第8話 手紙(1)
冬が来た。
山地のライデンよりも、ここはずいぶん暖かい。けれど、それでも冬は来た。吐く息は白く、小雪がちらつく日もある。
尼僧院ではこの季節、寒さに苦しめられたものだ。けれど、ここでは、そこまでつらい思いはしなくてすんだ。アルベルトさんの小屋の裏には、秋のうちに薪が山のように積み上げてあったし、ロザンナさんは、わたしの仕事場を台所の暖炉の前にうつしてくれた。とてもありがたいことだ。
家の中で仕事をするようになると、ロザンナさんのおうちの事情が少しずつわかってきた。
上の娘さんのイルマさんは、去年結婚し、今年の春に一人めの赤ちゃんを産んだそうだ。下の娘さんのロレッタさんは、街の商家で住み込み女中をしているらしい。畑仕事が一段落し、家にいることの多くなった旦那さんは、わたしとはあまり話そうとしない。対して、マルコは騒々しかった、家の中でも、家の外と変わらない。
イルマさんから手紙が来たのは、そんなある日のことだった。
イルマさんもロザンナさんも字が読めないので、手紙が来ることは滅多にない。お金を払って、代筆屋を頼まなければならないからだ。
読むのも同様で、知り合いの行商人から手紙を受け取ると、ロザンナさんは出かける支度をはじめた。聖堂のお坊さんの所に行って、代読してもらうためだ。
「あ、なら、わたしが読みましょうか?」
とわたしは言った。外は小雪がちらついている。
「えっ、あんた読めるのかい!?」
「あ、はい。尼僧院で育ったので……」
わたしは慌てて言った。
「あんまりむつかしい文じゃなければ、読めると思います」
「むつかしい文なんて、あの子が送ってくるはずないよ! ……にしても、驚いたねぇ! あんた、学者だったんだね」
と、ロザンナさんが目を丸くする。それからにやりと笑い、
「でも、だとしたら助かるよ。お坊さんに読んでもらうには、いちいち付け届けしないといけないからね」
つまり、聖堂の修道士に読んでもらうには、いくらか払わなければいけないのだ。
そこで、わたしも笑って言った。
「もちろん、マルティナ尼僧なら無料ですよ?」
母さん、お元気ですか。父さんとマルコも元気ですか。わたしとブルーノは元気です。ブルーノは最近、新しい卸先と商売を始めたせいで忙しいです。商売相手はフェレイラの問屋で、オーランド産の染め生地をあつかってるそうです。安く手に入ったら母さんにも送るね。
こないだ店でロレッタに会いました。新しい茶色い服を着てました。給金を貯めて仕立てたんだって。あの子もすっかり街の子ね。
心配なのはエレナのことです。わたしは最近、お乳の出があまり良くないんだけど、でも、あの子は牛乳を飲ますと下痢をするんです。
でわまたお手紙します。父さんとマルコによろしく。 イルマ
「あらまあ」
そう言って、ロザンナさんは台所の椅子に座った。
「また下痢かい? 体の弱い子だね」
「多いんですか?」
わたしは聞いた。ロザンナさんは心配そうな顔になった。
「多いんだよ。ちょっとしたことで、すぐ吐いたりね。……こうも続くと、ちょっと心配だね」
「…………」
その言葉にうなずきながら、わたしは頭の中で考えていた。
亡くなった院長先生なら、こんなとき、どうおっしゃるだろう。
長く尼僧院をやってこられた先生は、子供の病気に詳しかった。近くの村の子が熱を出すと、よく、診てあげていた。
わたしも時々、そのお手伝いをした。子供のころ体が弱かったわたしは、麻疹も風疹も猩紅熱も、もれなく経験ずみだったのだ。
「あの……ロザンナさん」
おそるおそる、わたしは口を開いた。
「山羊の乳は、試してみました? 牛乳で下痢をする子でも、山羊の乳なら大丈夫なことがあるって……」
「山羊? ――ああ、たしかにね! あれは子供にはいいって言うよね。臭いけど」
たしかに、山羊のお乳は匂いがきつい。そのせいで嫌がる人もいる。
「でもマルティナ、あんたなんでそんなこと知ってんだい? 尼僧院には赤ん坊もいたのかい?」
そこで、わたしは詳しく話した。近所の子供を診てあげていた先生のこと。時々、その手伝いをしたこと。もっとも、その院長先生も、秋の初めに亡くなってしまったのだけれど――今となってみれば、その方が良かったのかもしれない。尼僧院が取り潰されることも、そのせいでわたしたちがどんな目に合うかも、知らずにすんだのだから。
「なるほどねえ」
ロザンナさんはうなずいた。
「なら、試してみるよう、イルマに言ってみようか。マルコに紙を買いにやらすから、マルティナ、あんた、ちょいと返事を書いておくれでないかい」
もちろん! お安い御用ですとも。
「――という訳で」
小屋に帰ってから、わたしはアルベルトさんに事の次第を報告した。
いっしょにパンやおかゆを食べながら、その日にあったことをアルベルトさんに話すのが、最近のわたしの日課だ。
アルベルトさんは、あまり返事はしない。けれど、きちんと聞いてくれる。
「わたし、お坊さんのかわりに、イルマさんにお返事書いたんですよ」
あとから思えば、ここでわたしは気づかなければいけなかったのだ。アルベルトさんの様子が、いつもと違うことに。いつものようにうなずいてくれなかったし、少しむつかしい顔もしていた。けれどわたしは、ロザンナさんの役に立てたのが誇らしくて、そんなことには気づかなかった。
食事が終わった後も、アルベルトさんは何か考え込んでいた。それから、がたんと立ち上がって言った。
「……少し出てくる」
そうしてそのまま、半時ほど戻らなかった。
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