第7話 ハンカチ
その日から、カーラはたびたび、畑にやってくるようになった。
夕方、わたしが畑にいるころに、ふらっと現れる。
でも、いいのだろうか。その時間、お屋敷の使用人たちは、夕食の支度で忙しいはずなのに――。
「そんな事言ったって、やってられないんだもの」
と、カーラが言う。
「真面目に働こうが、働くまいが、結局はいじめられるのよ? だったら働き詰めに働くだけ、馬鹿馬鹿しいじゃない」
言いながら畝に手を伸ばし、指ほどの太さの人参を勝手に間引く。勝手に水差しの水で洗って、勝手にかじる。わたしが絶対にしないことだ。わたしは思わず、アルベルトさんを見た。アルベルトさんは、大丈夫だ、というようにうなずいた。
そこで、わたしもおそるおそる、細い人参を引きぬいてみた。水差しの水で洗って、かじる。甘い。
「でも、叱られない?」
「大丈夫よ。奥様づきの女中たちは、わたしに、台所に行って下働きを手伝えって言うしさ。でも台所の女中たちは、旧教徒は来るなって言うんだもの。そんなの、わたしにもどうしようもないでしょ」
た、たしかに……。
「だから平気よ。もし叱られたら、行き場がなくて外で泣いてましたって言うわ」
そう言って、カーラはがりっと人参をかじった。さぼりにしては堂々としている。わたしはなんだかおかしくなった。これのどこが、行き場がなくて泣いている態度なんだろうか。
尼僧院にいたころ、カーラとわたしは、それほど仲がいいわけではなかった。てきぱきとして気が強いカーラは、わたしには近寄りがたかったのだ。
けれど、ここに来てから気づいた。カーラはいい友達だ。言葉はきついけれど、優しくて面倒見がいい。何も知らないわたしに、お屋敷のことを教えてくれる。お屋敷で振る舞われた砂糖菓子を、こっそり持ってきてくれたりもする。自分のほうが大変なのに、そうやってわたしを気にかけてくれる。
でも、カーラのそんな態度は、本当は、辛さの裏返しなのではないかという気がしていた。そんなふうに、わたしに親切にしてくれることが、カーラ自身の心の支えにも、なっているのかもしれないと……。
「でも、実際のとこ、ホントにやってられないわ」
二本目の人参を抜きながら、カーラが口をへの字にする。
「そうでなくてもあの人達、喧嘩ばっかりしてるんだもん。お古の服を誰がもらうかとか、夕食の品数が多いとか少ないとか、そんなことですぐ、いがみ合ってさ」
それは……たしかに大変そうだ。わたしはうなずいた。
「たしかに、ここのお屋敷、今、すごく雰囲気が悪いって聞いたわ。先代がいた頃は、こうじゃなかったって。他所の娘をさらってくるなんて、考えられなかったって」
カーラは声を潜めた。
「なにも、他所の娘に限らないわよ? このあたりの村から奉公にあがった子の中にも、エラルド坊っちゃんの手がついた子が、何人もいたらしいもの。あげく、当主にばれて、娘のほうだけ首になったってさ。まったく、敬虔な新教徒が聞いて呆れるわ」
そう言って、また人参を抜く。水で洗って、がりっとかじる。
「だから余計に、女中どうしがギスギスするのよ。みんな、若様に目をつけられないように、必死なもんだからさ」
ああだこうだと文句を言いつつ、カーラは、自分のことは決して話さなかった。
もちろん、わたしも聞かなかった。……聞けるわけがない。
「――あ、そうだ。忘れるところだった」
本日三本目の人参を食べ終えたカーラが、思い出したように、お仕着せのポケットに手を突っ込んだ。
「見て、これ。作ったの」
手渡されて、広げる。白い、大振りのハンカチだ。何枚かの白布が、パッチワークのように縫い合わされている。
「女中部屋のベッドの敷布が、すり切れててさ。ようやく新調するって、女中頭が言ったの。古い方の敷布は、掃除にでも使うって。だからあたし言ったわけ。ハンカチ作りたいから、そのボロ少し下さいって」
「う、うん」
「そしたら女中頭がさ、普通ならそんなみすぼらしい物、この屋敷の勤め人には持たせられないんですけどね、とかなんとか嫌味言いながら、くれたわけ、そのボロ布。――っていう訳で、それあげるわ。傷んでないところを集めて作ったから、つぎはぎだけど」
えっ。わたしは手の中のハンカチを見下ろした。
「こう言っちゃなんだけど、あんたの頭、ひどいわよ?」
ぱんぱん、と膝の上の人参葉を払って、カーラが立ち上がる。
「だから、巻いときな? 尼僧院みたいに一日中、ずきんをかぶっていられる訳じゃないんだからさ」
じゃあね。そう言ってカーラが走り出す。わたしは慌てて立ち上がり、叫んだ。
「ありがとう! ……ありがとうカーラ、ほんとに!」
すると、カーラが振り返って叫んだ。
「――大げさね! どうってことないわよ、そのぐらい!」
+
本当に、カーラはいい友達だ。いつか、何か、恩返しができるといいのだけれど……。
もらったハンカチを、頭に巻いてみる。三角に折って、両端を首の後ろで結ぶ。水差しの奥をのぞきこみ、小さな水面に映してみると――うん、なかなか良いのではないだろうか。前髪以外すべて隠れるから、前から見る分には、他の子と変わらないじゃない?
嬉しくなり、つい調子に乗って、色々な角度から眺めていたら――
気がつくと、アルベルトさんが顔を上げて、こちらを見つめていた。
わたしは思わず赤面した。……自分の顔を、ためつすがめつ眺めているところを見つかったら、誰だってそうなる!
「あっあのっ、これ、カーラがくれて!」
盛大につっかえながら、わたしは言った。
「あのっ………………その、……どうですか? その……」
あんな様子を見られたあとで、似合ってますか? なんて恥ずかしくて聞けない。
わたしの言葉に、アルベルトさんは首をかしげるようにした。そして、そのまま、何も言わない。――も、もしかして、困ってる? なんて言うべきか迷ってる??
やがて。
「…………女の子みたいだな」
アルベルトさんは、そう言った。わたしは思わず顔を上げた。えっ?
……えっ?
それってつまり、どういうこと? ……今まではわたし、女の子に見えなかったということ? 似合う似合わないの問題ではなく、今までは女の子にすら見えなかったものが、今、ようやく、女の子に………………??
「………………!!!」
そういえば、マルコにも言われたんだっけ、『かあちゃん、女の服着た男がいる!』って。あのときは冗談だと思ったけれど、もしかして、アルベルトさんの目にも、そんなふうに見えているの……?
おそるおそる目をあげると、アルベルトさんはすでに、何事もなかったかのように畑仕事に戻っていた。きっと、わたしが水差しを相手にあやしい身振りをしていたから、ちょっと興味を惹かれて見てみただけなんだろう。アルベルトさんにとっては、そうなんだろう。
でも、わたしとしては――。
「ううう……」
水差しを前に、うなだれる。
そうなんだ……わたし、そんなに女の子に見えないんだ……。膝下まである、黒い尼僧服を着ていても、そうなんだ……。
なんか……なんだろう。わりと傷つく。
アルベルトさんにまで、そう思われてたっていうのは、わりと傷つく。
「うううう……」
でも――そう。駄目だわ。こんなことで落ち込んでいては、駄目だわ。院長先生もおっしゃっていたじゃないの。見た目を気にしすぎるのは良くないことだって。大事なのは心の美しさですって。
そうよ。見た目は無理でも、心持ちなら変えられる。立ち居振る舞いだけでも女の子らしくなれば、マルコにもアルベルトさんにも、男なんて言われずにすむようになるわ。そう――これからは少しでも、女の子らしくなるよう努力しよう!
と、わたしはひそかに決心したのだけれど……。
+
それからしばらくした、ある日のこと。
夕方、いつものようにアルベルトさんと畑にいたら、マルコが満面の笑みで、大きな獲物をぶら下げてやってきた。
「わあ、すごい!」
よく太った栗鼠に、思わず歓声を上げる。
さっそく、マルコと二人、小屋の井戸端でさばく。逆さに下げて、血を抜いて、大きな板に乗せて、毛皮をはごうとしたところで――
いつもの小道を、カーラがやってきた。
「あっ、カーラ!」
わたしは言った。
「ちょうどよかった! これからマルコと栗鼠を焼くの! よかったらカーラも一緒にどう? ……って、駄目か……そんなに長くは居られないわね……」
栗鼠をさばいて焼きあげるには、どう頑張っても、夜までかかる。
せっかくハンカチのお礼ができると思ったのに……と、皮をはぎかけの栗鼠に目を落としたわたしは、そこで、カーラの返事がないことに気づいた。
顔を上げると、カーラは完全に固まっていた。
「……カーラ?」
突然、いやああああああ――――と、カーラがけたたましい叫びを上げる。
「ああああんたそれ、何やってんのよ!」
「えっ」
何って。
「り、栗鼠を焼こうと思って……」
「やや焼くって! あんた、そんなもん焼いてどうするつもりなのっ!?」
えっ。
「た、食べるつもり……」
「いやああああああああっ!」
大きく身を引いて、カーラが叫ぶ。
「カ、カーラ?」
「しっ、しん、信っじらんない! ――栗鼠なんておっきなネズミじゃないの!」
自分で言っておいて、カーラはうぇっと変な声を立てた。気持ちわる、とうめく。
「それを、た、食べるとか……っ! あ、あんたそれでも女の子なの!?」
へっ。
……えっ??
思わず固まったわたしのかわりに、
「まあまあ、いいじゃんか」
そう答えたのは、なぜかマルコだった。
「マルティナはさあ、こんなんだから面白いんだぜ? あんたみたいにきゃあきゃあ言うようになっちまったら、つまんねえよ。な、マルティナ?」
めりめりと栗鼠の皮をはぎながら、なぜか同意を求めてくる。……ってマルコ、それ、わたしをかばってくれてるの? それとも、面白がってるの?
「そういう問題じゃないわよ! 誰よあんた!」
とカーラが叫べば、
「マルコだけど。あんたこそ誰だよ?」
いたって明るく、マルコが答える。
「誰って……っ」
カーラが絶句した、その時だ。畑に続く小道を、こちらにやってくるアルベルトさんの姿を見つけて、今度こそ、わたしはどうしていいかわからなくなった。これは……まずい。本当にまずい。
でも、二人はそんなこと気にしない。
「あっ、アルベルト! アルベルトも言ってやってくれよ。いくら栗鼠を食うのが好きでも、マルティナはぜんぜん、気持ち悪くなんかないって。なあ?」
――マルコ、言い方!
「わっ、わたしだって別に、マルティナが気持ち悪いなんて言ってないでしょ! 栗鼠なんか食べさせる、あんたの方がどうかしてんのよ!」
――カーラも!!
思わず頭を抱える。アルベルトさんは、多分、カーラの悲鳴を聞きつけて来てくれたのだ。カーラの身に、なにか悪いことが起きていたらいけないと思って。なのに。
「だいたい何よ! ふつう猫や犬しか食べないでしょ! そんなもの!」
当のカーラは涙目で叫んでいるし、
「猫しか食わなくても、マルティナは食うんだって!」
マルコはなぜか、いい笑顔で親指を立てているし……って。
これは、本当にまずい。最悪だ……!!
わたしは恐る恐る、アルベルトさんを見上げた。
ふだん、感情をあまり表に出さないアルベルトさんだけれど、最近は少しずつ、その気持ちが判るようになってきていた。口には出さなくても、態度やそぶりに現れるのだ。
今は多分……落ち込んでいる。
かなり、落ち込んでいる。
だって肩のあたりが、いつもよりしょんぼりしてるもの……!
「――あ……あの、二人とも、ちょっと聞……」
「だからそれは、あんたがそんなもん獲ってくるからでしょ!」
「――カーラ、あの、そうじゃな……」
「ええー? かっこいいじゃん! 獲ったもん食うのって、男らしいよな!」
「――あの、マルコも……」
いくらあたふたしたところで、二人を止められるはずもなく。身構える暇もないうちに、流れ矢はこっちにも飛んできた。
「はあ? あんた馬鹿じゃないの?? ――マルティナはこれでも女の子よ!??」
ぐさっ。
「……ううう……」
今の一撃は――かなり強烈かも。とどめの一刺し、くらったかも。
「……ううううう……」
思わず涙目になりながらも、それでも、わたしは心に誓った。
たとえ栗鼠が本当に、大きなネズミなのだとしても。栗鼠を食べる女の子は面白いのだとしても。男らしいのだとしても。
それでもかまわない。アルベルトさんを悲しませることだけはしたくない。
――アルベルトさん! わたし、栗鼠料理、大好きですからね!!
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