたころにはもう宴は終わろうとしていた。

 宴の終わりを告げる鐘が三度打ち鳴らされ、会場を後にする参加者が徐々に増え始めていた。

 時間が足りない。

 ユリウスも、そして彼が見るにカタリーナも、同じ気持ちを抱いていた。

 無理もなかった。

 そもそも話を始めたのが、宴も終盤に差し掛かった頃だったのだ。二人に与えられた時間はもとよりほとんど残っていなかった。

「私ばかりが喋ってしまった」

 ユリウスはカタリーナに詫びた。

「すまぬ。カタリーナ殿の話を、まったく聞けなかった」

「いいのです、私の話など」

 カタリーナは微笑んだ。

「ユリウスさまのお話をたくさん伺えて、今日は夢のようでした」

「実は私も、聞きたいことがあった」

 ユリウスは言った。

「カタリーナ殿の兄君のラクレウス殿の日ごろの様子や、研鑽の様子など」

「兄のことなら、隠すことは何もありません」

 カタリーナは笑顔で言う。

「何なりとお聞きくださればよかった」

「それに、カタリーナ殿ご自身のことも」

 ユリウスの言葉に、カタリーナがはっと真剣な表情になる。

「わたくしのこと、でございますか」

「左様」

 ユリウスは頷く。

「私は貴女のことを、ラクレウス殿の妹君であるということ以外、まだ何も知らぬゆえ」

「わたくしは」

 カタリーナはうつむいた。

「兄と違ってあまり身体が丈夫ではないものですから、幼少の頃は外にもほとんど出られず」

 そう言うと、恥ずかしそうに付け加える。

「そのせいであまりお友達もいなくて」

 その言葉に、ユリウスは納得するものがあった。

 シエラ、ナーセリ、いずれの国の貴族の令嬢たちも、宴席では皆、男性と談笑するばかりではなく、女性同士でも集まり、実に楽しそうにお喋りに興じていた。

 しかし、カタリーナの周囲には友人の姿はなかった。

 ユリウスのところにも一人でふらりと現れたし、今も一人でベンチに佇んでいた。

「ですから、あまりお話も上手にできなくて」

 そう言って、困ったように微笑む。

「すみません。ですので、私については、話すこともあまりなく」

「それならば、私と同じだ」

 ユリウスはカタリーナの言葉を穏やかに遮った。

「話のうまくない者同士なら、上手に話をしようとお互いに気を使う必要もない」

 ユリウスはそう言って、優しい目でカタリーナを見た。

「それはむしろ好都合というもの。心配なく語り合える」

 その言葉に、カタリーナは救われたようにユリウスを見返す。

 カタリーナはまだ何か話したそうにしていたが、その頃にはもう会場は人影もまばらになりつつあった。

 夜はすっかり更けている。

 ユリウスとしても、女性をいつまでも引き留めておくわけにはいかなかった。

「残念だが、今宵はもう時間のようだ」

 ユリウスの言葉に、カタリーナは悲しそうに眉をひそめて、それでも頷いた。

「はい」

「またいつか、お会いできればその時には貴女のことをお聞かせ願いたい」

 ユリウスは言った。

「そのときは、ゆっくりと」

「もう、この国を発たれるのですか」

 ユリウスを見上げて、カタリーナが尋ねる。

「明日準備をして、明後日には出立する予定です」

 ユリウスは答える。

「ナーセリまで、また長旅となる」

「そうですか」

 一瞬沈んだ顔をしたカタリーナは、すぐに何かを思いついた表情で顔を上げた。

「ああ、そうだわ。それでしたら」

 明るい顔で、胸の前で両手を合わせる。

「わたくし、明後日はユリウスさまのお見送りに参ります。早めに伺えば、少しはお話しできる時間があるかもしれませぬ」

 そこまで言ってから、急に心配そうな表情になった。

「ああ、ですがそれではご迷惑でしょうか」

 そう言ってうつむく。

「申し訳ありません。ユリウスさまの事情を何も考えずに、思いついたことを口にしてしまいました」

「いや」

 ユリウスは首を振る。

「私の準備など、大したものはないのだ」

 それは事実だった。

 ナーセリの辺境を転々と旅して魔人と戦ってきたユリウスにとっては、この程度の旅の支度など、半日もあれば終わってしまう。

 明日は騎士として諸々の挨拶もあるだろうが、明後日は出発するまでの間は余裕がある。

「明後日ならば、カタリーナ殿のおっしゃる通り、話をする時間もあるでしょう」

 ユリウスは言った。

「見送りに来ていただけるのであれば、光栄なことだ」

「光栄だなどと、そんな」

 カタリーナは顔の前で手を振る。その仕草が妙に幼くて、ユリウスは頬を緩めた。

「無理に、とは言いませぬ。ですが、私からもお願いしたい。カタリーナ殿。明後日、私の見送りに来てはいただけぬか」

 ユリウスが改めてそう言うと、カタリーナは両手で自分の頬を挟み、はあ、と息をついた。

「もちろんでございます。そんな、お願いなどと。こちらからお願いせねばならぬものを」

「それでは、決まりだ」

 ユリウスは微笑んだ。

「カタリーナ殿のことは、その時に教えていただくとしよう」

「はい」

 カタリーナは頬を染めて頷いた。

 ちょうどその時、主の帰りのあまりに遅いのを心配したカタリーナの従者が遠慮がちに会場の外から顔を覗かせた。それに気付いたカタリーナが慌てた口調で言う。

「ああ、いけない。本当にもう行きませんと」

「ええ。夜も遅い。気を付けて帰られよ」

「はい」

 頷いたカタリーナは、それでも名残惜しそうに何度もユリウスを振り返りながら従者のところへと去っていった。

「ユリウスよ」

 カタリーナを見送ったユリウスは、不意に隣からがっしりとした腕で肩を組まれた。

「貴公も隅に置けぬな。いかにも堅物という顔をして、あのような純真そうなご令嬢と」

「リラン」

 ユリウスは苦笑して、酒臭い息を吐くナーセリの同僚騎士の腕を外す。

「勘違いはよせ」

「勘違いにしては、ずいぶんと親密そうであったが」

 ユリウスよりも背はずいぶんと低いが、その分がっしりとした熊のような体躯のリランは不満そうに口を尖らせた。

「貴公だけはそういう戯れはせぬものと思っておったのに」

「リラン。貴公、あのご令嬢は、誰の妹君だと思う」

「なに」

 酔って目の周りを赤くしたリランは目を見張った。

「誰だ。俺の知っている男か」

「シエラのラクレウス殿だ」

 その名を聞くや、リランは肩をすくめて、うへえ、とおどけた声を上げた。

「それは遊び半分で手は出せぬな。ユリウス、言い遺すことがあるなら今のうちに聞いておいてやるぞ」

「勘違いはよせ、と言っている」

 苦笑いでリランの冗談を受け流しながら、ユリウスもそう悪い気はしていなかった。




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